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女性のものではない声――つまり、男性。この学園の生徒ではない何者かだ。音子は驚いてしまい、身動きがとれない。
目に飛び込んできたのは、和服姿の少年だった。少し長い赤茶色の髪が目立つ。得たいの知れない彼は人魚姫と王子の間に日本刀の切っ先を向け、立っていた。もちろん、刀は模造刀のようだった。
脚本と異なる展開に気がついていた夕美はゆっくりと起き上がり、音子の前に出る。こんな時まで動作は王子らしく優雅だった。
『このような時間に来訪者なんて、夢見でも悪いのかい? そうだなあ、貴殿の名前を聞こうじゃないか』
どうやら夕美はこのまま劇を続けるらしい。涼しい顔をしているが、頬を伝う汗から夕美が慎重になっているのが音子にも伝わっていた。
『これは失礼。名乗る名前などございませんが、遠い東の国から参ったのです。船が到着したのが先刻。実は、国王陛下からご子息である殿下の祝いの場に招かれておりましてね』
彼は堂々と台詞を口にしている。ストーリーを崩すことなく、異国の来訪者を装っていた。
『挨拶なら明日でもよかっただろう。何も、こんな真夜中に』
『本日は月が綺麗でございましょう。我が国では、月を愛でる文化があるのです。大陸は離れても、月の美しさは変わりませんね』
彼は観客席の遠くを眺める動作を入れる。まるで月でも見上げるかのように。
『それで、城内を散歩していたら、そちらのお嬢様をお見かけして。こんな真夜中にお一人で出掛けられては無用心と思い、後ろから静かに見守っておりました』
音子は暫く動けずにいた。見知らぬ彼に驚いていたのも束の間、とんでもないことに気がついてしまう。
王子が起きてしまったとなると、人魚姫が真夜中に王子の寝室にいる説明をしなければならない。床に落ちたナイフの説明も。しかし、音子は喋ることができないのだ。
『何ということでしょう。まさか、こんな時間に誰かが訪れるだなんて!』
香里奈が舞台に上がり、スポットライトがあたる。
『そうよ、何か言い訳をしなければ。床に落ちたナイフと私がここにいる理由を……ああ、そうだわ! 私は城内で怪しい人影を目撃していた。それを伝えるために、王子様の部屋を訪れた。ナイフは護身用。これで良いはずよ。さっそく筆談をしましょう』
突然の香里奈の台詞を、とにもかくにも音子は理解するしかなかった。再びライトが自分に当たるまでに。
そして音子は筆談する様子をどうにか再現し、夕美へと繋いだ。
『なるほどね。こんな深夜だ、不審に思うのも無理はない。さぞ怖かったろう』
夕美の言葉に音子はコクりと頷いた。それが人魚姫らしい反応だったかは分からないが、それでも演劇を止めてはならないと思い必死だった。
『事情は分かったから、お引き取り願おうか。明日改めて話を聞こう』
『騒がしてしまったようで申し訳ない。そちらのお嬢様も、怖がらせてしまったことをお詫びしましょう……それにしても、殿下とは随分親しいのですね』
彼は目を細めて笑ったように見せた。含みのある表情である。これには夕美も何かを感じ取ったのか、一呼吸して自分を落ち着かせていた。
『彼女は僕の妹だからね。家族なんだ、親しいことに何か疑問が?』
『そうでしたか。それでは、大事な妹君をどうか手離さないように』
それじゃあ、失礼。彼はそう言うと一礼し、舞台袖へと向かって歩き出す。その間に照明は徐々に暗くなっていき、やがて完全に暗闇へと変わった。




