9-06
隣の病室番号は「三」から始まっていたから、どうやらここは三階と見てよさそうである。ニュースでは、事件の現場は五階と記載されていた。真凜の意図を考えるのであれば、おそらくこの先に現場にいた患者がいるはずである。おおよそ、事件現場は警察に封鎖されたか、病院の判断で利用を停止しているのだろう。
「失礼します」と夕美は声をかけてから、世良を先頭に病室へと入る。四つのカーテンの仕切りのうち、一ヶ所だけカーテンが少しだけ開いていた。おそるおそる、四人がカーテン内を覗くと、老婦がにこやかに迎えるものだから、四人は面喰らってしまう。
「いらっしゃい」
寒かったでしょう、と老婦は四人を気にかけた。
夕美と世良は顔を見合わせ、取り急ぎゆっくりと頷いて見せた。
「魅魔さんから、話は聞いているよ。お嬢さんたち、昨夜の事件について知りたいって」
最近は学校でそういう課外授業があるの? と不思議そうに尋ねる。夕美は苦笑して、話題を流すことにした。
「ああ、突然訪ねてきて申し訳ありません。えっと、魅魔さんからどのように話があったのかは分かりませんが……あ、私は優海夕美って言います。こっちは……」
「瀬良田です」
「まゆ、それから、ゆのです」
「よろしくお願いします」
世良、まゆ、ゆのの順で挨拶を済ませると、老婦は自身を藤ヶ崎と名乗った。
こんな天気のなか、せっかく来てもらって悪いんだけどね……と前置きして、藤ヶ崎は何も知らないのだと四人に伝えた。
しかし、寒さに目を覚ましてナースコールしたのは、藤ヶ崎なのだという。しかし、それだけだ、と彼女は断定した。
「私は冷え性でね。娘が防寒用品を買ってきてくれるんだけど、あの夜はあまりの寒さに目が覚めてねえ」
世良がそれがいつ頃の話であるかを問うと、藤ヶ崎は少し頭を捻らせてから、零時過ぎだと答えた。
「いくつかのニュース記事にはナースコールが行われた時刻の記載があったわね。確か、零時二十分頃だったかしら」
まゆが補足し、藤ヶ崎の発言が正しいことが確認される。
「それにしても、零時過ぎというのは、どうして覚えていたのですか」
「ああ、チャイムが鳴った後だったからね。ここから少し離れた先に工場があって、毎日零時になるとチャイムが鳴るんだよ」
夕美の質問に、藤ヶ崎は難なく答える。工場は二十四時間稼働していることから、深夜零時に、シフト交代のためにチャイムを鳴らしているらしい。その音を聴いたから、藤ヶ崎は自分が目を覚ました時間を導き出せた、ということである。
ふうむ、と夕美は顎に手を添えて考え込む。特に不思議な点はなさそうだ。しかし、真凜が夕美たちを藤ヶ崎の元へ案内したことには、何らかの理由があるはずだ。
そもそも、夕美たちは、雪姫を魔女足らしめる願いを明らかにすべく、雪姫の感情の起伏に影響した要因を探っている。そして、雪姫と接触した可能性のある人間がいるかもしれないと踏んで、この場所に来たのだ。
「ね。ゆーみん。あたし、思うのよ。ここは病院、それも入院棟よ」
毎夜チャイムの音が鳴るのだとしたら、患者さんから苦情が来ないかしら? と、ゆのがゆーみんに耳打ちする。
なるほど、と夕美は理解する。ゆのの言わんとしていること、それから藤ヶ崎の発言が、夕美のなかで繋がった。コホンと、一つ咳払い。
「藤ヶ崎さん、失礼を承知のうえで、お伺いします。あなたは、事件当夜、誰かに会っていませんか?」
夕美の質問に、藤ヶ崎はただ黙っていた。特に、これといった表情の変化も見られない。四人の鋭い眼差しに見つめられているせいか、藤ヶ崎はため息を吐いた。
「面会に来るのは娘くらいだし、夜間はそれすらできないよ。私はいつも、二十一時には就寝して、あの日もそう。恐ろしく寒いから起きて、ナースコールをして、看護師さんが掃除してくれている横で、すぐにまた眠ったよ」
眠かったからねえ、と付け加えられる。
藤ヶ崎の言い分は、至極まともだった。しかし、それがまともすぎる、ということに、四人は気がついている。
夕美は目を伏せ、首を横に振った。
「残念ながら、それはあり得ません」
夕美は、さらに続ける。
「あの晩、あなたはナースコールをする前に、病室の窓を開けたはずです」
藤ヶ崎は何か言いたそうだったが、夕美の言葉を待った。
夕美の言い分は単純である。
ほんの数分前の、真凜とのやり取りが全てだ。病院は、通常は吸音・防音機能の備わった建物である。『夕焼け小焼け』のメロディは、窓を閉めると聴こえなくなったことを夕美たちは確認している。つまり、藤ヶ崎が零時の工場のチャイムを聞いたという証言は、窓を開けることでしか成り立たないのだ。
入院棟は窓をそもそも開けられなかったり、開けられたとしても警報が鳴ったりする施設もあるが、この病院では、少なくとも患者が窓を開閉することに差し障りはない。半分までしか開けられないようだったが、元々が大きな窓であるから、小柄な女性なら、通り抜けることは可能だろう。
「……お嬢さん方の来る前に、病室は警察が散々調べたよ。私が窓を開けたなら、警察がすぐに気づくんじゃないかねえ」
今度は世良が首を振る。
「先ほど、あなたは冷え性だと仰いましたね。娘さんが、防寒グッズを差し入れてくれると。それなら、就寝時も手袋をしていたのでは?」
現に、ハンドクリームとナイトグローブが置かれているようですが、と世良はベッド横の棚を示した。つまるところ、藤ヶ崎が窓を開けたところで、手袋がされていれば指紋は検出されない、ということを世良は暗に言いたいらしい。おそらく、咄嗟に目を覚ましたということは事実であろうから、窓を開ける際に手袋をしていたのは偶然なのだろう。
それでも、藤ヶ崎は顔色一つ変えなかった。ただ、溜まっていた息を吐き出すように、小さくため息を吐く。
「お嬢さんたち、一体何を言いたいんだい」
どうやら、藤ヶ崎は四人が考えている結論があることに気がついたらしい。
夕美たちが証明したかったのは、藤ヶ崎が窓を開けたかどうかではない。それはあくまで過程に過ぎない。
「それはもちろん、あの悪戯の犯人と、あなたの関連性です」
夕美の発言に、藤ヶ崎は訝しげな顔をする。それはつまり、自身が悪戯の共犯だと言いたいのかと。
夕美は首を横に振る。
「私たちは、病院への悪戯については追求していません。ただ、情報がほしいだけです」
ふむ……と藤ヶ崎は考え込む。
「その様子じゃ、犯人に心当たりがあるのかい? まさか、お嬢さんたちのお友達じゃないだろうねえ」
夕美の発言から、藤ヶ崎は犯人が夕美たちの知り合いなのではないかと判断したらしい。確かに、四人でわざわざ藤ヶ崎に会いに来て、昨晩の話を聞き込むくらいだ。四人に何らかの関係性がなければ、そのような行動に至らないだろう。普通は。
「分かりません。私たちが関与している人物と、今回の悪戯の犯人が同一人物なのか、現時点で判断できないものですから……」
だから、話を伺いたかったんです、と夕美は素直に答えた。
そうかい、と藤ヶ崎は応じる。しかし、次の言葉で冷たく突き放される。
「何だか困っているようだけれど、残念ながら、私が助けられることはなさそうだね」
確かに、窓を開けたことは認める、と藤ヶ崎は言った。ただ、窓を開けただけ。その時に、工場の音を聴いただけ。
そして、夕美と世良が証明した内容もまた、「藤ヶ崎が事件当夜に窓を開けた」ということだけだった。
つまり、何のために、と問われれば、恐ろしい寒さに目を覚まし、危機感から脱出経路を確保した、という答えになる。あいにく夕美たちは、藤ヶ崎と雪姫の関係性も、事件当夜に雪姫が病室を訪れたことも、何一つ証明できる手立てはなかった。
「そんな……」
でも、と言いかけた言葉を夕美は飲み込んだ。反証する材料がないことを自覚している。
藤ヶ崎の行動は筋が通っているが、怪しい点も多い。そして、何より藤ヶ崎から今情報を引き出せなければ、雪姫が目を覚ますリミットまで、何の成果も得られない。音子と麗どころか、自分たちも、いや町や国レベルで酷い状況に陥ることだって、あり得ない話ではないのだ。
顔色が悪くなっていく夕美の様子を、藤ヶ崎はただ黙って見つめていた。




