兄弟としての学園生活の始まり
「おはよう、ロロ!」
いつものように学園に馬車が到着すると間もなく、ロロの恋人のドラフォンが馬車の扉を開けた。
今日もかいがいしくロロの恋人はロロが学園に来るのを外で待ち受けていたようだ。
(ご苦労なことだな)
バレないように心の中だけで鼻で笑うユーリ。
ドラフォンは慣れた手つきでロロをエスコートして馬車から下ろす。
その後ユーリも馬車から降りた。
外ではいつものようにドラフォンに付き添って、ドラフォンの双子の片割れのフィオナ、そして二人の兄である学園の生徒会長のルシファーの姿もあった。
先にロロ、ドラフォン、フィオナが並んで歩き、その後をユーリとルシファーが歩く。
「ロロ、昨日のユーリ様とのお出かけは楽しめた?」
ドラフォンが屈託ない笑顔でロロに聞いている。
人を疑うことなんて知らない、無邪気なまっすぐな笑顔。
(僕にはあの笑顔はできないな)
内心苦々しく思いながら、ロロの想い人の笑顔を見る。
と同時に、彼のようなまっすぐな純粋な少年を相手に、虎視眈々と彼から大切なものを奪うと決意した自分が悪者のように思えてくる。
特に自分は、ロロと一緒に住んでいるのだ。分はユーリにある。
いつものように初等部と高等部の分かれ道まできた。
ユーリが持っていたかばんをロロに渡す。
「ありがとう、ユーリ兄さま」
「ん」
ここで、いつもならお別れのキスを額にしていたが、今日からは違った。
ただ、ポンポンとロロの頭に手を置いただけ。
「じゃあ、また夕食で」
帰りはグラフィス家の馬車で帰るので夕食までは会うこともない。
「じゃあ、ユーリ兄さまもお勉強がんばって」
そう言ってロロたちは初等部の建物へ向かっていった。
「…何ですか」
ユーリはやや不機嫌そうにルシファーを見やった。
ルシファーが何か言いたげに視線だけをやたらと送ってくるからだ。
「『ユーリ兄さま』? ロロ嬢の呼びかけが変わったね?」
何があったのかと知りたがっている。
ユーリはため息をつく。この人には隠す必要もないだろう。隠そうとしてもきっと暴いてしまう。彼はユーリよりも一枚上手だ。
「線引き、ですよ。『兄』と『妹』という関係におさまったんです」
「へえ? だから、今日からはお別れのキスもなかったの? いつもこれ見よがしにドラフォンに見せつけてたやつ」
「…見せつけていたわけではありません。第一、今までは本当に親愛の意味でした」
そう、昨日ルシファーと話をして、ロロと湖で話すまでは、自分のこの想いが恋慕によるものか見分けがついていなかった。8歳も年下の少女に恋なんてしていると思っていなかった。
「『今まで』?」
ユーリの言葉で気になった部分を繰り返すルシファー。
ユーリは頷いた。
そう、今までは頬や額へのキスはあくまでも家族がするものと同じ、親愛以外の何物でもなかった。
これからするキスは違う。見た目は親愛に見せかけたとしても、込める想いは違う。
どれだけさり気なく、さらっとしたところで『心から愛する未来のパートナーへの愛』の気持ちがこもってしまうだろう。
そして、きっとドラフォンにはその変化が伝わる。いくらユーリが覆い隠そうとしても。同じ人間を愛しているからだ。もしキスの瞬間を見たら、溢れるか想いに彼は敏感に察するだろう。
「…僕は、ずっと『兄』に甘んじるつもりはありませんよ」
「ようやく、自分の気持ちを認める気になったんだな?」
『素直になってくれて嬉しいよ』とルシファーはユーリの肩をぐっと引き寄せた。
「…認めるというか、今までは本当にわかっていなかっただけです。初めての感情でしたから」
「そうか」
「でも、気付きました」
ユーリは立ち止まる。
ルシファーと目が合った。
「僕はずっとロロと一緒にいたい」
ルシファーに頭を下げる。
「気づかせてくれて、ありがとうございました。…ドラフォン様から、大切なものを奪うかもしれないのに」
ルシファーは軽く笑った。困ったように目じりを下げる。
「…いや。申し訳ないのはこちらの方だよ。ユーリの奥底の気持ちを察していたのに、弟かわいさにドラフォンに手助けをしたのは俺だから」
「…」
「すまなかった」
ルシファーが頭を下げた。ユーリは慌てる。
この国の三大公爵の一つのグラフィス家の次期当主が頭を下げているのだ。これは焦る。
「やめてください…あなたのような方が簡単に頭を下げてはいけません」
「…俺は、ずるいことをしてしまった。ユーリの本当の気持ちを気付かせて、二人を同じ土俵に上げるべきだと思ったんだよ。ユーリの不戦敗は、あまりに君がかわいそうに思えてきてね」
ルシファーの声は心もとなかった。
ロロとドラフォンが恋人になってから。
毎日のようにユーリを見てきた。
憂鬱そうに生徒会室の窓から二人を眺めているユーリを目にしていた。
この不器用な友人は、自分がどうしてこうも気落ちしているのかいまいち把握できていない様子だった。
気持ちを持て余して、ただ、行き場のない思いに悩まされていた。
一度は弟を優先して弟の恋を助けたが、ユーリの予想以上の脆さに戸惑いを感じると同時に、せめてこの感情が何かくらいは気づかせるべきだとルシファーは思ったのだ。
この不器用な友人に手を差し伸べられるのは、残念ながら器用な自分しかいないだろうから。
正々堂々と争えば良いではないか。
そう思ったのだ。
「まあ、ユーリが自分の気持ちに気づいたとしても、ロロ嬢がドラフォンの恋人であることには変わりがない。ドラフォンはロロ嬢に首ったけ、メロメロに大好きだよ。そう簡単にロロ嬢の気持ちは揺るがないよ」
『残念だったね』とルシファーが言うと、ユーリはフッと笑った。
「わかっていますよ。元から長期戦です。じわじわと攻めていきます」
ユーリの笑顔は作られたものではなく、どこか吹っ切れた感じのする爽やかなものだった。
ルシファーは、結果がどうであれ、皆が納得のいく形に収まれば良いと心から思ったのだった。