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第51節 蒼穹に走る光

「…さて、我が前で永遠とわの誓いを交わした烏翠の夫とラゴの妻よ。私は烏翠の全ての者の生を司り、妻は同じく死を司る」

 この白烏の言葉を受け、妃神も口を開いた。烏神が表情豊かで人間さながらの雰囲気すら漂わせているのに、人間出身なはずの妃神は、冷たい紫の瞳もそのままに、話す口調も淡々としていた。


「二人はすでに承知しているだろうが、夫となるその者の星辰せいしんを見ると、健康と長寿には恵まれぬと出ている。そなた達が烏翠に戻らず、ラゴで暮らすとしても、またほかの場所に遷るとしても、いずれにせよ瑞慶府よりも気候の厳しい土地で、慣れぬ暮らしとなる。ゆえに夫の寿命は秋の陽が山にるがごとく早く尽き、長く添い遂げることはかなわぬだろう。それでも、夫婦でいることに後悔はないのか?」

「はい」

 迷うことなく二人は頷いた。さらに、敏が言葉を継ぐ。


「それが大義と信じてのこととはいえ、私は王を弑し奉ろうとしたばかりか、結果として主君や友人を傷つけ、苦しませることになったのですから、それだけの代償――神の定めたもうた代償を払わねばなりません。ですが、たとえかりそめの間でも想い人と共に過ごせる幸せに恵まれた。だから、これ以上のことを望む必要はないのです。その運命、つつしんで我が身にお受けいたします」


「ならば良い」

 そこで妃神は初めてふわりと笑った。

「たとえ白駒はっくげきを過ぎるがごとき短い間であっても、幸せにお暮し」


 その言葉を聞き嬉し涙をこぼしたレツィンだったが、同時に心の底をひやりと冷たく掠めるものがあった。

「あの……いいえ、まだ幸せには暮らせません」

「そうです、私達は、瑞慶府にまだやり残したことがあります」

 敏も彼女に同意した。

「何のことじゃ」

「それは……私達の友人、柳承徳のことです。討手として『神の眼』まで追いかけてきて、私達が落ちるのをその眼で見ているので、きっと死んだと思い込んでいるでしょう。それに、我が主君も。彼等には言葉に尽くせぬ迷惑をかけることになってしまいましたが、私達の無事で生きていることを知らせてやりたいのです」

「でもどうしましょう……瑞慶府には戻れないし…」


 そのための手段を考えつくことができず、我知らず上着の袷の紐を手繰っていたレツィンは、あっと気が付き胸元の鎖を引き出した。もちろん、鎖の先についているのは銀の笛である。


「承徳は笛のことを知っています。遠くからでもこの笛の音を聞けば、音の意味がわからなくとも、彼は私達が生きているとだけは知ることができるでしょう。ただ、どうやってこの笛を吹いて知らせるか――いくらなんでも、ラゴの地と瑞慶府は遠すぎます」

「それならお安いこと。大切な宝物をくれた礼に、そなたの願いをかなえてとらそう」

 男神がぱちんと指を鳴らす。一瞬後には、二人の人間と五柱の神は『神の眼』のほとりに立っていた。五色の旗がたなびく石塚の前、二人が身を投げたまさにその場所である。あの嵐はすっかり静まり、兵達は引きあげてしまったのだろう、ほとりには誰もいない。


「わあ…」

 湖を覗き込んだレツィンは感嘆の声を挙げた。湖はあの旅のときに見たよりもさらに青く、美しさを増しているように思えた。


 また男神がぱちんと指を鳴らすと、湖面がすーっと凪ぎ、静謐な水面には俯瞰された瑞慶府が映った。さらに、文字通り「神の眼」は鳥の高さから、だんだんしたに降りていく。

 そして、光山府の正堂の屋根が近づいたかと思うと、なかから人が出てきて階を降り、中庭から空を見上げた。承徳だった。その眼は泣きはらしたのか真っ赤で、表情は虚ろである。


 今だ――レツィンは銀の笛を吹きならした。高く低く、告天子ひばりが鳴くように、人が囁くように、笛の音は水面に吸い込まれていく。すると、承徳の様子が一変した。きょろきょろと辺りを見渡し、いぬのように庭を駆けまわる。そして立ち止まり、驚愕の表情で再び空を見上げた承徳、その唇が「敏」そして「レツィン」の形に動いた。


 男神が最後にぱちんと指を鳴らすと、湖面のなかの瑞慶府も、神々も一瞬で消え失せた。

「…これは返してやるからな。生活の足しにでもせよ」

との、からかうような男神の言葉を残して。あとにはただ、烏翠の男とラゴの女が残っているばかりである。


「…ん?」

 自分の懐に違和感を覚えた敏が、そこからあるものを取り出した。覗き込んだレツィンの眼に、それはつるりとした光を放ち、彼の掌で息づいているように見えた。

「…ラゴの神様が返してくれたのは、これかな」

「多分ね」


「でも、やっぱりこれは神に差し上げよう。俺にはもうレツィンがいるから――真珠は、二粒は必要ない」


 敏はそう言って、天高く真珠を投げ上げた。それは緩やかな弧を描いて飛び、日輪の光を柔らかに跳ね返す。蒼穹そうきゅうに走る一粒の光。目を細めて見守るレツィンの前で真珠は芥子粒のようになり、やがて水面に落ち、ゆっくりと沈んで湖と一体になった。


「ねえ、あなた。もしラゴからも追い出されたら、どこに行く?」

 レツィンは水面に顔を向けたまま、夫に問うた。

「どこでも、行けるところまで行くさ。神がこの世を作りたもうた時には、天の果ても、地の彼方もなかったはず」

「そう。男神様が天の階段を登られるように、私達も千の山々を登り、女神様が星の天蓋の下でお眠りになるように、私達も大空の下で眠りましょう。それだけで充分」

「確かに。…さあ、行こう」

「ええ」


 彼等にはすでに馬も荷もない。だが、二人は微笑みを交わし、手に手をしっかり握り、蓬莱山の方角へ向かって歩き出した。


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