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さて、雪姫は少しの動揺を見せていた。動揺した表情には、少しばかりのあどけなさが覗いている。それはつまり、不安――なのだろうか。しかしながら、暫くの沈黙の後、落ち着きを取り戻したのは流石の魔女といったところか。
「随分と好き勝手言ってくれるじゃない」
強い口調であるが、雪姫を取り巻く吹雪が酷くならないあたり、まだ雪姫は冷静らしい。
「……当然、この後あんたたちが何を言い出すのかは分かるわ。あのね、山上友恵のニュースで、どうして雪姫が暴走に至ったかは話すつもりはないわよ」
眉を釣り上げて、雪姫は夕美たちを睨むように見つめる。
話すつもりはないと雪姫は言うが、これにはおかしな点がある。ゆのは、気分良くふふんと笑っていた。
魔女は願いを叶えることで呪いから解放される。雪姫の場合においても、願いを叶えたい、あるいは呪いから解放されたいと考えて行動しているはずだ。
一方、世良は魔女を排除するために行動している。それは結局のところ、魔女を呪いから解放することである。夕美は少なくとも音子と麗を助けたいし、ゆのとまゆも一応は風紀委員として生徒の安全を……ということになっているはずだ。建前として。
それで、つまり夕美たち全員は、雪姫の呪いからの解放を望んでいるわけだから、推定する雪姫の目的と一致するはずである。
となると、雪姫が黙秘する理由、つまり雪姫の行動理由は他にある。あるいは――。
「言わないんじゃなくて、言えないのね」
まゆが静かに呟くと、雪姫の釣り上がった眉がぴくりと動いた。そして、それはそれは深いため息を吐いた。
「話はお終いよ」
酷く低い声でそう言うと、雪姫の背後で吹雪が強まり、周囲の氷がピキピキと音を立てながら侵食していく。僅かな水滴さえ、即座に凍りつく有様だった。
まずいな、という世良の呟きに、まゆは変わらず楽しそうに笑っていた。
「ふふ。二回目ね、雪姫ちゃんを怒らせるの」
数時間前、世良が話しかけたとき、雪姫はやはり怒っていた。あの時、彼女は何と言ったか。世良は思い出す。
――正確には、雪姫だけが救われないんじゃない。雪姫たち、人類にきっと含まれないから。
改めて思い出してみると、推察するに、これは魔女は救われないという意味で言ったのだろうか。魔女は呪いを解くまでは人生を終えられないのだから、人類とは異なる道を歩むことになるだろう。
――雪姫のことは、誰よりも雪姫がよく分かってる。今さら、何も知らない部外者が、雪姫に関わってこようとしないで!
単純に、これは心情の問題と受け取っていた。しかしながら、先程の雪姫との対話からして、稀に発生する例外はあるだろうが、全面的に感情で物を語るようには感じられない。ともすれば、そこには別の意味が――。
「氷堂雪姫は、山上友恵のニュース……いや、もしかしたら山上友恵と彼女との関係を知られることそのものを恐れているのかもしれない」
世良はふとした疑問を口にした。どういうことかな、と夕美が問うと世良は応答する。
「第三者に山上友恵と彼女の何らかの関係が洩れること。それこそが彼女の恐れや苛立ちの要因なのではないか、と思ったんだ」
世良は、思考がクリアになったのか、すらすらと話を進める。
雪姫の呪いを解くことについて、雪姫も自分たちも目的は同じかもしれない。しかし、関係性が洩れることに抵抗があるのなら、自分たちが雪姫の呪いを解くためとはいえ、雪姫の情報を第三者に収集されては困るわけだ。
おそらく、これは自分たちだけではなく、誰にも知られたくないのだろう。
「でも、知られたくない理由が不明瞭ね。みんなで協力したら、雪姫ちゃんの呪いも解けるかもしれないのに」
「呪いを解く機会を失うリスクを負いながら、なおも知られたくない理由ねえ……」
まゆとゆのの会話に、夕美は引っかかる。
呪いを解くチャンスすら自ら手放す……雪姫は何故そんなことを。
何かを間違えている気がする、と夕美は思った。大事な見落としが潜んでいるような。
彼女がもし呪いから解放されたいのなら、そのために行動するはずだ。実際、彼女の発言からして、そのように行動しているらしいが、第三者の協力は拒んでいる。では何が雪姫をそうさせるのか。
「もしかしたら、逆なのかもしれない」
夕美は目を見開いて、そう呟いた。思考が思わず外に漏れたような、そんな呟きだった。
「彼女は最初からずっと呪いから解放されることを望んでいる。そこが一貫しているのなら、今隠している秘密が守られることこそ呪いを解くのに必要……ということなんじゃないかな」
夕美の推察に、ゆのはうーんと首を傾げた。
「えーと、つまり。雪姫ちゃんは魔女の呪いを解くために、秘密を守り通す必要があるってこと?」
夕美が頷く横で、まゆもまた疑問を口にする。
「それが正しいなら、私たちが雪姫ちゃんの秘密を明らかにすることと、魔女の呪いを解くことは両立しないんじゃないかしら」
いや、と世良が否定する。
「彼女の根本的な願いが秘密が守られることそのものとは限らない。願いを叶える過程で秘密が守られる必要があるなら、必ずしも僕らの介入が魔女の願いを叶えることの障壁になるわけではないと思うよ」
三人の発言によって、自身の気づきは意外と穴が多いことを夕美は自覚し始めていた。ゆのとまゆの疑問はもっともで、世良の解釈だって可能性の一つに過ぎない。
世良は、夕美たちの表情から思考を悟ったらしい。
「僕らの手札は極めて貧しいからね。真偽については彼女に直接聞いて確かめていくしかないよ。そろそろ切り口を替えようか」
世良曰く、山上友恵と雪姫の間に秘密があるのなら、つまり、その秘密は他者と共有されているわけである。であれば、もう一人――雪姫と関係を持つ人物を、夕美たちは知っている。
夕美は世良の言葉にゆっくりと頷いた。
確証は何も無い。全容も何もわからない。しかし、山上友恵の報道を介して、あの人物と雪姫が繋がるはずだ。
「氷堂さん」
夕美が名を呼んでも、雪姫はそれに気が付きもせず、己の怒りに任せて周囲を凍らせるばかりである。かなり酷い吹雪を添えて。
「藤ヶ崎……」
夕美が声を発しようにも、迫りくる吹雪が邪魔をする。このままでは雪姫を見失いそうなほど視界も悪くなってきた。
夕美は一度言葉を飲み込んで、慎重に大きく息を吸う。
「藤ヶ崎悦子さん……!!」
夕美はほとんど叫んでいた。おかげで、その単語は雪姫の耳に入ったらしい。その単語はどうやら、雪姫にとっては特別な意味を持つようだ。それは雪姫の能力の揺らぎから見て明らかだった。雪姫の動きが少しばかり緩んだところで、今なら雪姫に声が届くと夕美は思った。
叫んで口を開いたことで、また吹雪に邪魔をされてしまう。乾いた風と、冷たい雪が口の中に入り込むが、むせている場合ではない。
「私たちは藤ヶ崎さんと会ったよ。君は、藤ヶ崎悦子さんを知っているはずだ」
霞む視界の向こう側で、雪姫の瞳孔が縮んだ――ように見えた。雪姫が初めて見せる、明確な動揺である。




