1.目覚めと出会い
ゆっくりと知覚が戻ってくる。周囲は深い森の中のようだ。…はて、ここは森でも外縁部のはずだが?と思ったがどうやら眠っていた間に地脈の流れが変わったらしい。眠りにつく前より周囲の魔素が濃密になっている。そのせいでこの辺りは通常よりはるかに速い速度で森に呑まれたらしい。相棒の墓標代わりに植えた若木はすっかり大木になっている。木の生育状況から見て眠りについてから数百年は経っているようだ。かつて傍に建っていた小屋はすでに朽ち果ててしまっている。随分長く眠っていたみたいだ。
眠っていた、と言ってもそもそも人間どころか生物ですらない俺が眠る必要はないのだが、知覚と表層思考能力を落とす事で生物の睡眠に近い状態になることはできる。先程の相棒との会話の記憶は人間が眠っている時に見る夢のような物だろうか。
何故今目覚めたのか、と思えばこちらに近づいてくる人間の気配を感じる。眠る前に張った人払いの結界は今も正常に作動している。にもかかわらず侵入して来るとは只者ではあるまい、と警戒していると、
「びええええええええ〜。」
と珍妙な鳴き声が聞こえて来た。あんな妙な鳴き声の獣や鳥がこの辺りに住んでいたか?記憶にはないが眠りについてから数百年も経っているのだ。どんな奴が住み着いているのかわかった物ではないな、などと考えていると人間の気配の後方に魔獣の気配も現れた。
魔獣の気配は通常の獣とは違うからすぐに分かる。
魔獣の気配は真っ直ぐ人間を追って来ている。ではこれは魔獣の鳴き声か、こんな鳴き声の魔獣がいたかな?と記憶を掘り返しているうちに人間の気配が近づいて来た。
「びええええええええ〜。」
…あの珍妙な声はどうやら鳴き声ではなく泣き声だったらしい。人間の気配の主は十代半ばであろう少女だ。青紫の髪を編み込んだ小柄な少女が珍妙な声で泣きながらドタドタとした走り方でこちらに向かって来る。あ、木の根に足を引っ掛けて転んだ。その勢いのままゴロゴロ転がり俺が刺さった岩にぶつかり止まった。額を押さえてうーうー唸っている。どうやらタンコブが出来たらしい。
少女が蹲って動けない間に魔獣が追いついて来た。鉄爪熊だ。その名の通り鉄の如く頑丈で鋭利な長い爪を持つ熊の魔獣である。体躯こそ通常の熊とさほど変わらないがその戦闘力と獰猛さは比較にならない。
少女を見つけた鉄爪熊が吠える。少女は熊に追いつかれたことにようやく気付いたがもう逃げられまい。慌てて岩陰に隠れようとして岩に刺さっている俺に気が付いた。
「け…剣?こんな所になんで?」
少女は一瞬の逡巡の後、俺の柄を両手で掴む。最早逃げられぬと悟り、俺を使って戦うつもりらしい。さて、俺はどうすべきか。俺が抜かれまいと思えば、いかな剛力の持ち主であろうと俺を岩から引き抜くことは出来ない。その場合この少女は鉄爪熊の一撃で引き裂かれ熊の餌食となるだろう。俺にはこの娘をわざわざ助ける理由はない。
だが見捨てる理由もない。女子供の死体などあの頃はそこら中に転がっていた。もううんざりするほど見た。俺の見ているところで死なれるのは不愉快だ。死ぬんだったら何処か他所で死んでくれ。
少女が両手に力を込める。俺は抵抗せずに引き抜かれる。
「ぬ、抜けたっ!」
少女は声を上げ俺を持ち上げようとして、そのままフラフラと俺の切っ先を地面に落とす。
「お、重い…。」
…おいマジか。腕力無さすぎだろ。俺の形状はやや短めの両手剣という奴である。普通の片手剣より長く重いとは言え両手を使って持ち上げられないのはどうなんだ。これでは構える事すら出来まい。
そんなことをやっているうちに鉄爪熊は攻撃の準備を整えていた。両手の爪が一瞬で伸びる。一本一本が短剣の如き鋭さと長さである。
「グオオオオー!」
雄叫びを挙げながら鉄爪熊が飛びかかって来た。
「ひいっ。」
少女は悲鳴をあげながら目を瞑る。…仕方がない。思考速度を加速し時間を引き伸ばす。魔素を糸状にして伸ばし少女の身体の各部に繋ぐ。魔素の糸を介して彼女の肉体を「強化」すると同時に、操り人形の如く「操作」する。手本にして再現するのは我がただ一人の相棒の剣技。少女は目を瞑ったまま俺を持ち上げ振りかぶり、飛びかかってくる鉄爪熊の真正面に踏み込んで剣を振り下ろした。
トン、という軽い手応え。鉄爪熊は振った爪ごと頭から両断され、飛びかかった勢いのまま二つに別れて少女の背後に落下した。
「えっ?」
少女は恐る恐る目を開けて振り返り、真っ二つになっている鉄爪熊を見て目を白黒させる。
「わ…私がやったの…?」
思わぬ結果に少女は呆然としている。
しばしの硬直の後、少女は俺を取り落としてヘナヘナと座り込んだ。どうやら心身共に限界のようだ。
「こ、こ、怖かったようー。死ぬかと思ったようー。」
少女は泣きだした。無理もないが涙と鼻水で顔がひどいことになっている。良く見れば可愛らしい顔立ちだ。美少女と言って良いのだろうが色々台無しである。
しばらくしてようやく泣き止んだかと思えば、転がっている俺と鉄爪熊の死体を交互に見ながら何か考え込んでいる。
「こんなボロボロの剣で…私…もしかして剣の天才なんじゃ…。」
…ずっこける(比喩表現だ)。何を言い出すかと思えば…
『そんなワケあるか。アホかお前は。』
思わずツッコミを入れる。
「えっ?だ、誰?誰かいるの?」
少女はキョロキョロと辺りを見回す。しまった…まあ仕方ないか。
『お前の目の前にいる。』
「えっ?目の前って…。」
『剣だ。お前の目の前に転がってる剣が俺だ。』
「け…剣⁉︎、剣が…剣が喋った⁉︎……うーん…。」
少女は俺が剣である事を認識すると気絶してひっくり返った。精神が限界を超えたらしい。
…おいどうすりゃいいんだこれ。