第42節 神籤の行方
太妃は単刀直入に切り出した。だが公主は問いに答えず、唇を引き結び、少女のような上目遣いで母親を見返すだけである。それが太妃の苛立ちを高まらせていく。
「あの剣は誰を狙ったものじゃ?私ではなかろう。そして、海星――いやレツィンは?レツィンはどのような役目を?」
そこで娘は初めて口を開いた。
「お母様、レツィンは何も知らないの。でもさすがラゴ族ね、彼の殺気を察したので、止めに入ったというわけ。まあ、私からすれば邪魔されたというべきだけど……。だから、彼女を責めては駄目よ、何といっても王をお救い参らせたのだから」
「玉荷!」
太妃はつい大声で娘の諱を呼んだが、すぐに自重して相手に囁いた。
「…なぜあのようなことを?あの戯班は本物?」
公主は口の端をくっと上げた。
「戯班は本物といえば、本物。偽物といえば、偽物。彼等はみな、何らかの形で王の粛清で犠牲になった者達の係累ですよ。だから、みな隈取をしているでしょう?彼等は人前では決して隈取を取らないの。女形は声変わり前の少年だし、大人でも、声を潰して本人だとわからなくしてしまったりする者もいて…」
公主は恐ろしいことをすらすらと答えた。太妃の、膝で組み合わされた両手が小刻みに震える。
「…それで、この機会に王を弑し奉ろうと?お前、よもや忘れてはいないだろうね。あの子は私の孫ですよ…」
「ええ、よく存じております、お母様。そして、私の甥でもあります」
「息子である先王に先立たれた私に、孫である現王まで喪えと?お前はこの母親に何という残酷なことを……そもそも、何故…」
その瞬間、それまで良く言えば余裕綽綽といった風情、悪く言えば人を食ったような表情しかみせたことのない公主が、がらりと変貌した。眼は一瞬で血走り、眦は天をも衝かん勢いで上がり、両手は掴んだ膝をも砕きそうである。彼女は喉の奥から声を振り絞った。
「…荘王と文王の築かれた御代を、あの子がいとも簡単に崩していくからですよ!お母様がいくら手を変え品を変え、時には厳しく諫め、時には懇々と諭しても耳を傾けようともせず、君側の奸に政治を委ねて恣にさせ、いまや民は重税で苦しみ、東の市に流れる血の乾く暇などありません。このままでは、この国はどうなりますか?…もう私は、自分を偽って生きることをやめたのです。見て見ぬ振りをして暮らすには、あまりに辛くて…」
そして、俯いた彼女の口から嗚咽が漏れ出た。太妃は呆然とし、手で何かを探し求めているが見つからないようである。レツィンは機転を利かせて、卓上に置かれた青磁の水差しをとって椀に水を注ぎ、太妃に勧めた。彼女はそれを一気に飲み、ふうっと大きな息をついた。
「これに関わっているのはそなたのみか?よもや弦朗君は関係あるまいが…」
「まさか!彼はぼうっとしていても、こんなに無謀なことをする訳がない。でも意外と鋭いから、今回のことは感づいているかもしれませんね」
太妃の眼がきらりと光る。
「では、炎山は?」
鳴海君は今夜の宴には出席していない。たとえ祖母の賀宴であっても、彼はよほど重大な行事でもない限り、滅多なことでは瑞慶宮に足を踏み入れないのだった。
「さあ、どうでしょう?……ただ、彼はいずれ王に背くやもしれません。それはお母様もご存じのことでしょう?」
「さもありなん、あの子なら。……それにしても、宮中至るところ耳目あり。いまは隠せても、いずれことは漏れる――そなた、賜死になるやも知れぬぞ」
「息子に続き、娘まで先立つことになれば、親不孝の極みですわね」
気丈な公主も、さすがに思うところがあるのか、しんみりした口調である。
「そなただけでは済まなくなる、きっと…」
「族滅ですか?」
娘はふふふ、と笑った。
「夫も息子も、すでにその覚悟はできております。あの亭主、頼りないだけの男かと思っていたらどうしてどうして、気骨のあるところを私に見せるではありませんか。思えば、嫌がる私を、彼に降嫁させたのはお母様――今になって、その婿選びの眼力に感服するばかりです。これは皮肉ではありませんよ。私に命を与えてくださったお母様、そしていま私の命はお母様の手中にあります。王にこのことを告げて私の命を終わらせてくださっても、子として決して恨みませぬ」
「そんなこと――できるわけがない!」
ついに太妃が寝台の上に泣き崩れた。公主も涙を膝にこぼし、ひとしきり、母娘のすすり泣きが室内を満たす。
――大義、政略、それが振り回されるたび血が流れ、人の首が刎ねられていく。なぜ他人ばかりか、親子きょうだいで殺し合うことになってしまうのだろう。あの占い師の言葉は本当だった。まさに「人を狩るから、人の血の匂いがする」のがこの都の姿…。
レツィンは胸が張り裂ける思いで、母娘のやり取りを見守っていた。それだけでなく、あることで既に頭が溢れそうな彼女は、思い切ってその懸念を口に出した。
「あの……あの俳優。王を殺そうとした俳優は、どうなりますか?」
母娘ははじかれたように、レツィンを見やった。
「そうじゃ…そなたは身を挺して王のお命を救ってくれたのに、礼も言い忘れていたなんて」
「彼女とあの者はゆかりがあるのですよ、気になるのも当然でしょう」
涙を拭った公主が答え、レツィンに向き直った。
「戯班では刺客となる役を志願する者は多かったけど、神籤で決めたのよ。でも、当たり籤を引き当てた者がそのとたん尻込みをした。成否問わず、必ず命を喪う役だから無理もないけど。でも籤引きは神前で行った神聖なもの、籤を引き直すのも憚られ、どうすべきか戯班も困じ果てたとき、敏がその身代わりを申し出たの」
「…彼は、前から籤運がいいんです」
レツィンは虚ろな声で答えながら、遠い元宵節のこと――彼が自分に籤を譲ろうとしたときのことを思い出した。
「少し不愛想なのが玉に瑕ですが、他人が困っているのを見ると、手を差し伸べてくれるんです。私にもそうでした」
公主は、優しい眼をしてレツィンを見た。
「彼を死なせたくないのね」
「はい、……もと同輩で、かけがえのない友人ですから」
――同輩で友人。確かにそうなのだが、今や自分にとって、敏はもっと大きく深い存在になっている、レツィンはそう思った。
「彼はこちらで匿って、ことが露見する前に逃がしてあげるつもり。だから、安心しなさい」
とはいえ、レツィンの不安は膨らんでいくばかりだった。




