車消滅作戦、危機一髪~ぼくらは前期高齢少年団~
〜ぼくらは前期高齢少年団第二話〜
一
「えらいことがあったんやてなあ。八ちゃんの兄さんが住んでる家の近所で暴力団がピストル撃ちよったんやて」
喫茶ベルサイユのドアを開けるなり、勝はカウンターの隅でコーヒーを飲んでいる八郎に話しかけた。
「そうやねん。今もママさんとその話してたとこや。あにきは昨日の夜、パンパンて乾いた音を聞いたらしい。でも、まさかそんなことがあったと、気ィつかんさかい、そのままテレビを見ていたんやて。ところが、パトカーのサイレンが、わんわんとあまりにもうるさいので外へ出てみたら、周りはえらい騒ぎになってたらしいわ」
八郎は、早朝のテレビニュースを見ていて、実家近くで事件があったのを知り、すぐさま電話したのだという。
「わしは、朝刊で読んだんや。びっくりしたで、もう。あ、ホットひとつ」
コーヒーを注文しながら、勝は恐ろしげに首をすくめた。
「物騒やなあ。流れ弾でも飛んできたら、えらいこっちゃ。はた迷惑では、すまんでえ」
と、八郎はしかめっ面で答えた。
「しかし、記者て日本語知りよらんなあ」
勝がおしぼりを使いながら、急に話題を変えた。
「何でや」
八郎の問いに、
「そやがな。新聞に『組事務所に拳銃を撃ち込む』て書いてあるんや。拳銃を撃ち込んだら、こんな大きな穴が開きよるで」
と、勝は両手の人差し指と親指で小玉スイカくらいの輪を作った。
「写真で見たら小指の先ほどや。あれは、拳銃で弾丸を撃ったんや。もうちょっと、言葉は正しく使うてもらわんと」
勝は、いかにも自分は正しい言葉遣いをしているとばかりの口調で言った。
「そうか? わしは、それでエエと思うで。『スプレーを吹きつける』て、言えへんか。あれも、正確にいうたら、スプレーで液を吹きつけるんやろ。スプレー缶そのものを吹き付けたら、頭血まみれになるやん」
「そやけど、理屈が合えへんもん」
勝は口をとがらした。
「そんな言葉、掃いて捨てるほどあるわ。並べたろか」
八郎は、待ってましたとばかり“不合理な言葉”をまくしたてた。
「まず、湯を沸かす。これは、水を沸かすが、正しい。湯を沸かしたら蒸発してしまう。穴を掘る、は土を掘らんとあかん。火を燃やすも、薪を燃やすもんやと思うけどなぁ。餅をついたら、糊にでもなりそうや。あれは、餅米をつくんや。頭を刈るというけど、そんなことしたらえらいこっちゃ。首狩族やないで。刈るのは、髪の毛や。赤信号を待つというのを、よう考えてみたことないか。わしら青信号を待ってるんとちゃうんか。赤信号待っとったら、いつになっても道路渡られへんわ」
息をついで、彼は続けた。
「川が流れるは、どうや」
聞かれた勝は、口をとがらせて答えた。
「川が流れるで、どこが悪い?」
「川は、絶対流れへん。流れるのは水や。本当に川が流れるんやったら、大阪駅の北側にあった淀川が大和川を渡って、今日は和歌山県の真ん中に鎮座ましてるなんてことが起こるがな。川ごと流れて来たら、危険でしょうがない。流れてきた川におぼれて、交差点を渡っていた百人が水死なんて記事が新聞に載るで」
八郎の舌は、とどまるところを知らなかった。
「モーツァルトを聴く、て何を聞くねん。モーツァルトの曲を聴くのやないのか。「去年妻と結婚しました」ぁやて? 妻と結婚したら重婚や。独身女と結婚せえ。負けず嫌いは、負け嫌いやないんか。転ばぬ先の杖は、転ぶ前の杖でないと、理屈に合わん。人一倍の努力で、どないするねん。人の二倍働かんかい。この間小説読んでたら『レストランに入った彼女は奥のテーブルに座った』やて。そんな行儀の悪いことするな。ちゃんとテーブルの前にあるいすに腰掛けんかい。人がいっぱい飯食うてるのに、テーブルの上にケツ乗せて失礼やないか。責任者出てこい!」
終いに、八郎は、ぼやきで有名だった漫才師のギャグを盗用して終わった。勝は、八郎のしゃべくりに目をぱちくりさせ、言い返す気力も失っていた。
そのとき、ドアがバタンと開いて、吉造が姿を見せた。
「吉ちゃん、今日はえらい遅いやないか」
渋い表情で吉造はぶつぶつつぶやきながら入り込んできた。よほど気に入らないことがあったのか、勝のあいさつに返事もせず、彼はカウンターにどしんと座った(もちろんカウンターの上ではない)。そして、憤った。
「団地の入り口にいつも赤い車が止まってるやろ。あれ、何とかかならんのか。今も道路へ飛び出した子供がはねられそうになったんや。あんな所に駐車したら危ないくらいわからへんのか、ええ大人が」
差し出された水をぐっと飲み干した吉造に、ママが待ってましたとばかり口をはさんだ。
「いや、この前、出前帰りに持ち主を見かけたから注意したってん。ほな、そのオヤジどない言いよったと思う。こない言いよるねん。ここは天下の大道、だれが車置こうと勝手や。ほかにもみんな止めとるやないか。こう、うそぶきよるねん。それで、けんかになって言い合いしたんやけど、向こうは、途中でアクセルふかして行ってしまいよってん。女やと思うてバカにしよって」
ママは悔しくてしようがないという顔つきで、自分のために入れてあったコーヒーをぐっとのどに押し込んだ。
「近所でもあの車には困ってるねん。路上駐車してるのは多いけど、入り口だけは危ないからと、みんな遠慮して開けてるのや。なのに、あいつだけはお構いなしや。何とかなれへんやろか。あんたらの知恵で」
と、彼女は八郎らに相談を持ちかけた。この前、マナー無視のバス男をこらしめた、彼ら流スパイ大作戦の成果を勝が大げさに吹聴したからである。
「駐車には駐車のマナーというものがあってええはずや。ちょっと考えて車を置くべきやないかと思うねん。警察に頼んでも、四六時中見張ってくれるわけでもないし……」
ママは、ため息をついた。
ここは、世直し三人組の出番である。吉造と勝の二人は、何かいいアイデアがないかと、八郎の顔をのぞき込んだ。
二
まずは、現場の地理を知る。作戦計画を立てるにあたっての基本である。三人はコーヒーを飲み終わると、ざっと五十メートル先の現地に向かった。
三棟の鉄筋アパートが金網のフェンスで囲まれていて、人がふたり並んで通れるかどうかという小さな通用口が問題の個所である。前の道路は駐車禁止になっていないが、入り口のきわに車が止められると、団地内から出ようとする背の低い子供や、道路を走る車の双方から見通しが利きにくい。
付近は団地のはずれで、道の反対側は工場跡。さびの浮いたトタン屋根の建物や、機械類、ポンコツ自動車などが放り出されたままになっている。じっくり辺りの状況を観察した八郎は静かにうなずくと、二人を促し、ベルサイユへとって返した。
顔を見るなり、ママは聞いた。
「どうやった、何かええ方法浮かんだ?」
八郎は、にやっとして答えた。
「まかしとき。その代わり、こんどはママにも手伝ってもらわんとあかんで」
「かまへんけど。どうしたらええのん」
「こうするねん。みんな、こっちへ寄り」
四人は、顔を寄せた。
「あいつの車を消してもうたるねん」
「ええっ! 消すて、どないするねん、レッカー車か何かでよそへ運ぶんか」
勝の問いに、八郎はけいべつの眼を向けた。
「あほか、そんなんしたら金はかかるし、見つかったら窃盗で留置場行きや。そんなことせんでも、うまい方法があるんや。一瞬で手品みたいに、パッと路上からなくなってしまうんや、あいつの車が」
「へーっ、引畑天功みたいやなあ」
「それで、どうするの」
ママも、うれしそうな顔をして尋ねた。八郎は声を落とし、計画を明かした。
「うん、うん。へへっ、あはっ、うふっ、おほっ、あははははは。そらあおもろい。やろ、やろ」
と、またもや衆議一決、計画は実行に移されることになった。
今度の作戦は四人がかりである。「スパイ大作戦」実行グループの紅一点シナモン役として、ママが参加する。TVドラマのシナモンは美人のうえ超グラマー、沈着冷静なスーパーレディーである。ママの方はというと、シナモンというより、体はポケモン、化粧の乗りが悪いときの顔は……、いや、いずれにしても大変な違いではあった。
「今度はちょっと大がかりやよってに、準備が大変や。吉ちゃん、アセチレンボンベと溶接機調達できるか」
「大丈夫や。前に手伝うてた鉄工所に頼んで借りてくるわ」
「ママ、テントの方はいけるやろか」
「うん、店のお客さんにイベント業者がいてるから、都合してもらう」
「まあちゃん、看護婦の制服は?」
「行きつけのコスプレ・サロンで、借りてくるわ。わし、あそこでは、カオやから」
「OK、決まりや。明日から準備にかかろ」
八郎の一声に、全員、
「おう」
と、こぶしを突き上げた。
三
翌朝、三人は必要な機材を手に、例の工場跡地へ勢ぞろいした。
「見てみ、公衆道徳も何もあったもんやないなあ。無人となったら、ゴミ捨て場や。テレビに冷蔵庫、建築廃材まで捨ててあるんやから。自動車も三台あるわ。タイヤやらシートはとっくに持って行かれてしもうてるけど」
嘆く吉造に相づちを打ちながら、八郎は車を調べ始めた。
「このセダン、あいつの赤い車に似てないか」
「ン、どれどれ。そやな、ちょっと似てるな」
「ほな、これにしよ」
二人は品定めをしながら敷地内を歩き回った。この工場は、金づまりで数年前、経営者がトンズラをかましたが、複雑な権利関係のうえ債権者らがもめているため、放ったらかしになっている。建物の扉は開きっぱなし、ゴミも捨て放題だ。
「もう一台の方は、これどうや。色も黒いし、ちょっと細工したら、怖い人らがよう乗ってはる黒い車に見えへんこともないやろ」
「大きさはどうや」
「申し分なしや」
「ほんなら、始めよか」
そのとき、勝が工場の中から大きなベニヤ板を何枚か探し出し、運んできた。
「これで囲んだら、周りから見えへんで」
「十分、十分。上等や」
ベニヤ板を目隠しに、彼らは作業を始めた。車のボディーを車台から切り離すため、吉造は溶接機に火をつけた。青白い火花が車体の下部をはうようにして走ると、間もなく、車は上下に分かれた。
「なるべく、軽うにしてや、運びやすいように。ドアは開かんでええから、くっつけてしもて。ハンドルもいらん。全くの側だけにしてんか。あ、まあちゃん、スモークガラスにするシート買うてきたか」
八郎はてきぱきと、指示を飛ばした。室内やエンジンルームの内側部分を取り払うと、ブリキのおもちゃのような、鉄板製の張りぼて乗用車が出来上がった。さらに、もう一台の車も同様にすると、二台を廃工場に運び入れた。
「これでええやろうか」
と、八郎が差し出したのは、木彫りの上にアルミ箔をかぶせた黒い車の偽エンブレム。玄人裸足でちょっと見には本物っぽい。
「よっしゃ、ほんなら、車の方やけど、こうやって汚れを落としたらそれほど傷んでない。塗料のはげてる所は、マジックで黒くぬって、あとはワックスでもかけたら結構見られるで。これに印をつけたら、そんな車に見えること、請け合いや」
満足げに見ている八郎に、勝が聞いた。
「もう一台は、どうするんや」
「それはまた明日でも処理しよ」
八郎はてきぱきと指示を飛ばし、計画は着々と進んだ。
「さあと。あとは、テントと、看護婦の制服、それにちょっとした医療器具やけど、まあちゃん、その方はどうやった」
「大丈夫。看護婦に、孫が学校で病院の劇をしますんで、とウソついて、空の生理食塩水の瓶と、点滴用ホースをもろうて来た。制服は、サロンの女の子から貸してもろうた」
勝は、得意げにそれらの品々を見せた。
「吉ちゃん、黒のスーツとサングラスは」
「スーツはこれから洗濯屋へ取りに行ってくるわ。サングラスは、この前バスで使うたやつ持ってるから、それでいく」
出来上がった車を見て、
「この車のボディーが、あいつのより一回り大きいというのがミソや。神さん、うまいこと廃車を置いといてくれはった。やっぱり、インモウ、いや天網恢々(てんもうかいかい)疎にして漏らさず、やな」
と、八郎は足の付け根付近をぼりぼりとかきながら、ほくそ笑んだ。
四
翌日、彼らは夜の明ける前、現場に集合した。今日は、シナモン嬢の出番がない。だから、男ばかりである。
彼らは例の車がいつもの所に止められているのを確認すると、人目を気遣いながら作業にとりかかった。別に犯罪というほどのものではないが、お巡りさんに見つかったら不審尋問を受けるのは間違いない。夜間目立たない黒めの服装にスニーカー、軍手をはめて廃工場に忍び込んでいくのであるから、決してカタギがする行動ではない。
しばらくすると、三人は例の黒い車を担ぎ出してきた。そして、それをなんと、かの赤い車に上からかぶせてしまったのである。
赤い帽子の上に、黒をかぶると、黒い帽子だけしか見えない。つまり、下の赤い車は消えてしまったのである。これが八郎のいう手品であった。中が見えないようにするためにも車の窓には、スモークシートが必要だ。
「ほな、吉ちゃん頼むで。わしら悪いけど、ベルサイユで待ってるさかい」
「よっしゃ、まかしといて。うまいことやるから」
吉造は、胸を張った。
二人は現場を離れ、特別に早朝開店してもらったベルサイユで熱いコーヒーをすすりながら、窓から成り行きを眺めていた。
間もなく空が白み始め、ぽつりぽつりとサラリーマンらの出勤姿が見られるようになった。
ママが勝のそでを引いた。
「ほら、出てきよったわ、あの男。車の方へ歩いて行きよる」
たしかに、中年男が車を止めていた所へ向かっていた。三人は身を乗り出すようにして、そちらを見つめた。
黒い車の所まで来た男は、辺りをうろうろ見回した。当然である。前夜車を止めていたところに見知らぬ車が停車していて、自分の車がないとなれば、だれだってまごつくのは当たり前である。行き過ぎてみたり、引き返して考え込んだりしていたが、もちろん納得できず、再び車の所まで戻ってきた。そして、窓からのぞき込もうとしたとたん、
「何や、わしの車に用があるんか」
ドスの利いた声が頭の上から降ってきた。見上げると、スキンヘッドにサングラス、黒背広のおにいさんが、怖い顔で見下ろしている。男はあわてて、身を引いた。
「い、いえ、昨日ここに車を止めていたのが、なくなってるもので、つい」
「つい、何や。それがワシの車と何の関係があるんじゃ。それとも、ワシが、その車を盗んだとでもいうんか。おう、ワレ、はっきり言いさらさんかい」
「いえ、いえ、そんなこと思うてません。あの車がないと現場へ行かれへんので、工事がストップして……」
「お前の工事なんか知るか。ガタガタぬかしてたらただではすませへんぞ」
彼に対する日ごろの憤りがたまっていた吉造は、本気で大声を上げた。
「すんません。すんませんでした。失礼します」
男は、ほうほうの体で駅前の方へ走り去った。その姿が見えなくなったのを見計らって、八郎らが出てきた。
「うまいこといったみたいやなあ」
「おう、ばっちりや。あいつびびって、小便ちびりそうやった。ああ、すっとした」
「ほんなら、早う撤収せんと。戻ってきたらややこしいで」
三人は、急いで彼の車から、黒い車体を脱がせると、廃工場へ運び直した。
と、そこへさっきの男が、お巡りさんを連れて戻ってきた。
「すんません。路上に置いといたのは僕が悪かったんですけど、急ぎの用で、つい五分ほど止めて戻ってみたら、車がなくなってますねん。もしかしたらレッカー車ででも運ばれたのかなあと思ったんですけど、それでないとしたら盗まれたんですわ。なかったら盗難届を出そうと思うて。ほんまに、あそこへ置いてたのは、今日が初めてで」
真っ赤なうそをつながら、帰ってきたのだが、現場に戻ると自分の車がちゃんと止まっている。
「あれ、ぼくの車がある。何でや。さっきは黒いのが止まってて、ぼくのはなかったのに」
男は、頭をかきながら説明したが、警官の方はうさんくさそうに聞いているだけだった。汗をふきふきの弁明に、お巡りさんも、最後は、まあ車があったというのならええやろう、早う車どけや、と注意し、駅前の交番に引き揚げていった。
男は、ほっとして一時虚脱状態だったが、時計を見たとたん跳び上がり、あわてて車を発進させていった。
工場の陰から一部始終を見ていた三人は、腹を抱えて笑った。
「あいつ、大分考え込んどったで。夢でも見とったんかと思うたんやろな」
勝たちの笑顔に、八郎は気を引き締めるかのように大きく息をして言った。
「明日は、ちょっと手が込んでるから、大変やで」
二人は、分かってるとばかり、大きくうなずいた。
五
次の日は未明から、大騒ぎだった。シナモン嬢の参加があるので、集合場所はベルサイユだったが、勝の借りてきた看護婦の制服がママさんの体にあわなかったのが、トラブルの原因である。
「だれや、こんな小さな服持ってきたんは」
「それでも、コスプレサロンで一番大きい制服やったんやで。ミミちゃんいうて、ちょっと林公美子みたいな感じの子が着てるやつやのに。ママさん太りすぎや」
「そんなことあるかいな、ウチいつでも洋服は九号なんやから」
「うそいうたらあかんで、ママさん。九号いうたら、ウチの娘の服やんか。十九号の間違いやろ」
「何やて、レデエを侮辱するのんか」
二人の言い合いに、八郎が割って入った。
「まあまあ、早うせんと、あいつが出てきて計画がパアになるで。ボタン一つくらい留めいでもええやんか、まあ飛び出すこともないやろ。はよ行こ。早う」
しぶしぶピンク色の制服を着込んだママは、しかし、えもいわれぬ姿だった。筆者はここにおいて、その様子を正しく描写する勇気を持たない。
とにかく、ママには一足遅れて来るよう言い置き、三人がテント一式を担いで団地の入り口に着くと、前日の出来事に懲りず、赤い車はやはり同じ所に止められていた。
「あほやな、こいつは」
舌打ちした八郎は、残りの二人に合図し、車を覆うようにしてテントを張り始めた。
大体、長さは車の倍くらい、幅はちょっと広い程度である。入り口のある前半分の所に仕切をこしらえて、のぞいても車が見えないようにしてある。わきに、八郎が書いた「献血推進運動実施中」という看板を立てた。そこへ、ママさんがやってきた。出張献血の看護婦さんという設定である。
昨日と同じころ、くだんの男がやってきてみると、またもや自分の車が消えている。代わりに献血のテントが建っていて、寄ってきた看護婦が、推進運動のティッシュを渡してくれた。男は泣きそうな顔になった。事実、次の日には泣くことになるのだが。
「すんません、ここに赤い車がなかったでしょうか」
彼の声は、いつものような元気がなかった。なんとなく自信なげで、「ここに駐車して何か悪いねん」と開き直っていたのが、うそのようである。ママの化粧がケバいので、この前言い争いをした相手だとは気づかない。
「いいえ、私ら来たときは、何もなかったですよ。ねえ、先生」
テントをわずかばかり開き、中に向かってかけた言葉に、
「ああ、ないから建てられたんやないか」
と、内からいかにも横柄な口振りで答えが返ってきた。男は、入り口のすき間から中をのぞいた。
内側には、薄く透けて見えるカーテンが引いてあって、その向こうで横になった男がそでをまくって採血中だった。中がうすぼんやりとするよう、手前に紗のようなカーテンをつってあるのが工夫どころだ。そのままだと、仕掛けがばれるので、見えにくくしたのである。
男の向こうにも、ついたてがあって何人かの足が見えるのだが、実はこれ、八郎が描いた絵であった。いかにも人が寝ていて部屋の端までつまっているように見せながら、実際は手前の一人だけが本物で、絵の向こうには車が隠されている。男がもう少しじっくり見ようと体を乗り出したとたん、ママさん看護婦がさっと入り口の仕切りを閉じてしまった。
それを見た男は、がっくりきて肩を落としてしまった。しかし、そのまま、放っておくわけにもいかず、またもや、駅前の交番へと向かって行った。
「よっしゃ、早よ片づけよ」
四人は手分けして、テントを解体、ベルサイユに運び込んだ。
一息ついたとき、男は再び昨日の警官と戻ってきた。
「来よった、来よった。あははは、あの男、またきょとんとして自分の車を見とる。お巡りさん、えらい不機嫌そうやで。また男がぺこぺこ謝ってとるわ。そらそうや、これで二回目やもんな。ジェスチャーでテントの形をつくって、ここにテントがありましてん、て言うてる」
窓際の勝が外を見て解説した。みんなはカウンターでコーヒーをすすりながら、ほくそ笑んだ。
「お巡りさん、あったもんが何故ないんや、て聞いとるんやろな。あいつ、首ひねっとる。大体こんな狭い道で、献血の受け付けなんかせえへんわなあ。そない言うて怒られとるんやろ。お巡りさん、ぷりぷりして行ってしもうたわ」
ベルサイユの前を行く通行人は、窓ガラスにへばりつくように顔を押しつけている勝を気持ち悪がり、道の反対側へ避けるようにして通り過ぎていた。ちょうど、ひょっとこの面をかぶったカエルが平べったく踏みつぶされたのを、下からのぞいたような状態だったからである。それが、にやにやと笑うからよけいに気味が悪い。
「あいつ、また車に乗って行ってしもうたわ。もう、これで、やりよらんのと違うか」
カウンターに戻った勝の顔は、長い間窓ガラスに押しつけていた跡が残って、一方の頬だけがキツネのような形になっていた。
「いや、あいつはアホやから、もう一回くらいやりよる。ちょっとくらい、何か考えよるやろけどな。そやけど大丈夫や。明日でダメ押しや」
八郎は、にやりとしながら自信深げに言い放った。
六
次の日、いつもの所に着くと、さすがに敵も少しは考えたのだろう。フェンスと自分の車のタイヤ部分にチェーンを巻き付け、かぎをかけてあった。これで、盗まれないようにしようというわけである。
「フフン、こんな物で我々の作戦がかわせると思ってたら、大間違いや。チェーンを付けてることが、かえって決定的になるということを、思い知らせてやるんや。ほな、みな、いこか」
八郎は、男のサル知恵を鼻先であざ笑った。
三人が、廃工場へ忍び込んで、引き出してきたのは、二台目の車だった。
すでに車体をガスバーナーでこんがりと焼き焦がし、火災を起こしたようにしてある。
「吉ちゃん、ドアは開けへんように溶接してあるか。それに、窓は?」
「もちろんや。ガラスは内側からロウソクでいぶして、全面ススを付けたあるから、中は全く見えへん。正真正銘のスモークガラスや」
聞かれた吉造は、わしの段取りに手落ちはあれへん、とばかり、胸を張った。
エッチラオッチラ運んで来たボディーを、この前のように赤い車にかぶせ、元の車が見えるタイヤ部分には水彩絵の具やシートの燃えかすをなすり付けた。そして、周囲に炭化物をばらまいた。
「車との間に発泡スチロールのクッション、きっちり挟んだか。ちょっとくらい押したり引いたりしても、ガタガタいわんようにしとかんと、ばれるで」
作戦の仕上げだけに、ここでミスを出すとこれまでの苦労がパーになる。八郎らは慎重にも慎重を期した。自分の乗っている車が燃えたとなると、中はどうなってるか、調べるはずである。そのときドアを力いっぱい引っ張っても、びくともしないようにしておかなければならない。そのため、こんどは下の車のボディーに引っかかるよう、フックを取り付けてある。それだけに、装着に手間がかかるし、外すのにも時間を要する。それが、今回の問題点でもあった。
幸い作業は順調に進み、彼の現れるまでにすべて完了した。
「よっしゃ、OKや。ほんなら、ベルサイユまで撤退や。行くで」
八郎は、みんなに声をかけた。
間もなく夜が明けて、人通りが目立ちだした。みな、焼け焦げた車を横目でながめながら歩いていく。中には車体を揺すったり、手でこすったりしていく者もいた
そして、例の男が出てきた。遠くの方から首を伸ばすようにしていたが、車がちゃんと駐車しているのが見えると、ほっとした表情を見せた。が、近づくにつれ、安堵の顔つきがだんだん険しくなった。目の前に来た彼は、しゃっくりを止めるため背中をたたかれ、くわえていた饅頭を地べたに落としたときの子供のような――つまり、怒ったような泣き出しそうな、複雑な顔をした。
男は車の前で硬直したように、しばらくたたずんでいたが、徐々に体が震えだし、錯乱状態のようになってドアをガタガタと引っ張り始めた。だが、開かない。中をのぞこうとしても、真っ黒で何も見えない。
それでも、まだ目の前にある現実が信じられなかった。昨日、おとついは二度も車を取り違えてしまった(と彼は信じている)。もしかすると、今日も間違えているのかもしれない。これは、自分の車でないのではないか。
気を取り直し、車の裏側へ回ったとき、その一抹の望みさえ無残に断ち切られた。前夜、自分が取り付けたチェーンをフェンスとの間に見たのである。その瞬間、彼は突然泣き声とも叫びともつかぬ大声を発したかと思うと、またもや駅前の交番に向かって全速力で走り出した。
一部始終を見張っていた八郎は、店内にいた皆に声をかけた。
「あいつ、走って行きよった。また警官呼んで来んうちに、片付けてしまわんとあかん。今日はちょっと時間かかるから、急ごう。ママさんも頼むで」
四人は、大急ぎで車の所まで駆けつけて、撤去を始めた。
「まあちゃん、あそこの角のところで見張りをして、あいつらが来たら教えてくれ」
「よっしゃ」
勝が行ってしまうと、八郎と吉造は車体の取り外し、ママはほうきとチリ取りでタイヤや付近路上に落ちた燃えかすの掃除に取りかかった。しかし、あの男が思いっきりドアを引っ張ったためか、フックが車台にかみ込んでいて、なかなか外れない。
「八ちゃん、わし、ベルサイユへ帰ってバールを取ってくるわ」
「よっしゃ、早よ頼むで」
「うん」
汗びっしょりになって、吉造は走って行った。そのとき、勝が息せき切って駆けつけてきた。
「あかん、八ちゃん。あいつ大通りのとこでパトカーつかまえよった。たまたま、巡回しとったんやろ。いま、一生懸命説明しとる。もうすぐお巡りさんと来よるで」
八郎の顔色が変わった。
車体は、まだ外れない。敵は、ついそこまで迫っている。進退まさにきわまれり、メンバーのわきの下を冷や汗が流れた。唇をかんで、周囲を見渡した八郎の目に、道ばたにあった工事用の車止めが映った。工場敷地には、薄汚れたヘルメットが落ちている。
「まあちゃん、あのヘルメットをかぶって、車止めを持って走れ。ほんで、あいつらここへ来るのを遅らすんや」
緊張が、いつもは感の鈍い勝を変えていた。瞬時にその意味するところを悟った彼は、道具を持って、元の曲がり角へとって返した。そして、車止めを道路の中央に置き、ヘルメットをかぶり直したところへ、赤い車の男も乗ったパトカーがやって来た。
「なんや、道路工事か」
警官の一人が、助手席の窓越しに聞いた。燃え焦げた車体を扱うので、勝は昔使っていた作業服を着ていたのが幸いした。いかにも、工事現場のガードマンといった出で立ちである。
「すんまへん。この先曲がったとこの路面をはがして、今アスファルトをトラックから下ろしたところですねん。通ってもろうても良ろしおまんねんけど、車がどろどろになりますし、腹がつかえて動けんようになったら、ことですよってに。お急ぎでなかったら、向こうの道を行ってもろうたら、ありがたいんでっけど」
「そんな工事の話聞いてなかったけどなあ」
運転していた、もう一人の警官はいぶかしげに首をひねった。
「いや、近所から文句が出まして、急に決まったんですわ。最近は役所の方も機敏に対応するようにしてますので」
勝は、うまくごまかした。
「しょうない。別にいま車が燃えてるわけでもないし、あわてて行くこともないやろ。池を迂回せなあかんけど、あっちから行こ」
案外簡単にパトカーはバックを始めた。工事の邪魔をせんといたろという気持ちよりも、車についたアスファルトの塊やカスを掃除する煩わしさを想像したからだろう。
後戻りしたパトカーがたばこ屋の角を曲がり終えたのを見届けると、勝は道具を担いで現場へとって返した。作業はあらかた終了し、ママさんの掃除も終わっていた
「おおきに、まあちゃん。助かったで。これ運んだら終わりや。そっち持ち上げてえや」
「よっしゃ」
掃除の終わったママと四人で車体を廃工場に運び込み、つぶれかけた扉を閉めたのと、パトカーがやって来たのはほとんど同時だった。
「どれや、その燃えた車っちゅうのは」
パトカーから降りた警官の尋ねる声が聞こえた。首を出して見るわけにはいかないが、ここだとやり取りが丸聞こえである。
「そこの、団地の入り口にある、赤い……」
男のことばは、そこで詰まってしまい、あとが出なかった。
しばらく沈黙が続いた。八郎らは耳をそばだてた。
「どれが、燃えた車なんや」
警官の問いにも男の返事はなかった。
「どないしたんや。車が燃えてしもうたて、言うてたんと違うんか」
二、三度促されて彼は、ようやく口を開いた。
「燃えたと、思うたんやけど」
「燃えたと思うた? それは、どういうこっちゃ。燃えたと思うたけど、燃えてなかったんか。あんたは、自分の車が火事いったかどうか、そんなこと分からんのか」
警官の声が高くなった。戸惑った男が、口の中でモゴモゴつぶやいた。
「そんな、ふろの中で屁ェこいているような言い方せんと、はっきり言うたらどうや。大体、あんたの車はどれや」
男は、しぶしぶ自分の車を指さしたようだった。
「この車やったら、傷ひとつないし、きれいやんか。どこが燃えてるんや」
「いや、さっきは丸焼けになってましてん。そやけど、今見たら、どないもなってえへんねん」
警官は、とうとう怒り出した。
「さっきは丸焼けやったのに、また、元のきれいな車に戻ったいうのんか。いったい、どんな目ェしとるねん。あ、お前ちゃうか。二、三日前から車がなくなった言うて、何べんも交番に駆け込んで来た男いうのは」
問いつめられた男は、むきになって弁解を始めた。
「昨日と、おとついは勘違いやったかもしれまへんけど、今日は確かに丸焦げになってるのを、自分のこの目で見ましてん。ドアを思い切り引っ張ったのも覚えてま。そやさかい、ほら、手が真っ黒になってまっしゃろ。燃えた車に、このチェーンがついているのも、そのときちゃんと確認したんでっさかい。間違いおまへん」
彼の言葉を聞いて、逆に警官が尋ねた。
「チェーンて、何でこんなところに、そんなもん付けてるんや」
「いや、二日つづけて、車両盗に遭うたと思たから、昨日の夜ここへ止めるときにくくりつけといたんです。盗まれんように」
今度は、もう一人の警官が聞いた。
「昨日の晩やて? いつごろや」
「エッ……、よ、夜の八時ごろですねん」
男は自分の説明が事実であると強調したいがゆえに、つい本当のことをしゃべってしまった。
「ほんなら、一晩も駐車したままやったんか。そんなことしたらあかんということ知らんのか」
「いや、それは悪かったですけど、燃えてたのは確かですねん」
あくまでも意地を張り続ける男に、警官も根負けしたようだった。
「ま、とにかく、いっぺん署まで来てもらお。車をチェーンでつないで一晩止めておくなんて、悪質や。それに警官に対して虚偽申告をしたのも問題やしな。まあ、一緒に乗り。その前に、チェーン外して、自分の車を車庫へ入れといで」
「それが……」
「それが、どないしてん。えっ、車庫持っとらんのか」
追及する一人に、他の警官が
「まあ、とにかく本署まで一緒に行こ。どっちにしても、チェーン外しときや。レッカー呼ぶよってに」
と、同乗を促した。
「堪忍しておくんなはれな。昨日、おとついと現場に遅れて得意先からえらい怒られましたんや。今日遅刻したら商売パーでんがな。もう、交番へ駆け込んだりしまへんから。お願いでっさかい。とほほほ」
男は、とうとう泣き出してしまった。だが、警官らは
「泣いて済むんやったら、警察要れへん。さあ、おいで」
と、彼をむりやり後部座席に押し込むようにして同行、現場を後に走り去ってしまった。
暗い廃工場から出た八郎らは、からりと晴れ上がった青空の下で、まぶしげに目をしばたたかせた。
「とうとう連れて行かれよった。これで、ちょっとは懲りよったやろ。公衆道徳は守らなあかんということが、身にしみたはずや。多分もうあそこへは、車を置けへんと思うで」
「違反の罰金払うて、レッカー料取られて、そのうえ駐車場も借りんならん。高い授業料についたわ、なあ」
吉造も、笑いながら言った。
「やっぱり、八ちゃん。策謀家や。うまいわ、計画を立てるの」
ママさんが、八郎を褒めたたえた。
「いや、今日の殊勲選手は、まあちゃんやで。あのとき、パトカーを止めてくれへんかったら、いま時分、作戦はおじゃんやったし、反対にこっちが警察に連れて行かれとったかもしれん。まあ、別に大した罪にはならんやろけど」
八郎の言葉に、みんなその通りだとうなずいた。
「いやあ、わしは八ちゃんの指示通りにやっただけや。そやけど、ばれへんかとヒヤヒヤやったわ」
勝は、はにかんだが、確かにみんなの危ういところが救われたのは、彼の功績である。
「そやけど、これで子供らも危ない目に遭わんですむわ」
と、せいせいした表情で勝は言った。
残る三人も、
「そやそや」
と口をそろえ、明るい笑い声をたてた。
(おわり)
〔この物語はフィクションであり、実在の人物、団体とは関係ありません〕
次の作品もよろしく。
●前期高齢少年団シリーズ『ケータイ情話』『ミッション・インポシブルを決行せよ』『秘密指令、目撃者を黙らせろ』『さよならは天使のパンツ大作戦』
●千鶴と美里の仲よし事件簿『尿瓶も茶瓶も総動員、人質少女を救い出せ』『グルメの誘いは甘いワナ』『昔の彼は左利き』
●超短編集『美しい水車小屋の娘』『虹色のくも』『はだかの王さま』『森の熊さん』『うさぎとかめ』『アラジンと魔法のパンツ』『早すぎた埋葬』などもあります。
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