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俺は、だれだ……?
お前は、だれだ。だれなんだ。
知らない。知らない。知らない。
知りたいのに、知りたくなくて、知っているのに、知らない。
心の中で繰り返されている矛盾は、俺の胸を砕くようなものだった。
どうしてお前はそんなに心配そうな顔で、俺を見ているのだろうか。
だって俺はお前なんか知らないんだ。
違う。俺はお前を知っているはずなんだ。
俺は俺のことさえ知らないんだから、お前のことを知らないというだけで、本物の俺はお前を知っているんだ。
それなら、どうして俺は何も知らないんだろう。
自分が何者かわからないというのは、思っているよりも、ずっとずっと大きな恐怖を抱えることになった。
目の前のこの人は、大切な人なんだろうと思う。
お前も俺を大切に想ってくれたのだろうし、俺もお前を大切に想っていたんだろう。
少なくとも、忘れるような相手じゃなかったのだ。
それならどうして俺は忘れたというんだ。
何もわからないのに、自分がひどく悪者のように思えて、何もかもが苦しく思えた。
忘れていることも悪いかもしれないけれど、それ以上に、悪いところがあるように思えてならなかった。
何があったって、忘れてはいけない人が、目の前のこの人なんだ。
わかりやしないくせに、直感がそう告げていたんだ……。
たとえ自分がだれだかわからなくなったとしても、この人のことだけは、忘れるようなことはあってはならない。愛を失っては、ならない。
愛、愛? そうだ、愛。
けれど愛とは何のことなのだろう。
初対面だったとしても、十分に目を惹かれるであろう。それどころか、擦れ違っただけでも目が眩みそうになるほどの、上品で柔らかく優しい雰囲気の美しい女性だった。
愛ということは、忘れて尚も大切ということは、もしかしたら、俺の婚約者か何かなのかもしれない。
よく見れば、お前の目も、熱い愛が籠められているような気がする。
迷わず「お前」と言えるところにも、俺がいかに愛していたのかが伝わって来るところだ。
「違ったら悪いと思うのだが、お前は、俺の彼女なのか?」
「ごめんね。そうと言えばそうなんだけど、ちょっと違う、……かな。だって私は残念ながら男だから」
確信にも近い気持ちでの問いに、困ったように笑って、思いもしない否定が返って来たものだった。
男? 男だと。
この美女が男。普通に考えれば、そんなことは、信じられるようなことではなかった。
それに、いくら美しいからといって、男だというのなら、記憶が消えても胸の奥に残っている、この愛の正体はなんだというのだ。
お前から感じるこの愛は、なんだというのだ。
友情というには、あまりに苦しい気持ちに思えてならなかった。
大切だということは間違えないのに、あゝ本当に、どうして忘れてしまったのだろうか。
どうして忘れてしまっているのだろうか。
俺は、だれだ……?
お前は、だれだ。だれなんだ。