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独と薬  作者: R.藤間
人魚の国
34/84

5-08

 ところで、船着き場を訪れる前、まだ深夜を過ぎたばかりの頃にティーナは一つ魔法を使っていた。魔法といっても対価の必要な魔術よりは軽度なもので、睡眠によく効くカモミールやリンデン、ラベンダーといったハーブを燻して、少しばかりの魔力を用いて煙で町を包み込むというものだった。こうして、人知れず町の民に催眠魔法をかけたのだった。同時に、傭兵たちに知らせた小瓶に入れたものと同じ人魚の涙を燻しているハーブに数滴ほど垂らし治癒魔法を施したことで、この町で流行り病に苦しむ患者を癒したのだった。

「……にわかには信じかたいわ」

 マリーは額に手を置くと、ため息を吐いた。

「ああ、だけれどね。とても信じられないけれど、目の前のあなたの姿は現実なのよね。だとしたら、あなたのその空想のような物語もきっと真実なのでしょう……それだったら、教えてほしいことがあるわ。領主は何故亡くなったというの」

 額から手を離すと、マリーはティーナをじっと見つめる。ティーナは相変わらず穏やかな微笑みを携えながら答えた。

「彼は……そうね。強いて言うのであれば、人魚の世界に踏み込みすぎたのかもしれないわね」

 人間の語り草は意外にも正しく、人魚の涙は万病を癒す妙薬としての効果を有している。一方で、人間の身体を蝕む毒薬でもあった。

 人魚は希少な生物である。人魚には魔力が備わっており、それは人魚の身体に不思議な効能を与えていた。人間世界における人魚の涙や血肉に纏わる伝承がそれである。その効能に魅せられた人間は、人魚にとって脅威だった。

 だから、薬となる人魚の身体も、天敵に対しては毒となる。何の病も持たない、ただ人魚を捕獲して、その好奇心を満たし、願わくは人魚の効能に肖り永遠の命を手にしたい――そのような者が人魚の身体の一部を口にすれば、たちまちにその者の命は脅かされてしまう。

「じゃあ、領主は……」

「ええ、そうよ。民を救いたい、町から病を消し去りたいというのは最初こそ本心だったと思うわ。けれど、人魚を信じるあまり、いつの間にか目的がすり変わってしまったということね……いつの時代も、人魚に魅せられた人間の末路は悲惨なものよ。いいえ、人魚でなくとも同じね。何でも願いが叶う夢のような存在を前に、自身の欲に溺れてしまうかそうでないかは、その人の真価次第ということなのよ」

 見た目は少女ながら、ティーナはどこか大人びたことを言うのね、と思うくらいにはマリーは冷静さを取り戻していた。

「それで、結果はこんなことになってしまったけれど。ああ、そうね……朝方の訃報についてはお悔やみ申し上げるわ。でも、これもね、私たちが生きていくためにはどうしようもないことなのよ。別に、その正当性について議論するつもりはないわ。ましてや、人間と全面的に争いたいなんてことは全くないのよ。それなら、こんな隠密に事を進めたりはしないですもの……そうそれで、結果的に私は願いを成就させることができたから、私は人魚に戻ることができたわ。私の行いにあなたが加担してくれたというわけではないし、罪の意識を感じさせたら申し訳ないけれど、あなたが私にしてくれたことに対してはすごく感謝しているのよ。それから、あなたのハーブティーは美味しかったわ。改めてお礼を言わせてくださいな。ありがとう、マリー」

 ティーナはやはりよく喋る。たった一日であったが、ティーナのこのお喋りにもマリーはだいぶ慣れてきていた。

「あなたの言いたいことは十分に分かったわ……けれど、お礼のためだけにわざわざここまで戻ってきたというの」

 疑問に思っていたことを口にすると、ティーナは、そうだったわね、私ったら肝心なことを忘れていたわ、と思い出したように頷いていた。

「ねえ、マリー。あなた、人魚の国には興味はある?」

 唐突な質問に、マリーは戸惑ってしまう。()()()()()というのは、自身に対して何を求めているのか。マリーにはさっぱり分からなかった。

 マリーが沈黙していると、ティーナはさらに続ける。

「あなた、魔女の素質があるわ。私たち人魚は生まれながら魔力を持っているのだけれど、人間にも稀にいるのよね……そして、あなたはきっとそうだわ」

 マリーが魔力を持っているとティーナが気がついたのは、自身の足を治療してもらったときだった。本来、魔術の弊害による事象に対して、通常の医療は効果のないはずであるが、マリーは完全でないながらもティーナの足を治してしまった。それは、ティーナが町全体に催眠と治癒の魔法を施したときと同様に、マリーもまた無意識のうちに自身の魔力で魔法を使っていたのである。

「私、人間の世界にはとても恐ろしいことがあると聞いたわ。魔女狩りといってね、何かが原因で国が傾いたときに、調和のために怪しい女性を見つけては火炙りにして処刑してしまうの。根底にあるものは今回の流行り病と人魚信仰の関係と同じよ。皆、誰だって安心がほしいのね……それはそうとして、私、あなたにはそんな辛い目に遭ってほしくないわ」

 だから、人魚の国で生きていきましょう。私たちと同じ時間を生きましょう……。

 ティーナは祈るようにマリーにお願いをする。一方のマリーは、あまりにも話が飛躍していると思っていた。ティーナの気持ちは純粋に自身の身を案じるものであることはよく分かった。この先、魔女狩りが行われるのかどうかも定かではなく、加えてマリーが魔女だと疑われて火炙りの刑に処されるのかももちろん定かではない。そうそう、自身に魔力が宿っているとティーナは言うが、それは果たして本当なのであろうか――。

 そう、これは極端な話なのだ。冷静な人間ならば、考える間もなく到底受け入れられない話だ。

 ただ、領主が人魚に魅せられたように、マリーもまた不思議なオーラに捕らわれていた。

 吸い込まれるような海の色――碧の瞳は潤み、白金の髪は波のように揺れ動く。長い繊細な睫毛に薔薇色の頬。夕日に照らされた下半身の鱗は宝石のように煌めいている。

 結論として、それが全てだった。たったの一晩のうち、世界はひっくり返ってしまう。それはマリーも例外ではなかったというだけのことである。

ストック切れのためまた暫く亀更新です……すみません。

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