4.旅立ちの朝
翌朝。エリーが目を覚ましてから昨夜の残りの熊肉で朝食を済ますと、出発の準備を整える。と、言ってもする事はさほど無い。持っていくものは相棒のマジックバッグと財布、あとは熊の魔石と爪、まだ焼いてない熊肉くらいである。川へ行って顔を洗ったエリーが戻って来た。
『持って行く物はこれだけだ。』
エリーが革袋の口を開ける。
「これ…お金じゃない⁈見たことないお金だけど…。」
『四百年前の金だから使えないかも知れないが。』
「それは大丈夫、だと思う。昔の遺跡からお金が見つかるのは良くある事だから、ギルドで今のお金に換えられるってお姉ちゃんに聞いた事がある。」
『そりゃ助かるな。』
「でも結構な手数料取られるらしいのよ。ほんっとギルドってがめついんだから…。」
ギルドとやらに思うところがあるらしい。
「こっちの袋は?何が入ってるの?」
エリーはマジックバッグを持ち上げる。
『えーとまず俺の予備の鞘だろ。テントだろ、毛布だろ、相棒の着替え、は入って無かったか。調理器具に食器一式と調味料、ポーション類、も無かったな。それから保存の効く食料が一ヶ月分くらいあるけど多分傷んでるからここで処分しておくか。あとは旅するのに必要な細々とした物が色々と入ってる。』
「え?こんな小さな袋にそんなに入るわけ…も、もしかしてこれってマジックバッグ⁈」
『そうだがそんなに驚く事か?マジックバッグなんてそれほど珍しくもないだろ。』
「何言ってんの…ってそうかイオは知らないのか。今はもうそれほど大容量のマジックバッグは作れないの。業魔大戦で魔導帝国が崩壊した時、マジックバッグ製作の技術が殆ど失われちゃったから。バッグ自体は今でも作れなくは無いけど、容量は小さいし入れたら入れた分だけ重くなるしで、実用性が殆ど無いの。実用出来るマジックバッグは大戦以前の遺跡から発掘されるかダンジョンで見つかるものしかないから、需要と供給が釣り合ってなくて、冒険者や商人に引っ張りだこで凄い値段がつくんだって。」
なんとまあ…そんな状況なのか。どうやら業魔共との戦いの傷は四百年経っても癒えてはいないらしい。
『まあそのバッグは四百年前でもかなり値が張った高級品だからな。そう言う状況ならとんでもない値がつきそうだ…おい、売ろうとか考えてないよな。』
「そ、そ、そんな事、か、か、考えてないよ、」
目が泳いでるし動揺を隠しきれてないな。やっぱり考えてたのか。
『まあいい。あとは熊の魔石と爪だ。今の相場は知らんがギルドとやらに持ってけば金になるんだろ?』
「あ、うん。魔獣の魔石や素材はギルドで買い取ってくれるよ。」
『よし。じゃあ財布の金とその魔石売った金でエリーの装備を調えるぞ。剣は俺を使えばいいとして、後は取り敢えず鎧一式揃えなきゃな。』
「え、でもこのお金はイオの相棒さんのじゃ…」
『相棒はもういないし、俺が金を持っていても仕方ないから気にするな。エリーも言ってただろ。先立つ物がなきゃ何も出来ないからな。申し訳ないと思うなら頑張って強くなれ。それなら無駄遣いにはならない。』
「あ、うん。じゃあお言葉に甘えます。…でも…私昔から体動かしたりするのは苦手で…イオを持ち上げる事すら出来なかったのに本当に強くなれるかな…。」
不安そうに言うエリー。ふむ。ここは少し元気づけた方がいいか。論より証拠である。俺は幻体を消して本体に知覚を戻すとエリーに声をかける。
『エリー、俺を持ち上げてみろ。』
「え、でも…。」
『いいからやってみな。』
「う、うん。」
おずおずと俺に手を伸ばすエリー。昨日のように俺の柄を両手で持つとえいっと気合を入れて持ち上げた。
天をつくように高々と持ち上げられる俺。
「え?なんで?昨日は持ち上がらなかったのに。イオ軽くなったの?」
『俺が軽くなったんじゃない。エリーが強くなったんだ。昨日鉄爪熊倒したから格が上がったんだよ。』
「格上昇?これが?」
魔獣を倒す事で人間は強くなる。魔獣が死ぬ際に周囲に放出される生体魔素を吸収することで人間の能力値が強化されるのである。この生体魔素による強化は本来の肉体の限界を遥かに超える力をもたらす。そして強力な魔獣ほど放出される生体魔素は多い。かつて相棒は強い魔獣をひたすら狩り続けたせいで、最終的にその能力値は凄まじい物になっていた。こうした現象を格上昇と呼ぶ。
『どうだ。少しは自信持てたか?剣の天才、なんだろ?』
「あ、もう!言わないでよ、その事は!」
『ははは、じゃあ残りを片付けちまうか。』
マジックバッグから取り出した鞘に俺の刀身を納めてもらう。懐かしい感触だ。傷んだ食料を取り出して捨て、代わりに熊肉を入れる。残りの荷物と金をマジックバッグに収納しエリーの腰に巻き付け、俺を背負って貰えば旅立ちの準備は完了である。
『準備はいいな。よし、出発だ。』
「おー。」
方向を絞って魔力知覚の感知距離を伸ばす。魔力知覚は魔素を介して周囲の状況を感じとる技術である。この技術は極めれば感知できる距離はかなり長くなる。森を抜けさらに行ったところに多数の人間の気配を感じる。これがエリーの住んでいる町だろう。エリーに方向を指示して歩き出す。
(行ってくるよ。)
墓標の大木に向かって心の中で呟く。相棒とはしばしの別れだ。
俺の指示で方向を修正しながらエリーは歩く。歩きながら薬草を集める。昨日集めた分は熊に追っかけられたときに落としてしまったそうだ。このまま手ぶらで帰ると依頼不達成で報酬が貰えないらしい。付近に魔獣の気配は無い。もしいたら昨日熊を倒した要領で狩るつもりである。何にせよ現在のエリーの能力値は低すぎる。まずはある程度格を上げねばなるまい。
休憩を挟みながら歩き続ける。
「ねえ。イオはどうしてあんな所で岩に刺さってたの?」
エリーが聞いてくる。
『あそこで相棒と暮らしてたんだよ。昔はあそこはまだ森の外縁だったんだ。相棒が寿命で死んで、することもないんで自分を岩に突き刺して眠りについた。』
「そうだったんだ。そういえばイオの相棒さんてどんな人だったの?強かったんでしょ?」
『そうだな…相棒を一言で言うなら…駄目人間、かな。』
「だ、駄目人間?」
『喧嘩と酒と博打が三度の飯より好きで、いい男を見つけりゃ問答無用で押し倒す。そんな女を他にどう表現しろと?』
「お、女の人だったんだ…。」
『まあ強さだけは本物で仕事は確実にこなすし、金払いも良かったから取引相手からは評判良かったけどな。あいつは装備とか必要な物には金を惜しまなかったし、借金したり支払いが遅れたりって事も無かった。いつもニコニコ現金払いって奴だ。基本適当なのにその辺だけはきっちりしてたな。』
「そうなんだ。ああ、このマジックバッグとか水筒も高級品だって言ってたよね。」
『まあな。そのかわり余った金があればあるだけ飲んじまうか、博打に注ぎ込むかだったな。あいつ博打は滅法弱くて負けてばっかりでな。そのせいで稼ぎは多いのにいつも素寒貧に近かった。本人は「トータルでは勝ってる!」って言い張ってたけどな。』
「うわあ…それは確かに駄目な人だね…。」
エリーが引いている。俺も言ってて悲しくなってきた。あいつは休みの日にはいつも酒場と賭場を梯子して、一文無しになった上、ぐでんぐでんに酔っぱらって帰ってきた。あの酔っ払いの介抱を何度やらされたか分からない。俺が幻体の扱いに習熟したのはそのおかげである。なんであんなのに死ぬまで付き合ってやったのか。そもそも俺の意思とは関係なく、あの野郎が俺を無理矢理相棒に押し付けたのだ。そのせいで、俺は散々苦労する羽目になったのだ。ああ、あの野郎の事を思い出したら腹が立ってきた。
「でもイオは相棒さんの事好きだったんでしょ?」
ニヤニヤしながら言うエリー。
『はあ?』
ポカンとする俺。
「だって相棒さんの事話す時すごく楽しそうだし。」
何にやついてんだか…ふむ。好き、か。人間の色恋という奴は剣の俺には未だに理解できんが、あの当時相棒は世界でただ一人俺を必要としてくれた。他の連中と比べて役立たずと言っても良かった俺を役に立ててくれたのだ。最初は不満を感じていたが、誰かに必要とされるのは悪くなかった。そうしているうちにいつの間にか相棒と共にいるのを楽しく思うようになっていた。苦労したのも今ではいい思い出、と言えるかもしれない。そうだな、何であれ相棒が俺にとって特別な存在であったのは間違いない。そう思うと腹立ちは治まった。それはそれとしてやっぱりあの野郎はムカつくが。
そんな事を話しながら歩き続けた昼前あたり、ようやく森の外縁が見えてきた。
「で、出られたー!」
涙ぐむエリー。
『泣くこたないだろ。』
突っ込む俺。
「な、泣いてないもん。でも生きて森から出られて本当によかったよー。熊に追いつかれたときにはお姉ちゃんに会えずに死んじゃうんだと思ったし。」
『まだ町までは距離があるんだから気を抜くな。家に帰るまでがお仕事です。』
「なにそれ?」
『相棒の言葉だ。』
「また相棒さん?うふふ。イオは本当に相棒さんが好きだねえ。」
だから違うって。