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夕美の予想に反して呆気なく帰っていった世良に少々驚きながらも、音子のことを思い出し、夕美は音子へと駆け寄る。
猫山さん、と呼ぶ。そして、大丈夫だった? と安否の確認だ。
音子は一言、問題ないわと答える。夕美は音子の返答に一先ず安堵した。
「何も、彼に従う必要はないんだよ」
夕美は先ほどまでいた世良を思い出し、ため息を吐く。それから、音子に向き合うと、さらに言葉を続けた。
「記憶の、それも前世だなんて、思い出すことのほうが難しいのだから。これはとてもややこしくて、それでいて、極めて繊細なことだと思う」
だから、猫山さん、君が無理をする必要は――。
いいえ、と音子は強く否定した。夕美に対して明確に主張をすることは、これが初めてだったため、夕美は音子に面食らい、言葉を詰まらせてしまう。
そんな夕美の瞳をじっと見つめて音子は主張を続けた。
「前世の話だとしても、それは他でもない私の話なのでしょう。そして、そこには私が負うべき責任があるはずだわ」
もう無関心ではいられないのよ、と音子ははっきりと述べた。
自身が何者なのか、過去にどのような行いをしていたのか、それを知ることは恐怖だ。しかし、自身の知らない物語が他者に影響しているなかで、渦中の自身が何も知らないことも、また恐怖なのである。
夕美と世良が、自身の記憶の回復の先に何を求めているのかは定かではない。しかし、おそらくそれは重要なことなのだろう。転校初日から夕美が音子に近づいてきたこと、世良が学芸会という大きなイベントを乱したこと、それらを考えればきっと。
「猫山さんが望むなら、私はそれに従うよ」
音子の見せた強い意志に、夕美は穏やかに微笑んだ。
「でも、今日はもう帰ろうか」
夕美はちらりとゆのとまゆに視線を向ける。ゆのは、そうよ、帰りなさいよと目で訴えていた。
それじゃあ、と言って夕美と音子は帰り支度のため自身らの教室へと戻っていく。冬は日が短い。辺りはすぐに暗くなりそうだ。
そういえば、どうして私たちは風紀委員に従って、手早く下校しなければならないのだっけ、とふと夕美は気がつく。
「あ……」
優海さん? と音子は夕美に尋ねる。うっかり漏れてしまった心の声に、夕美は、ああいや、何でもないんだ……と笑ってごまかした。
世良の来訪に気を取られてしまったことを、麗に対して少しばかり申し訳なく思う。また別の機会に、あの二人に問い質さなくては。吸血鬼事件が所有者の犯行であると推測する根拠を。
「何だかごめんなさいね。私のせいで優海さんも帰るのが遅くなってしまったわね」
帰り支度を終えたらしい音子は、そう夕美に話しかけた。
「それにあなた、上狼塚さんと赤兎馬さんに、何か用事があったのでしょう? それは大丈夫だったのかしら」
ちょうど夕美が思い出していたことを、音子は心配している。夕美は、大丈夫だよ、と答える。
夕美も帰り支度が済んだところで、バス停まで一緒に帰ろうと音子を誘う。今日はさすがに音子もすんなりとそれを承諾した。
疎らに生徒がいる廊下を抜けて、下駄箱まで歩いていく。半円形アーチの小さな窓から、夕暮れ時の光が差し込む。この時間の校舎の風景を、夕美は気に入っていた。
「でも、一体どうして私を探しにきてくれたの」
ふと気になったことを、夕美は隣を歩く音子に尋ねた。
わざわざ、ゆのとまゆがいる教室まで夕美を探しに来たことに加え、音子が切迫した声で夕美を呼んだときのことを思い出す。世良の来訪に驚いての行動だろうから、深く思考して呼びに来たわけではないのだろう。つまるところ、それは。
「そんなの……」
あなたはそれを私に言わせるというの。
音子のいつもの無表情でいつもの淡々とした声だ。ただそれは、もしかしたら、音子の意地なのかもしれない、とも捉えられる。
「あはは、ごめんね。私も今日は調子が悪いみたい。こんな野暮なことを猫山さんに尋ねてしまうなんて」
そうね、と音子は同調した。素っ気ない様子の音子を、夕美は愛おしいと思う。
下駄箱から外に出ると、先ほどよりも冷え込んでいるように感じられた。さほど時間は経っていないはずなのに。
これから起こることを、夕美は予測できない。夕美は音子の記憶が戻ることを望んでいるが、もはやそれも必要はないのかもしれないと気がつき始めた。もしも世良が音子の脅威になるのならば対処しようと思うが、音子が望んで彼の手を取るのであれば、それを否定する必要もない。
夕美はただ、音子の味方でありたいと思った。それで十分、とも。
これでストック分終わりなので、再開は未定です。六章もこれで終わりです。
ストックできたらまた更新します。




