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独と薬  作者: R.藤間
転校生
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1-04

 ――断られてしまった。

 夕美は自嘲気味にふっと息を漏らした。弱ったなあ、だなんて、まるで心にもないことを思いながら。

 転校初日の転校生が、いきなり馴れ馴れしく話しかけ、終いには家に行っても良いかなどと抜かしてきては、音子でなくとも不審に思うのも無理はないのだ。そうだ、()()()はまだ知り合ったばかりなのだから。

 それはともかく、夕美は転校してきたばかりで、当たり前だがこの学校には詳しくない。設立の古い歴史ある学校にしては、内装は綺麗だなというのが本日の所感である。

 時は既に夕刻。廊下の景色は薄橙色がかっており、窓から見える向こうの空は青く暗い。これから冬にかけて、陽が落ちるのが速くなっていくだろう。

 夕美は転校生らしく部活動の見学をしていた。部活動というものに彼女は特別な興味を持っていないが、はしゃぐ同級生に誘われては断るわけにもいかず、表面ばかりの笑顔で彼女たちに付き合っていた。

 優海さん、優海さん、と期待の籠められた目で誘われては、無下にするわけにもいかない。距離感やタイミングはこの際言及しないが、彼女たちと同様の行為にあった夕美に対し、音子はすっぱり振りきっている。性格ゆえ、夕美には彼女たちの厚意をどうにも拒絶することはできなかった。それは音子の対応を否定するわけでは決してない。そうして気がつけば、複数の部活動の誘いを受け入れてしまっていたのだ。各部活動見学の所要時間は短かったとはいえ、放課後に三ヶ所も回ったものだからすっかり日が暮れている。

 ああ、早く帰ろう。優海さん、絶対入部してね、なんて言われたけれど、誘いは全て断ろう。

 そんなことを考えながら、もうすっかり暗くなった廊下を一人で歩いていた。

「そこの生徒」

 不意に夕美の背後に声が響く。

 そこの生徒、というのは十中八九夕美のことを指しているのだろう。この時間帯に廊下を歩いている生徒は夕美以外に見当たらなかった。

 部活動に励んでいる生徒は各々の活動場所から帰宅しているだろう。所属するクラス近辺の廊下を歩く者はどういうわけか全く見かけられない。

「もうすぐ下校時間よ。速やかに帰宅しなさい」

 振り向けば、夕美は意表を突かれる。

 黒のセーラー服、黒のハイソックス、黒のローファー、膝下丈のスカート、学年毎に異なる色のスカーフ……といった風貌を皆一様にしているものだと夕美は認識していた。事実、夕美は転校して丸一日、その異例を見かけていない。転校初日も例に漏れず、朝、校門前にて教師による厳しい風紀チェックを受けたことも記憶に新しい。そもそも、入学準備の段階で、風紀に厳しい旨の説明を受けていた。

 声の主は二人組であった。黒髪ストレートヘアーの生徒と、ミルクティーベージュのゆるい巻き髪の生徒。夕美を呼び止めたのは、どうやら巻き髪の生徒のようだ。

 二人ともスカート丈は短く、黒のニーハイソックスを着用している。本来スカーフであるはずのそれはリボンになっている。リボンの色からすれば、三年の先輩であるはずだ。

「あら、あなた。見かけない顔ね」

 巻き髪の生徒が夕美に声をかける。それなりに生徒の数はいるというのに、この二人は全員の顔を把握しているのだろうか。よもや、そんなことはないのだろう。

「転校生ね。ふふ、さっきの台詞は言ってみたかっただけよ」

 巻き髪の生徒は悪びれなく笑ってそう言った。夕美はどうしてよいか分からず、自然と首を縦に振ってしまう。なんだ、しっかりと知っているではないか。

「はじめましてね。あたしは風紀委員会第三学年、上狼塚友乃藍(かみおいのづかゆのら)。ゆのでいいわ」

 黒髪の生徒が初めて口を開く。少し吊り目でキツい印象だが、気さくな雰囲気である。

「同じく風紀委員の三年生、赤兎馬麻亜由(せきとばまあゆ)。まゆって呼んでね」

 先ほどから会話をしていた巻き髪の彼女は改まる。掴み所のない、独特のオーラが感じ取れた。

 先輩二人から名乗られてしまっては、夕美も無言を貫くわけにもいかない。夕美にとって、見知らぬ先輩たちから呼び止められるこの状況は決して安心できるものではなかった。ゆえに、小さな声で簡潔な自己紹介を済ます。

 それにしても、と夕美は思う。風紀委員という言葉には不釣り合いな格好である。教師は、彼女たちを咎めないのだろうか。言ってしまえば、風紀を乱しているのは彼女たち……というのは、きっと野暮なのだろう。

「それで、夕美ちゃん。下校時間を過ぎているのよ」

 まゆは遠慮なく夕美をちゃん付けして呼称した。それが、ごく当たり前であるかのように。

 さらに彼女は続ける。

「この町ね……」

 出るのよ。

 何が、とはとても聞けない雰囲気であった。

 無表情で固まっている夕美の様子を見かねてか、まゆはクスッと笑った。そんな勿体ぶらずとも良いのに、と夕美は少々不満に思ってしまう。

「この町ね、出るの」

「吸血鬼が、ね」

 まゆの声にゆのの声が続いた。

 ――吸血鬼。

 思わず夕美は復唱してしまう。そうか、吸血鬼か。それで、吸血鬼というのはいったい何であったか。ええと……などと、記憶の整理に忙しい。

 ――犯行時刻は夜十時から深夜二時にかけて。

 ――お肌のゴールデンタイムね。シンデレラタイムとも言うのかしら? うふふ。

 ――被害者は一貫して十代から二十代の女性。

 ――なかなかにシビアな年齢基準よね。アラサーはどうなるのかしら。

 ――襲われた女性の遺体には二本の牙の痕。それから失われた大量の血液。目撃者はいないけれど、現場の状態から、皆吸血鬼だって騒いでいたわ。

 まるでMCか何かのように、楽しそうに掛け合いながら説明をする少女たち。夕美は眩暈を起こしそうになっていた。

 ところで、この話が本当であるとしたら、先輩方には恐怖という感情は備わっていないのだろうか。それとも、これは自身をからかっているだけなのではないか。そうだ、吸血鬼だなんて。

「疑っているのね」

 ゆのは静かにそう言った。

 当たり前ではないか、といったごく自然の感想が夕美の顔に出ていたのであろう。その表情を見て、ゆのはふっと笑う。

 吸血鬼の犯行だとしたら。連続殺人事件だとしたら。

 そんな怪事件、メディアが取り上げないはずがない。それに、この町の治安がそのような状況であれば、学校から注意喚起があって然るべきなのだ。だが、少なくとも転校してきた夕美はその事件を見聞きしたことなどない。それから、ゆのの発言の「皆が騒いでいた」という「皆」はいったい誰を指すのだろう。

「ね。夕美ちゃんは、校則について深く考えたことはあるかしら」

 唐突に、まゆは夕美に質問を投げ掛けた。話の前後関係が読めず、夕美には訳がわからない。

 まゆが言うには、校則というものは、おおよそが形骸化しているらしい。何故髪を染めてはいけないのか、何故スカート丈は短くてはいけないのか。その理由は、風紀や規律を乱すからということに集約される。しかしながら、髪を染めることが何故風紀や規律を乱すのかということに言及すれば、さっと答えられる者は多くはないのだという。

 つまるところ、規則を設けるのは「それが規則だから」という理由に尽き、何故規則があるのかを疑問視する者はマイノリティであるとうことだ。

 ちなみに、髪を染めることについては、成長期の皮膚にダメージを与えないためだとか、髪や服装に装飾を加えることを認めると、経済的な理由でできる者とできない者とに二分してしまい友人関係に支障を来す懸念があるだとか、元々それ相応の理由は存在しているはずである。スカート丈についても、性犯罪の防止など、元々は生徒を守るために存在する規則であろう。

 それで、夕美はやはり彼女の話の本意を未だ理解できていなかった。

「つまりよ。下校時刻の厳守はただの校則に過ぎないのよ」

 見かねて、ゆのが口を挟んだ。

 ただの校則にすぎない、ということはだ。先ほどのまゆの話を踏まえれば、下校時刻を守ることに誰も異議を唱えないということ、なのだろうか。

「生徒たちはただ下校時刻を守っているだけ……それが校則だから。ということは、先ほどの吸血鬼のことは誰も認知していないということでしょうか」

 ご名答、と二人は答えた。満足したように、にんまりとした笑みを携えて。

 でも。と言いかければ、ゆのによって遮られてしまう。

 夕美が「認知」という言葉を選んだことに彼女は気づいていたようだった。そうだ、生徒たちは知らないわけではないのだろう。先の「騒いでいた」という過去形での発言を鑑みれば、おそらくある時点までは生徒たちも吸血鬼の存在を知っていたはずなのだ。それが今では、その事実を認知できていないということになる。

 それが何故かは分からない。しかし、目の前の彼女たちは吸血鬼の存在を知っている。未だに自分をからかうための大袈裟な嘘という線は捨てきれないものの。

「心配しないで、夕美ちゃん」

「この学校で被害に遭った生徒はいないのよ。下校時間を徹底しているから、ね」

 それではまるで、自分がさも恐怖しているようではないか。またも、ふふと笑われては宥められる。完全に彼女たちのペースだった。

 吸血鬼、か。聞きたいことは山ほどある。だが、もしもこれが彼女たちのふざけた冗談であるのなら、これ以上構うのも相手の思うつぼなのではないかと思った。どのみち、これ以上得られそうな情報はない。

「……ご忠告、どうもありがとうございます。先輩方の仰る通り、私はこれで失礼させていただきますね」

 軽くお辞儀をし、くるりと背を向ける。彼女たちが追ってくる気配は微塵もなかった。

 それなのに、背後から妙に低くはっきりとした声が響いて、夕美は思わず足を止めて振り返ってしまう。去っていく足音も聞こえなかったはずなのに、彼女たちはもうそこにはいなかった。

 ――猫山音子に気を付けて。

 彼女たちの別れ際のその言葉は、まるで呪いか何かのように、夕美の頭を離れなかった。

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