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あなたが知らないこと。
あなたのその幸せは、誰かの犠牲によって成り立っているということ。
あなたが知らないこと。
あなたのその幸せは、誰かの涙によって成り立っているということ。
あなたが知らないこと。
幸せの後の、犠牲と涙の結末。
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例えば、今日。世界が終わったとしても、それでよいだろうと彼女は思っていた。彼女にとって、世界や日常といった類いのものはその程度のものだった。ただコツコツと、受け入れるという作業を繰り返すだけだ。コツコツ。コツコツ。繰り返される日常を、脳が受け入れ理解していく。そういうものなのだと彼女は信じていた。
だから、今日。学校に転校生が来たことさえ、彼女にとってそれは当たり障りの無い日常の一つに過ぎなくて。取るに足らない退屈なものだったわけだ。
「転校生を紹介します」
教室の壇上、教師が声を発した。控えめなアッシュブラウンに染めた髪を夜会巻きにしている、三十代前半の若い教師である。髪の根本は数ミリの地毛が覗いているが、スーツジャケットはピシッと整っている。さほど忙しい部類の学校ではないのかもしれない。
後方、窓際の席にて頬杖をついている黒髪の女生徒――猫山音子はいつもどおり、思考は雲の上だった。日本人形を思わせる切り揃った前髪と重たいミディアムボブ、短い薄い眉、そして何よりつり上がった大きな猫目。彼女はどうも、教壇の教師に興味がないらしい。それゆえに、転校生が来たことにさえ、彼女は今の今まで気がつけなかった。
転校生は、優海夕美と名乗った。長身で手足はすらりと伸び、肌の色素は薄く、よく手入れされた豊かな髪が美しい。さらさらとした長髪は金とも銀ともつかず、日の光に照らされて宝石のように輝いていた。
「猫山さんの隣が空いているわね。席はそこにしましょう」
不意に音子の名前が呼ばれた。どうにも、転校生は音子の隣の席に決まったようである。空いている席が音子の隣のみなのだから、それが至極当たり前であることは彼女にも理解できた。
転校生が近づいてくる。彼女は長い髪を揺らし、着席する前に立ち止まる。音子に体を向けると、ふわりと微笑んだ。
「猫山さん、宜しくね」
細く開いた窓から風が吹き込み、彼女の長く綺麗な髪をさらさらと揺らす。微かに潮の香りが感じられた。体の奥底から、どこか懐かしい気持ちが沸き上がってくるのは気のせいなのだろうか。
それは、まだ夏の暑さの残る九月のことだった。