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第27節 凶星流れ落つ

「俺に剣術を?」


 レツィンのその申し出を聞いたびんは驚くとともに、複雑な表情になった。レツィンは慌てて両手を振る。

「あ、いえ、あなたに剣術を教えてあげるとか、そういうのではないの。ただ、このお邸では剣術の稽古をするちょうど良い相手がいないでしょう?いずれ武官になる可能性が高いのなら、私がその稽古の相手になってあげる。華語を教えてもらっているし、婚礼の舞の相方を引き受けてくれた、そのお礼代わりと思って」

 そう言って、彼女は上目遣いになった。

「どう?」


 実際のところ、剣術の「稽古」ではなく「教授」の形になりそうなのは、レツィンもわかっていた。技量はレツィンのほうが明らかにまさっていたからである。彼もそのことに気づいてはいるだろう。

 なので、相手の矜持を傷つけぬよう心積もりして話を切り出したが、やはり誤解されただろうか――彼女は息を飲んで返事を待った。


「礼などどうでも……でも、本当にいいのか?」

 半信半疑の体で、眉根を寄せた敏が聞き返す。レツィンは何度も頷き、また遠慮がちに問うた。

「もし何だったら、……ええと、人に見られず稽古するのだったら、皆が寝静まった夜とか、人のあまり来ない場所でとか、そういうのでもいいわよ?」

「いや」

 敏はきっぱりと言った。

「特に人に隠す必要もない、日中でかまわない。……よろしく頼む」

 レツィンは提案が受け入れられた安堵感こそあったものの、恥じ入る気持ちが沸き起こってきたのもまた事実である。敏にひとつ教えられた、と思った。稽古とあれば、レツィンが敏をしたたかに叩きのめす様だって他人に見られてしまうかもしれないのに、全てを承知のうえで、堂々としていた。


 ――女子であるとか、ラゴ族であるとか。あるいは、恥ずかしいと思っていたり、軽んじていたのは自分自身だったかもしれない。



 それからしばらく経ったある夕方、いつもより弦朗君げんろうくんの帰邸が遅れていた。


 季節はちょうど夏で、他国に比べ冷涼な烏翠うすいでも、その年はなぜか暑さが際立っていた。

 凶兆だ、天変だと陰でささやくものもいたが、人々はそれ以前に、暑いあついと言いながら、井戸で冷やした西瓜にかぶりつき、子供たちは水遊びに余念がなかった。光山府こうざんふでも、主君の許しで交代で蔡河さいがに涼みに出たり、風通しの良い中庭にみな仕事を持ち出していたりした。


 だがこの日、陽が沈んで空が藍色に代わり、涼しい風が吹くころになっても弦朗君は帰ってこない。

「何か急なお仕事か、お話し合いでも入ったのかしら。せっかくお夕食はお好みの、鯉の香草蒸しなのに」

 家令の指示に従い食器を並べながら、レツィンは溜息をついた。

 そこへ、

「主君は王宮を出られたとか、すぐにこちらに着かれるでしょう!」

 先駆けがやってきてあわただしく告げた。しかし、その様子がどことなくおかしかったので、レツィンはトルグや家令達と顔を見合わせた。


 レツィンが表門の近くまで出て耳をすませると、やがて「白峰はくほう」の蹄の音が聞こえてきた。しかし、その音はいつもよりずっと早く、せわしない。

 何かあったのだ、とレツィンが悟る時には、もう白峰が門をくぐるところであった。いつもの鷹揚さに似ず、弦朗君は馬が止まるや否やのところで飛び降りた。


「今すぐ門を閉じ、女子は後房、男子は正堂に揃って詰めていなさい。それから、敏を私のところへ。早く!」


 出迎えの家令に次々に指示を出しながら、弦朗君は正堂に消えていく。

「何があったのだ?」

 荷を下ろし、馬を小屋に引いていこうとする随伴の者に家令が聞くと、随伴が首をすくめ、


「わたしも良くは知らないんでさあ。ただ、偉いお役人がまた数人処刑されそうなんだと」


「何だと?」

「え?」

 家令はもちろん、その場にいた府の者は一様に驚きの声を出した。レツィンも例外ではない。


 ――そうだ、主君は敏をお呼びになっていたけれど、彼の家とも関係があることだろうか。


 嫌な予感がした。そして、閉めたばかりだというのに、邸の門をどんどんと叩く音がする。

「今度は何だ、やかましい…」

 家令が脇門を開けてやると、中に転がり込んできたのは柳承徳だった。

「敏は、……敏はいるか!?」

その声は絶叫に近かった。すぐそばにいたレツィンは、地べたの彼を助け起こしてやった。

「敏?いま弦朗君様がご自分のもとに呼ばれたところよ……ちょっと、何があったの?お役人様がまた処刑というのは本当?」

 承徳はぜいぜいいう息を鎮め、ごくりと唾を飲み込んだ。

「王に対する謀反発覚の疑いで、官位の高下を問わず何人も連行されている。捕えられたのは呉令森ごれいしん、李良、曹大卿そうだいけい、そして趙翼ちょうよく…」

「趙翼?それって…」

 レツィンは絶句した。それはまごうかたなき、敏の父の名であった。


「…どういうことだ、父上が?」


 一同がはっとして声のした方を見やると、敏が突っ立っていた。

「父上が謀反の疑いで?捕えられた?」

 声にも、立つその姿にも、まったく力というものが入っていない。

「敏、……いや、委細はまだわからない」

 承徳は首を振り、家令は敏に正堂へ参上するよう急き立てた。敏は傀儡くぐつのようにぎくしゃくした動きで主君のもとへ向かう。その後ろ姿を見送りながら、家の者達は視線を交わした。


「どうなるのかねえ…」

「柳家の若様の話なら、連行の話は事実だろう。冤罪であればよいが…」

だが、助かることが絶望的な望みだとは、その場の誰もが知っていた。

「さあ、ご命令の通り男子は正堂へ、女子は後房へ、急いで!」


 それから夜になって、レツィンは以下のことを知った。


 このたびの高官による謀反は冤罪云々の可能性を全く考慮されず、詮議を早急に打ち切り、全員処刑のむね王の「聖断」が下されたこと。そして「大逆罪人」の係累である趙敏は自邸には帰されず、当面は光山府の監督監視下に置かれることとなったこと。

 敏はいま、「自省斎」に監禁の身となっている。レツィンは食事を運んで行って扉の外に置いたが、後で回収したその膳には箸がつけられた形跡もない。


――敏はどうなるのだろう。まさか、縁坐えんざで彼の命も?


烏翠に来たあの日、明るすぎる処刑場で見た父親の遺骸と少女――レツィンは敏の「万一」を考えるだけで、それが実現してしまいそうな恐ろしさに襲われ、首を激しく横に振った。


――お願いです、烏翠の神さま、ラゴの神さま。彼をどうか殺さないでください。


 その夜遅く、府の祀堂に香火を灯し、レツィンは祭壇に額づいて一心に祈った。


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