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独と薬  作者: R.藤間
人魚の国
33/84

5-07

 患者に異常は見当たらなかった。経過観察や昨晩の話の聞き込みなどを行い、夕方に差し掛かる頃には仕事が終わってしまった。昼夜を問わずに働いていた昨日までとは大いに違う。

 マリーはふと昨日のことを思い出した。昨日彼女と出会った岩場にもう一度行ってみよう――マリーはそう思うなり海へ行くことに決めた。

 しかし、そこで待っていたものは何もなかった。事はそう都合よく進まないか……と諦めて、マリーは引き返すことにする。ああ、せっかく足場の悪い岩場を登ってきたというのに。

「マリー」

 背後から、うっすらと声が聞こえた。振り返ると、見覚えのある彼女が海の中から顔を出している。それから、すいすいと彼女は岩場へ向かって泳ぎ進んでくる。

「あなたは勘がいいわね。私、きっともう一度あなたに会えると思っていたわ」

「そんなことより、ティーナ! あなたは……」

「ああ、どうか焦らないで。分かっているわ。私、あなたに説明するためだけに此処へ来たのよ。大丈夫よ、落ち着いて」

 マリーは捲し立てたい気持ちを抑えて、どうにか()()()口をつぐんだ。ティーナは相変わらず海の中にいて、岩場へと上がってくる気配はない。

「マリー。たったの半日だったけれど、私はあなたのことを……そうね、好意的に思っているの。あなたは都合のよいお人好しなんかではなく、きっと思慮深くて慈悲のある人なのよね。あなたの優しさに私は感謝している。だから、あなたを信じているのよ」

 何故ティーナがそのような話を海の中からするのか、この後すぐにマリーはよく理解することとなる。

 ティーナは岩場に手をかけると、腕に力を込めて身体を陸へと引き寄せる。海から現れたのは虹色に反射する綺麗な――たくさんの鱗だった。ティーナが岩場の端に腰かけると、しなやかな尾が露になった。それは夕日に照らされて煌めいている。

「どうか、そのまま聴いてちょうだい」

 ティーナがこの町へ来た目的はただ一つだったのだという。それは人魚信仰の抑制だった。

 ティーナの住む国は海底の人魚の国。人間たちは脅威であり、特にここ最近の人間たちの人魚への執着には警戒心が高まっていた。どうにか人魚への関心を途絶えさせるべく、ティーナは陸へと派遣されることとなった。その時、自身の自慢の長い髪と引き換えに人間の足を手に入れるための魔法をかけた。同時に、この魔法を解くためには、願いを成就させねばならない。人魚信仰の抑制――それが成し遂げられなければ、ティーナの身に不幸が訪れるというものである。

 魔法は完全ではなかった。歩く度に足はズキズキと痛み、とてもではないが歩行することは困難だった。どうしたものかと岩場で困り果てていたところ、遠くに人影を見つけた。それがマリーだった。彼女を呼ぶことに全く躊躇いがなかったわけではない。このような岩場で若い女が一人で倒れているのは、何とも怪しいことに違いないからだ。しかし、この機会を逃せば誰かの助けを借りられる保障はなかった。そういうわけで、マリーを選んだのは偶然で、事がどう転ぶかは完全に運任せだったのである。

 完全でない魔法、言ってしまえば呪いのような現象による痛覚に、薬が効くはずはない。

 マリーの親切にあやかることになった後、彼女に処置をされながら、ティーナは失礼にもそんなことを内心に抱いていた。そうして、少しの会話をした後に、ティーナはマリーの家で一人過ごすこととなる。

 何か、人魚信仰について情報を収集しようと立ち上がる。驚いたのは、どういう原理か、足の痛みが幾分和らいでいることである。ティーナは不思議に思いながらも、あまり深く考えずにそのままマリーの家の本を拝借することにした。

 この後は、思っていたよりも事はトントン拍子に進んだ。マリーから領主や病のことを聞き出して、ティーナはマリーの眠っている内に成すべきことを片付けることにした。

 まだ真っ暗な明け方にティーナは海を訪れると、出航準備をしている領主とその傭兵たちを見つけた。

「どうもお疲れ様でございます、皆さま」

 ティーナが軽やかに船着き場へと近づくと、傭兵たちは明らかに怪訝そうにティーナの進行方向を防いだ。

「こんな時間にお嬢ちゃんが一体何の用だってんだ」

 無精髭を生やした小柄の男が少々威圧的に尋ねる。

「私も人魚を探している者です。姉が流行り病に罹ってしまったもので途方にくれているのですよ。それで、最近は人魚を探しにこうして時折浜辺に出ているのです」

 ティーナとしては、ともかく傭兵たちの共感を誘う状況を演じるしかなかった。どうにかして、この十分に怪しいところを誤魔化して領主に会わねばならない。

「それで、今日。ついに人魚の痕跡らしきものを見つけたのです。ただ、最近になって探し始めた新参者にはよく分からないものですから、もし可能でしたら人魚に明るい貴殿方にご確認いただけないかと……」

「なんだって? その人魚の痕跡ってのは……いや、にわかには信じがたい。俺たちはもう数ヵ月もこうして海を探しているってえのに、これまで何にも出なかったんだ。お嬢ちゃんの勘違いじゃねえのかい?」

 そうは言いつつも、男は声をかけて二人の傭兵を連れてきた。どうやら、自身は持ち場を離れることができないらしい。そうして、ティーナはその二人を引き連れて、出航準備中の船から少し離れた浜辺へと向かう。そこには、浅瀬にいる魚のものとは明らかに異なる大きな虹色の鱗が数枚と、透明な液体の入った小さな小瓶が転がっていた。

 これには傭兵二人の様子も変わり、一人は船へと戻っていった。人魚の居た痕跡としては非常にあからさまであったのだが、彼らは人魚の捜索に躍起になっていたため、このような演出にも大真面目である。

 やがて、あっさりと領主も現場にやってきた。領主の表情はまるで何かに取りつかれているかのようで、血色の悪い肌に光の宿らない虚ろな目付き……といった具合である。その割りに目は血走っているものだから、おそらく夜も眠れていないのかもしれない。

 そんな領主も人魚の痕跡らしき鱗には目を見開いてまじまじと見つめていた。良い歳をした大人が何人もこの嘘臭い僅かな痕跡に頭を悩ませている様子を、ティーナは内心おかしく嗤ってしまうが、ここは正念場。せっかく現れた領主に、ここで人魚探しを諦めさせねばならないのだ。

「ええ、私も冗談じゃないかと思うのです。こんな都合のよいこと、起こりうるわけないでしょう? でも、私は姉の病が治るのならば何だってしたいのです」

 そう言って、ティーナは見るからに怪しい小瓶に手をかける。

「人魚の涙は、万病を癒す妙薬と謳われています。もしも、これがそうであるなら……」

 ティーナは浜辺に落ちていた貝殻の破片――割れて鋭く尖っている――を拾い上げると、()()()自身の腕を傷つけた。引かれた一本線から赤い血がうっすらと滲む。そして、小瓶の栓を引き抜く。その様子から、傭兵の一人はティーナがこれから何をしようとしているのかを理解した。

「や、やめたまえ。そんな得たいの知れない……毒かもしれないぞ!」

 傭兵の忠告も虚しく、ティーナは小瓶の液体を一滴、自身の舌へと垂らす。すると、どうだろう。滲んだ血を拭い取れば、そこには無傷の肌が現れる。これには驚きの声があがった。

「だ、大丈夫なのか……! そうだ、身体は何とも?」

 驚きを隠せないながらもティーナの身を案じる傭兵に、彼女はゆっくりと頷いて見せる。

「ああ、素晴らしいわ! もう痛くも何ともないんだもの。そうよ、私、このことを早く姉に伝えなければならないわ! それでは、失礼」

 ティーナは小走りに船から離れ、やがて海岸から遠く離れた森の茂みの中へと入っていく。遠くから傭兵たちがティーナを引き留める声が聞こえた。しかし、ああなってしまえば、彼らはわざわざティーナを追いかけやしないだろう。そうして、巧妙に置き去りにした小瓶は、やがて領主の口に入るはずだ。

 ティーナは人気のない岩場へと向かい、そこから海へと飛び降りる。海水に浸かった瞬間、かけていた魔法は解け、ティーナは人魚の姿を取り戻した。

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