7-06
「あらあ……」
お手洗いの前で、麗と音子は危機に陥っていた。
お手洗いの個室にいる間に、係員から避難指示を受けたのだが、慌ててお手洗いを出ると、待っているはずの係員がいない。辺りに人の気配はないため、どうやら他の人たちは既に避難を開始してしまったらしい。
「取り敢えず、姿勢を低くして、ハンカチを口に当てましょう。それから、非常口は……あっちみたいねえ。行きましょう」
麗のおっとりした口調は変わらずだが、提案は至って冷静である。誘導員がいないのであれば、自力で避難する他ないとすぐに判断したようだ。
「あ、でも、優海さんが……」
音子が夕美の名前を出すも、麗は首を横に振る。その様子に音子もはっと気づいた。
「そうね、おそらく避難しているはずよね。綺羅さんの言うとおりだわ。戻るのもリスクだし、非常口を目指しましょう」
二人は誘導灯を頼りに非常階段に繋がる扉まで向かった。しかし、困ったことに、この扉が全く開かないのである。
「おかしいわねえ。鍵はかかっていないはずなのに……それに、何て冷たいの」
麗は鞄から手袋を取り出して装着し、再度ドアノブを回そうと試みるが、扉が開く様子はない。苦戦する麗を見かねて、音子も扉のドアノブに手をかける。全くびくともしないし、麗の発言のとおり、ドアノブが異常に冷たいのだ。
「綺羅さん。これ、鍵の問題じゃないわ。ドアノブ自体が、一ミリも回らないもの。外側から何かで、物理的に固定されているんじゃないかしら」
困ったわね……と音子は呟く。うーんと麗は少し考えて、音子に再び提案をする。
「館内の通常の階段を降りて、二階の非常口に行ってみましょうよ」
確かに、ここにいても誰かの助けがない限り、避難できそうにない。下の階に行った方が安全かもしれない。それに、もしかしたら、一階まで非常階段を使わずに降りたほうが早く建物から出られる可能性もある。音子は、麗に同意する。
二人が階段へ向かおうと非常口から離れた途端、突如として激しい風が吹き荒ぶ。二人は元々姿勢を低くしていたこともあり、そのまま反射的に頭を手で覆って、その場にしゃがみこむ。風が落ち着いたことを確認し、おそるおそる、後ろを振り向いた。
音子は元より大きな目をさらに見開く。非常口への扉とそこから三メートルほどの壁が厚い氷に覆われている。音子たちが扉から目を離した僅かな時間に起こった事象である。何が起きているのか、まるで理解できなかった。
麗も突然の超常現象に困惑していた。しかし、一つ確かなことは一刻も早くこの場所から離れるべきだということである。
「音子ちゃん、ここは危険だわ。見て、氷がどんどん館内に侵食してる……このペースだと館内丸ごと氷付けにされてしまうんじゃないかしらあ……」
そんなことってあるのかしらね……と、麗は驚きを隠せないようだ。実際、麗の申告どおり、氷は館内に向かってじわじわと伸びていっているようである。
ふうむ、と麗は考える。そして、数十秒ほど悩んだ後、火災発生というのは、どうも虚偽の可能性が高いのではないかと判断する。
「ここまで凍っているのなら、火災の発生も怪しいわ。煙や熱い空気もないし……それよりも、早くこの場を離れたほうがよいかもしれないわねえ」
音子も麗に同意だった。ただし、音子は麗と少し違う方向に考えを巡らせていた。
二人は早歩きで通常階段を目指す。途中、音子は改めてゆのとまゆのことを思い出していた。
通常はあり得ない超常現象。生命を脅かす危険な能力。そして、それを操る所有者のこと――。




