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 顔も体も、どう見たって、どう頑張ったところで男には見えやしない。

 服装も性別を認識しづらいものであるし、この失礼を正当化するわけでもないが、女性と見間違えてしまうのも仕方のないことだと俺は思う。

 それに、お前だってそれはわかっているに違いない。


 残念ながら男だから。

 そう言う表情は、まるで本当に男であることを残念に思っているかのように見えた。

 その前に言っていた、そうと言えばそう、という言葉も気になる。


 幼馴染の女性であって、ずっと友達でいたものだから、それが記憶の食い違いによって恋人へと発展する可能性を恐れている。

 だから男であると偽って、大切な熱も友情に置き換えようとしている。

 心の中だけのつもりだったその仮説が、顔にまで出てしまっていたのかもしれない。

「初めて会ったときにもね、君は私を女だと勘違いしたんだ。それくらいならよくあることだから気にしないんだけど、私が男だって言ったって、君はいつまでも疑ってたや。記憶がリセットされても君が君であるならば、私が男であるという事実を疑っているじゃないか?」

 そんなことを言われたのだった。


 悪戯な笑み、服から覗く胸元が誘惑的で、思わず目を逸らしてしまった。

 相手は男だというのに、俺は何を考えているんだ。

「体の方には全く支障がないんでしょ。だったらさ、これから一緒に温泉にでも行こう。気分が晴れて、喪われた記憶が戻るかもしれないよ」

 呆気に取られているうちに、話が勝手に進められて、いつの間にか俺は手を引かれて外へと連れ出されてしまっていた。



 温泉へ行くってことは、つまり全裸でいるということで……

 何を考えているんだ俺は! 相手は男だぞ!

 そうだ、全裸を見たなら、男だと認識をするほかなくなるのだから、反対にこのような苦しみは消えるということではないか。

 美女に見えてしまっているから、こうして意識してしまっているのだ。


 隣を向けば、複雑な表情で明後日の方向を見ていて、俺の視線に気が付くと、悲しそうな微笑みを浮かべた。ふわりと、周囲に花を散らしつつ、微笑んでみせたのだ。

 満面の笑みじゃないからこそ、惹かれる想いは強いのだろうと思わざるを得なかった。

 惹かれていることを、認めない選択肢は消し去られているようだった。

「大切で、特別で、だけどだれだかわからないんだ。それと、こんなことを言うもんじゃないだろうけど、俺のお前への想いは、男が男に向けるそれじゃない気がするんだ」

 戸惑うような表情をさせてしまって、耐えられなくて、

「ご、ごめん! なんでもないから、忘れてくれ。記憶なんてなくても、大切だってわかるくらいなんだから、つまり親友だったってことだよな。思い出すから、少し待っててくれ」

 なんて誤魔化してしまった。


 気持ちも、事実も、どちらの正解もわからない。

 どこかに正解があるのかもわからない中で、大切とだけ記憶されたお前という存在が、俺には怪しくすら思えてしまうのである。

 それは、お前を忘れてしまうことと同じくらい、重大な罪であることだろう。



「あんまりジロジロ見ないでね。セクハラは今に始まったことじゃないとはいえ、今の君は、本当に心配なくらいの情緒なんだから、くれぐれも気を付けるんだよ」

 やはり正真正銘の男であるようで、躊躇いもなく服を脱いでいき、露わになったその白い姿態は男のものに違いなかった。

 違いないのに、興奮は冷めやらぬのだから俺は異常なことだろう。


 知っているはずのことを知らない。

 この気持ちの悪さと罪とに苛まれて、押し潰されて、逃げる道をなくしてしまっているのだろう。

 それで俺は異常なことにも、男を相手に発情してしまっているのだ。

「私が色っぽいからって、さすがにここで襲っちゃ駄目だからね」

 冗談めかして彼は言うけれど、今の俺にとってはそれも冗談で済むものではない。


 しかし、どうして急に温泉などに誘ったのだろう。

 俺が温泉好きだったから? 男であることを証明するため?

 理由はわからないけれど、この温泉に、俺の記憶のヒントがあるような気はした。



 それにしても、ここは実に極楽の湯だ。

 知っていたことを、知っているはずのことを、今や知らなくなってしまっている俺に、残されたものさえ消してしまおうとする。

 全てを忘れさせようとするような、極楽であった。


 このようなことを考えてしまっている時点で、罪は深いものなのかもしれない。もっと、もっと……。

 抜け出す手段は持っていないし、それなのに逃げる手段を持ってしまっているし、手を伸ばしたって触れることは許されない。

 大切な人と温泉に入る、それほどの幸せを堪能する権利も、今の俺にはないように思えた。


 だってこんなにも大切だって思うのに、だれだかわからないんだ。

 だってこんなにも気持ちいいって、懐かしいって思うのに、どこだかわからないんだ。

 幸せの場所を知っているのに、幸せの理由を知らないんだ。

 知っていたのに、知らないんだ。





 こんな俺には何をする権利もないように思えてしまった。

 不安で、不安で、不安で、不安で、不安で、不安で、不安で、不安で、不安で、不安で、不安で不安で不安で不安で不安で、不安で……。

 不安が指し示すものも、わからなくて。


 忘れてしまった記憶を探すことも不安に思えてしまっているのだから、臆病者で弱虫で、自分勝手な俺なのだろうと思った。

 幸せだからこそ、苛む罪は、あまりにも大きかった。



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