11-06
「じゃあ、あれは何だったのよ」
我に返ったらしい雪姫は結局苛立ちを募らせていた。
「あの子には何も与えていない。あの子は何も望んでいない。それなら、どうして――どうしてあんたたちみたいな、赤の他人に雪姫のことを喋ったの!?」
別に誰に答えを求めているわけでもなく、目の前の夕美に質問しているわけでもない。
夕美もまた、回答を持っているわけでもなかった。
「君は――人の望みを叶える代わりに、自身の秘密を守るように契約したんだね」
先ほどの雪姫の話から、夕美は全てが分かり始めたような気がした。
自身の『人魚姫』のおとぎ話が真実であるように、『雪女』もまた事実なのだろう。
――大吹雪の夜、雪女が人に死をもたらす場面を見た男に、「今夜のことは誰にも喋ってはいけない。もし約束が守られないのなら、お前を殺す」と口封じをする。そして、ある日現れた美しい女性と結婚し、子どもにも恵まれた男は、悪気なくあの夜の話を妻に話してしまう。妻があの晩の雪女であったことが明らかになり、雪女は男を残して二度と現れることはなかった。
これが、『雪女』のあらすじである。人に死を与える場面を見せ、それを口外しないことを約束させ、代わりに利を与える――それが破られたなら、その者にまた死をもたらし――といったところか。
「もういいわ」
吐き捨てるように、雪姫はそう言った。
「あの女は――山上友恵は、無名の……それこそ、当時は女優と名乗るのも憚られるような、一介のアマチュア劇団員だったのよ。それが今や芸能界引退で記者会見が開かれるような大物女優よ?」
ふふ……と呆れたように笑う。雪姫には、思い出される彼の日があるのだろう。しかし、その表情は途端に冷めた表情へと変わった。
「山上友恵の芸能界での成功――」
雪姫があげたのよ。
静かな空間に、雪姫の言葉が響く。
「約束が守られなかったら、真っ先にそれを剥奪するつもりだった。それなのに、自らそれを捨てるだなんて……一体どういうつもり!?」
急な異常気象の原因は、どうやらここに尽きるらしい。思い出しただけで、雪姫は怒りに震えている様子だ。その証拠に、空気中の水分が急速に凍り、そして砕けては散っていった。
「……それで、報道を知った君は藤ヶ崎さんの元へ行った。何故かな」
「何故?」
夕美の疑問に、雪姫は眉を潜めて疑問を返した。顎に手を添え、首を傾げる。苛立ちや絶望は見られず、純粋に困惑しているらしい。
「……確かに、雪姫はどうしてあの子に会いに行ったのかしら。雪姫、あの時は怒りが収まらなくって、何も考えられなかったのよね」
「……本来なら、君は山上友恵に会いに行くべきだったと思うけれど。そうはしなかった」
おとぎ話と雪姫の話を踏まえれば、当然雪姫は山上友恵に会いに行ったはずだ。そして、山上友恵と雪姫が約束をした日に起こったことを、聞き出しに行ったはずだ。それで、失うものがなくなった彼女は、きっと約束を破って話してしまう――だからこそ、雪姫は怒ったはずなのだ。
しかし、実際のところ、雪姫は山上友恵に約束の確認をせず藤ヶ崎を訪ねている。それはどうも、雪姫にとっても想定外のことだったらしい。雪姫は何かを考え込みながら沈黙を続けている。
ここで、夕美は藤ヶ崎のことを思い出した。目の前の雪姫は知らないが、藤ヶ崎は最後まで雪姫のことを庇っていた。察するに、雪姫にとっても、藤ヶ崎にとっても、二人の関係は理屈ではない大事なものなのではないか。
そして、雪姫は怖いのかもしれない。山上友恵が本当に裏切る場に直面するのが。現時点では、山上友恵は雪姫との約束を守る理由を捨てただけであって、契約はまだ有効のはずなのだから。
ここまでで、夕美はほとんどの問題を解消できたように思えていた。しかし、まだ最後のカードを切るためには早い。
――動機だ。
雪姫が魔女になるに至った動機――即ち、雪姫が何を願ったのかである。夕美が思考していると、ふうというため息が聞こえた。
「随分いろいろと、雪姫のことを調べてくれたみたいだけど、そろそろ終わりにしてもいい?」
雪姫は夕美をじっと見つめる。サークルレンズのような、色素の薄い瞳だ。
雪姫自身の疑問に気を取られていたのも束の間、話が逸れたことに気がついたらしい。
「あんたたちが何をしたかったのか、全然分からない。魔女を救いたい? そんな感じのこと、最初に彼が言ってたみたいだけど、何の助けにもなってないわよ。それどころか、あんたたちのせいで破滅よ……!」
また、空気中の水分が凍り、そして砕けていった。夕美はただ、雪姫から目を逸らさなかった。
「あたしの計画は間違ってなかったはずよ。そうよ! 理由のわからない、あんたたちさえ……あんたたちさえいなければ!!」
まずい、と気がついたその時にはもう遅いと思っていた。
一瞬の内に起こった出来事を夕美には理解できなかった。雪姫から目を逸らす暇もなかったものだから、目前に迫りくる鋭利な氷柱が、次第に別の影で覆われたことだけは記憶している。
目の前に現れた人影。サラサラと風に靡く、小さな氷の粒が目立つほどの漆黒の髪。よく見覚えがあった。自身よりも小柄なはずのその後ろ姿は、いつもよりも凛々しく見えた。それは、あの懐かしい日――あの時見たかった、彼の王子の在りし日の姿だったのかもしれない。




