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独と薬  作者: R.藤間
予兆
50/84

7-07

 水族館から少し離れた箇所にある公園に避難していた夕美は、心底うんざりとしていた。

 公園には、水族館を訪れていた人の他に、水族館近辺に住む人や近隣のお店の人が避難してきており、多くの人が集まっていた。救急車や消防車も来ており、気分が悪くなった人が介抱されている様子が伺える。紛れもなく、緊急事態である。

「お寿司! やっぱり、お寿司よ。それから、青海苔のお味噌汁。白味噌だと、さらに良いわ」

「あたしは淡泊なお魚が食べたいわね~。鱧とか鯛とか」

 ゆーみん、と遠くから声をかけられた時点で全てを諦めていたのだが、やはり現れた風紀委員の二人のペースに夕美はすっかり巻き込まれていた。

 私服姿の二人を見かけるのは初めてだ。色違いのお揃いのルックである。猫耳のニット帽、ライダースジャケットにトーンオントーン・チェック柄のミニスカート、それから厚底の編み上げニーハイ・ブーツ。

 装い自体は可愛らしいが、寒くないのだろうか、というのが夕美の感想である。

 それで、二人もたまたま水族館を訪れていたらしく、観覧していたところを避難してきたようだ。避難場所で夕美を見つけるなり、ここにいる事情と水族館の話からなぜか魚料理の話を始めたところである。

「あの、私。猫山さんと綺羅さんを探したいので……」

 それじゃあ、と夕美は自然に立ち去ろうとする。

「あら、音子ちゃんなら避難場所にはいないわよ」

 え、と思わず夕美は立ち止まった。避難場所にいないと断言するゆののほうに振り向く。

「まだ避難できていないのかしらね」

 続けて、まゆが不穏なことを口にする。

 夕美が質問をしようとする前に、ああ待ってとまゆが夕美を制した。

「場所を変えましょ」

「え、でも。勝手に離れたら」

「いいのよ。どうせ、火災なんか起きていないんだから」

 もちろん、避難すべきではあるけどね、とゆのは付け加える。そのまま、ゆのとまゆはさっさと歩き始めてしまったため、夕美は仕方なく二人を追いかける。周りの人の目が気になる夕美だが、辺りを見回して見ても、意外と周囲を気にかけている人はいないようで安心した。

 しばらく歩いて人気が少なくなったところで、「お手を拝借」と言われて夕美の手がゆのに掴まれたかと思えば、瞬間、強い風圧を全身に感じ、うわっと小さな声をあげた頃には公園から離れた道路に出ていた。

「な、何なんですか、今のは……」

 もう、この二人の大体のことには驚かない夕美であったが、さすがに身体全体で超常現象を真に受けると、ひどく混乱した。いつもの余裕のある表情は驚きと、少しの不快感に乱されている。

「あのね、あんなに大勢いる人たちのなかから、あたしたちが簡単にゆーみん一人を見つけられると思う?」

 ゆのが唐突にそんな話を振る意味を、混乱する夕美にはすぐに理解できなかった。そもそも、未だ呼吸すら整っていないのだ。しかし、音子と麗が避難場所にいないことの断定や火災が起きていないという発言は気になる。

「簡単な話よ。あたしたちは、前世と特別な能力を持ってる。そうでしょ?」

 ああ、所有者といったか。夕美は息を整えながら、猫山邸での二人との会話を思い出していた。

 つまり、ゆのが夕美をすぐに見つけられたことも、音子と麗が避難していないことを察したことも、火災のことも、先ほどの瞬間移動のことも、全ては所有者の能力……ということなのだろう。そういえば、以前にゆのの嗅覚は鋭く、人や物、それから所有者を探すことができると本人が説明していた。

「あたしはね、狼なのよ」

 ゆのは、前世も狼なら、備わっている能力もまた狼なのだという。嗅覚が鋭く、一度覚えた匂いを頼りに人や物を探すことができる。また、所有者の匂いを嗅ぎ当てることも可能のようで、こちらの能力を主に活用している。

 麗を探知はできないが、音子とは会ったことがあるし、音子自身も所有者のため、ゆのは近くにいるかどうかや、匂いを辿ることができるようだ。夕美のことも然りである。

「それから、さっきのね」

 さっきの、というのは、高速移動のことらしい。

 こちらも狼特有の能力だそうで、二十分ほどであれば時速七十キロメートルほどの速さで走れるとのことだった。

「私たち風紀委員は、所有者を発見次第、一定期間監視して危険性がないか確認しているのよ。吸血鬼事件も並行して調査中。それで、今日はゆのが新しい所有者を検知したから、ここに来ていて」

 まゆが珍しくまともに夕美に説明をするので、夕美は少々驚いていた。

「そういうわけだから、ゆーみん。早速、水族館に戻りましょ」

 え、と夕美は思わず声を漏らして固まった。ああ、なんだ。まともな説明は、この非常識な誘いに完結するのか。納得だ。

 どうして私が、と言いたいところをどうにか飲み込んで、夕美は冷静に対応することにした。この二人を前に無意味な言葉を放っては、倍にして疲弊させられるのが常だからだ。

「えーと……どうやって水族館に入るのですか。建物の周りは警察と消防によって封鎖されていると思うのですが」

 水族館に戻るという二人の提案を否定するわけではない。音子と麗がまだ避難できていない可能性が気になるためである。

「ゆのさんの脚力は……確かに早いですけれど、物体の視認はできると思うので、さすがに警備を突破するのは難しいかと」

 そうよね。そうなのよ。と、まゆとゆのは同調する。そうして、二人はじっと夕美の瞳を見つめた。

「……まさか?」

 じっと見つめられて、ぎこちなく固まってしまう夕美だが、それはつまるところ、この二人の意図に気づいたということだ。

「諦めてください。私にそんな都合のよい能力はないですから」

 二人からは案の定「えー」とブーイングを受けた。なかなか酷い仕打ちである。

「困ったわ。味方の所有者は一人でも多くいてもらった方がいいとして、侵入できなきゃ困るわねー」

 まゆは頬に手をついて、ため息を吐く。さほど困っているようには見えないが、八方塞がりなのは顕著だ。

「学芸会のときの能力――心の操作でしたか。あれを使えば、一瞬だけ騒ぎを起こしても、侵入できるのでは?」

「あー。委員長、今日は予備校なのよね。受験生だし」

 納得の感情とともに、こんな非常時に頼れないのかという落胆、それから「そういえば、この二人も受験生では?」という疑問。夕美が微妙な反応を返すと、ゆのは珍しくそれに抵抗を見せた。

「何よ。あたしたちのことなら心配無用なんだからね」

 ゆのとまゆは服飾の専門学校に推薦入試で合格していたらしい。なるほど、そうでなければ、進路も決まらずに超常現象を追いかけるような、こんなに余裕のある行動はしていないだろう……いや、そうでもないような気がする。夕美は深く考えることを停止し、話を元に戻すことにした。

 状況、変わりませんね……と夕美がため息混じりにそう言った側から、どこからともなく声が聞こえた。

「困っているなら、手伝おうか」

 声のする方向に振り向くと、学芸会の変質者、もとい世良が立っていた。休日だというのに、以前と同じ制服姿だ。

「そうね、あなたも所有者よね」

「……所有者? ああ、君たちは子供たち(チルドレン)のことをそう呼んでいるんだったね」

 まゆの発言に対して、世良から気になる返しがくる。

「やっぱり、知っているわね」

 ゆのの目付きが鋭いものへと変わった。このような緊迫した雰囲気も出せるものなのかと夕美は内心驚いていた。一方の世良は、気にも留めていない様子だ。

「懇切丁寧に話をしている時間はないんじゃないかな。まずは、友達の救出をすべきだと思うよ」

 僕はね、と付け加えた。

 遅れて登場して急に物を申すわりに、随分と上から目線だ。夕美は厭な奴だと思いながらも、世良の意見には同意である。しかし、この一連の不可思議なことの全てをおそらく知っているだろう彼に対して、夕美たちの分かっている情報は極端に少ない。そのような状況で、世良を信じることで不利益を被らないか、それが懸念される。

「あなたが私たちに協力する理由は――猫山さんの記憶の復元……ということだと思っていいのかな」

「そういうこと。今、猫山音子に万が一なんてことがあったら、何もかもやり直しなんだ。それは僕も困る」

 夕美には世良の事情はよく分からないが、世良にとって不都合があるのはおそらく本当のことなのだろう。そして、音子と麗の元へたどり着くには、三人の能力では難しいこともまた明白なのである。結局、あれこれ考えたところで、今すぐに決断し、この男を頼らなければならないという事実は変わらなかった。

 いいよ、と夕美は告げた。世良はそもそも夕美たちが断る選択肢はないと踏んでいたため、すぐに話を進める。

「話が早くて助かるよ。ええと、上狼塚さん、かな。()()()の場所は分かる?」

「水族館の屋上よ」

 分かった、と言うなり世羅は空に指先で円を描いた。空間が裂ける。

 どうやら、その空間の裂け目は水族館への屋上へと繋がると見て良さそうだ。裂け目の奥は見えず、暗く混沌としている。世良は慣れた様子でさっさとその混沌へと入っていった。内側から手招きをされて、夕美とゆの、まゆが続く。

「ゆーみんって、案外潔いわよね」

 まゆがふふと笑いながら空間を潜ると、裂け目は閉じられた。空間の中はひたすらに暗いが、一ヶ所だけ見える光が出口で、それがおそらくは水族館への屋上に続くのだろう。

「空間移動能力ってやつかしら」

「そう。どこへでも行けるわけではないけどね」

 世良はゆのの呟きを拾った。ふうんと、ゆのは相槌を打つ。

 夕美はふと、そもそも直接音子と麗の元へ行けばよかったのではと気がつくも、ゆのとまゆは風紀委員会として所有者の元へ行きたいのだろう。所有者が今回の騒動の原因の可能性が高いことは明らかだ。であれば、その根本を解消しないと、どのみち音子と麗は助からない。

「君も魔女には一度会っておいた方がいい。どのみち、雪の魔女を止められないことには、どうにもならないだろうから」

 世良に考えを読まれていたことに対して、夕美は少しムッとしたが、それは大したことではなかった。魔女とは一体何なのか。

 水族館への屋上に繋がる出口までにはまだ距離があるように思えた。空間移動能力といっても、瞬時に移動できるような便利な能力ではないらしい。

「これから僕たちが対峙する魔女について、話そうか」

 世良は歩みを止めず、前を向いたまま、淡々と魔女の話を始めた。

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