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独と薬  作者: R.藤間
失われた大切なもの
36/84

6-01

 夕美は昔のことを思い出していた。昔のこと、というのは前世のことである。

 音子にとってそうであったように、夕美にとっても今日という日は大きな影響があったと評価する他ない。学芸会をきっかけとして、前世を巡る出来事が立て続けに明らかになったのだ。

 しかしながら、猫山邸のあの場で、ゆのとまゆ、それから音子には明かさなかったことがある。それは夕美の前世に関わることだ。

 夕美は前世で人魚の姫として深海に生きていた。人間の営みを観察に行った際、偶然助けることになった人間に興味を持ったが最後、魔術の代償で生涯を閉じることとなった。

 前世の記憶を持ってこの世に生まれたからには、前世で成し得なかったことを実現したいと思うのが自然なのだと夕美は考えていた。すなわち、前世で命を落とすきっかけとなった人間との因縁を覆すことにある。

 つまるところ、それこそが夕美が音子に執着する理由である。なぜ転校してきたばかりの夕美が過剰に音子を気にかけるのか。学芸会の配役の一件を考えれば、それはいささか度を超えているだろう。もちろん、前世の記憶を持たない音子にはそれは分からない。しかし、ゆのとまゆは、夕美の前世の詳細は知らずとも、夕美と音子が同じ世界に生きていたことくらいは察しているはずだ。

 夕美は、自身と音子に関わる前世の話を音子に打ち明けることはしなかった。夕美は全てを話すことに臆病になっていて、まだその時ではないと自分を納得させていたのだ。

 全てを話したところで、音子が何も思い出さなかったら――。

 それは酷く恐ろしいことのように思えた。記憶、それも一般人は通常持つことさえない前世のそれを思い出させる方法など、夕美には分からない。けれど、前世に関連する情報をきっかけとしてそれが思い出されることを夕美は期待する他なかった。だから、焦らずにゆっくりと、音子の様子を見守ろうと考えていたのだ。

 偶然か必然か、学芸会の演劇の主題は「人魚姫」だった。この演目を通じて、音子は何かを思い出せるのではないか。そのような夕美の淡い期待が、先の配役の一件を生み出したのである。

 ところで、どういうわけなのかは夕美にも分からないが、夕美の前世はおとぎ話としてこの世に広まっている。ディティールに違いはあれど、大筋は夕美がかつて経験したものである。気がついたときには驚いたのだが、誰かの空想が現実を辿るということも、あり得なくはないのかもしれない。自身が前世の記憶を所持していることに加えて、この点についてはあまり深く考えないようにしていた。

 もしかしたら、ゆのとまゆには打ち明けておくべきだったのかもしれない。ゆのとまゆなら、この事象について何か知っていたのかもしれない。

 それは可能性の話だ。それに、何よりもあの場でこの話を持ち出すことは憚られた。

 学芸会を通しても、音子の記憶に変化は見られなかったのだ。少なくとも、「音子の記憶が戻らない」という事実を生み出してはいけないと夕美は思っていた。それがただの先延ばしだとしても、夕美の手札が「前世を語り明かす」というものしかない以上、それを零にすることは到底認められなかった。

 記憶は何がきっかけで思い出されるかは分からない。夕美でさえ、それは例外ではない。

 思い出す、あの夏の日を。夕美が前世の記憶を取り戻したのは、ほんの数ヵ月前のことだった。 

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