9-03
世良の空間を抜けると、そこは病院の室内だった。四方の仕切られたカーテンから見て、入院病棟の一室のようである。患者がいるかもしれないので、迂闊に声を発しては大事になる、と夕美は自身を落ち着かせていた。
「問題ないわよ、患者は眠っているわ」
久しぶりね、と無感情に挨拶をした声の主は、夕美が数ヵ月前に出会った夕焼け色の長いお下げ髪の女――海の魔女、魅魔真凛だった。
「驚いた。あなたから現れるとは」
夕美がちらりと視線を世良に向ければ、いつもの澄ました顔とは異なり、目を丸めていたことを確認できたので、本当に世良には予期できなかったようである。
そういえば、世良は海の魔女を探していたが見つからないため、音子への接触を図ったと言っていたことを夕美は思い出す。世良の能力からして、真凜の近くまでは移動できても、本人が現れなかったのだろうか。それがどうして、こうも容易く彼女のほうから姿を現したのか、夕美には検討もつかない。
「患者さん、大丈夫なのかしら」
まゆが心にもなさそうな心配を口にすると、真凜は表情を変えずに口を開く。
「……カモミール、リンデン、ラベンダー。それから少しばかりの魔法。物騒な魔術じゃないわ」
要するに、患者の容態には配慮しているらしい。
「なんだか、随分と穏やかなハーブの数々ね。夕刻のティータイムでも嗜みたいわ」
ゆのの感想に、そうね、ちょうどアフタヌーンティーの時間だわ、とまゆが賛同する。瞬時にまずい、と夕美は思った。
「そ、そういえば、ここは『夕焼け小焼け』のメロディ、鳴らないんですね」
ゆのとまゆが、アフタヌーンティーの話で盛り上がりかねないことを見越して、夕美は突飛な話題を口にした。何も知らない世良は、その様子を訝しげに伺っていた。
『夕焼け小焼け』のメロディは、災害に備えて毎日試験放送のために無線で流しているらしい。青少年への帰宅を促す役割もあることから、日照時間に合わせて、冬季には十六時にメロディが鳴るはずだ。
「いいえ、御子神市ももうすぐ鳴ると思うわよ」
真凜は窓際に近づいて、カラカラと半分ほど窓を開ける。びゅうっと、途端に乾いた冷たい風が吹き込む。暫くして、メロディが流れ始めたのを確認してから、窓は閉められた。同時にメロディも途絶える。
「あ、はは。ありがとうございます」
別に、夕美は『夕焼け小焼け』が聴きたかったわけでは毛頭ないのだが、図らずも真凜がわざわざ窓まで開けてくれたことに対し、苦笑しながら心にもない礼を述べる他なかった。特に、この話をこれ以上展開させる案もなければ、意義もない。
「あの、私たち、この病院に来たのには理由があって……」
夕美が話を切り替えるなり、真凜は、開いている扉を指差した。
「ここを出て、すぐ右隣の病室よ。あなた達の探している人物が、そこにいるはずだわ」
お行きなさい、と言ったきり、真凜はその場を動こうとしない。どうやら、四人で行けということらしい。
世良は真凜にも用があるようで、場を離れることに少しばかりの躊躇いを見せたが、優先すべき事項を思い出したようで、「行こう」と一言声をかけ、病室を後にする。
夕美も真凜のことが気になるが、今は音子と麗の安全の優先が先決だと判断した。




