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独と薬  作者: R.藤間
役者と舞台
20/84

3-07

 結局、不審者は学校中のどこを探しても見つからなかった。

 夕美と香里奈はそのまま演技を続け、物語はラスト・シーンを迎えた。

 人魚姫が泡となって消えるシーンは香里奈が見事に演じていた。本来、落ち込んでいた人魚姫が王子にナイフを突き刺せないことを自覚し、泡となって消えることを決心した段階で音子から香里奈へと人形劇の役が入れ替わる予定であった。不審者の介入で、その表現が弱くなってしまったことは残念である。

 しかし、全体としては十分だった。客席から送られる盛大な拍手がその証拠だ。最後にクラスの全員が舞台へと上がり挨拶をすると、再び会場は温かな拍手に包まれた。

「何とか終わったわね……予定は狂ってしまったけれど、上手くいって良かった」

「美羽も香里奈もすごいわ。もちろん、皆も。私、不審者をどうにかしたかったけど、全然駄目だった」

「いいのよ、雅。舞台は終わったのだから。それにね、私が冷静さを取り戻したの雅のおかげなのよ」

 美羽は穏やかに微笑んだ。盛り上がる観客席の遠くを見つめる。ああ、本当に上手くいってよかったと美羽は心から安堵した。すっかり緊張の糸は切れている。それほど、必死だったのだ。それゆえに、美羽は不審者のことをあまり思い出すことができなかった。

「そもそも相手はいきなり舞台に乱入してくるような男なのよ。先生も言ったでしょ。捕まえるだなんて危ないこと、しなくて良かったのよ」

 そう言われてみれば、そうなのかもしれない、と薫子は思った。

 それにしても、あの彼は何の意図があってあのような行動に出たのであろうか。結局、夕美と音子と共に少しばかり演じたことに、いったい何の意味があったのだろう。きっと、夕美の元には好奇心旺盛なたくさんの生徒が集まってしまうだろうが、薫子も今回ばかりはその一人にならざるを得ない、とため息を吐いた。



 不審者の捜索のため、人魚姫の公演終了後、急遽三十分の休憩が取られた。休憩といっても、ホール近くの休憩スペースとお手洗いのみの開放となり、それ以外の場所への移動は控えるように言い渡されている。その間に、不審者の噂はあれよあれよと広まり、ホールは騒がしかった。保護者のなかには教師に問い合わせる者もあり、なかなか落ち着かない。

 夕美と音子は休憩スペースの椅子に腰かけていた。自販機三台と屋外用の椅子とテーブルが数台設置されており、外の空気を吸いに来た生徒で少し混雑していた。

「お疲れ様、猫山さん」

 はい、と言って夕美は音子に缶ジュースを差し出した。レモンの炭酸飲料だった。

 音子はどうしてジュースを奢られているのかまるで分からなかったが、素直にありがとうと礼を述べて受け取る。

「いやあ、大変だったねえ」

 そんなことを言って、夕美は本当はどう思っているのだろう。少なくとも、口で言うわりに夕美が大変そうには見えないと音子は感じており、どことなく楽しそうとすら伺える。

 夕美から貰った缶ジュースを開けて、音子は一口流し込む。しゅわしゅわとした炭酸が妙にキツく感じられた。人工的なレモンの香りが鼻を抜けて、何とも爽やかだ。そうして、先程までの緊張の糸がやっと途切れたように思えた。

 公演が終わり、休憩に入ってすぐに教師から簡単な事情聴取を受けた。最も至近距離にいた夕美、音子、香里奈に対しては、何か危害を加えられなかったどうか、大事はなかったかといった安全の確認が優先された。

 それから、クラス全員に対して、まずあの男は誰なのか、知っている人なのかを聴かれる。どちらもいいえで答えれば、何か変わったことはなかったか、気づいたことはなかったかと問われた。

 誰も答えられる者はいなかった。結局、五分程度でクラスの皆が解放され、その後は各々が自由に休憩時間を過ごしている。

「ねえ、本当にあなたは彼のこと何も知らないの」

 音子はつい、違和感をそのまま言葉にしてしまう。夕美は飲んでいた缶ジュースをテーブルの上に置くと、いつも通り笑っていた。

「彼のことは知らないよ、少なくとも」

「少なくとも……?」

「うん、そうだね……ところで、猫山さんは? 彼のことは何も?」

 夕美の言葉に不信感を抱くも、話が逸らされてしまう。それをわざわざ掘り返したところで、おそらく夕美が答えることはなさそうだと音子はすんなりと諦める。

「そうね、私は何も知らないわ」

 少なくとも、と心のなかで音子は呟いた。夕美は、ただ静かに微笑んでいた。それが彼女のいつもの表情だった。

 暗転したとき、彼はホールからすっかりと消えてしまった。しかし、暗転した直後に音子は彼と接触していたのだった。接触といっても大したことはない。すれ違い際に、「また会いに来るよ、猫山さん」と小さく呟かれただけである。

 音子は、そこで彼を捕まえようだとか、声をあげようだとか、そういったことは頭にも浮かばないほど気が動転しており、特別な行動は何も取れなかった。後から思い起こせば、彼が何故音子のことを知っているのか、何故わざわざ音子に声をかけてきたのかは分からない。彼が音子を知っていたとしても、音子には彼のことは何も分からない。それが全てだった。

「そこの二人、もうすぐ休憩時間は終わるわよ」

 馴染みのある声の主はゆのであった。隣にはもちろんまゆもいる。

 彼女たちの姿を捉えての夕美の第一声は、やっぱり来ると思った、だった。

 ゆのとまゆは顔を見合わせる。まゆはふふと笑うと、全部お見通しってわけね、と納得する。

「単刀直入にお聞きします。彼のあの衣装と模造刀、ゆのさんとまゆさんのクラスのものでしたね?」

 ゆのとまゆは否定する素振りも見せず、肯定した。それがどうしたのかしら、とでも言いたげである。

 核心を突いたはずであったのにこうも呆気なく肯定されては、夕美はぎこちなく笑うしかなかった。まるで夕美がおかしなことを言っているようにさえ思えてしまう。

「ふふ……大丈夫よ。私たち、さっき先生たちに散々怒られちゃったんだから」

「まゆの言うとおり。あたしたちのクラスも事情聴取の対象になったの。ま、有益な情報は出せやしなかったけどね」

 夕美はにこやかに相づちを打ちながら、教師たちに心底同情していた。どのようにして衣装と小道具が彼の手に渡ったのかは、夕美が想像できるものではないということだけは自覚できた。

 そして、案の定、ゆのの口からはとんでもない言葉が出てくる。

「理由? そんなの簡単よ。面白そうだったから」

 加えて、まゆの発言だ。

「彼、なかなかイケメンだったでしょ。そんなの、笑顔で頼まれちゃったら断る理由がないじゃない」

 ねー、とお互いに頭を傾けて楽しそうに語る彼女たち。目眩を起こしそうだった。

 夕美はこほんと小さく咳払いをして落ち着きを取り戻す。改めてみると斬新な理由だと思ったが、この二人なら常識の範囲内なのだろうということを理解せざるを得ない。

「そうそう、本題よ。あたしたちね、あなたたちと話をしなければならないわ」

 ゆのは唐突に中身のない本題を切り出した。

「申し訳ないけれど、どんなに待ったところで先生たちや警察では彼は見つけられないの」

 まゆはいつも通りふふと笑っている。彼女の調子から、申し訳なさはあまり感じられない。

 夕美と音子は二人の話を理解できずにいた。いつも二人は肝心なことを話さないし、尋ねたところで回答は得られない。だから、結局二人と何の話をしなければならないのかは「その時」まで分からないのだろう。

「これから起こることを目の当たりにしたのなら、あなたたちはきっと分かるはずよ」

 だから、もう少しだけ待っていてね、とまゆは続けた。

 何かを含んだ言葉を残して、二人は夕美と音子の元から立ち去る。何事もなかったかのように、じゃあね、と手を振りながら。

 取り残された夕美と音子は呆然としていた。夕美は手元の缶ジュースを飲み干すも、まだ喉の渇きが収まらず物足りなさを感じていた。

ストックが尽きたので暫く更新遅延します。

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