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第13節 氷解

 主君曰く、敏は武官である趙翼ちょうよくの長子だが、父の期待がかけられているのは弟のせいのほうで、ほとんど顧みられることもない。

 だが幸いなことに、翼の弟にかわいがられ、嗣子のおらぬその叔父の養子となることも決まっていたのだが、その叔父は壬辰年に起きた烏翠とラゴ族の小競り合いで戦死した、と。

「壬辰年の紛争は、ラゴにとっても烏翠にとっても、得るものは何もなかった。ただ一つ、私にとっては、君の兄上との知遇を得られたという意味はあるがね」

 その紛争については、レツィンもわずかながら知っていた。というより、そもそもその紛争自体が、レツィンが瑞慶府に送られる遠因ともなっていたのだ。


 ――ああ、それで。


 薄々と気が付いてはいたが、この件に関する承徳の微妙な態度も腑に落ちた。自分とラゴ族は、敏にとっては叔父を殺した仇なのだ。

「でも――」

 レツィンは首を傾げた。

「彼は嫡長子なのに、あえて養子に出されることに?」

 本来、先祖の祭祀を継ぐのは嫡長子であるべきなのだから、極めて異例のことである。と同時に、それだけ父にとって長子への期待の薄さがわかろうというものであた。


「その嫡長子であるだけに顧みられない惨めさ、ラゴ族への敵愾心――それこそが敏のあの態度の理由だと思う。あともう一つ――君はさっき彼と撃ち合って、何か気が付いたことはある?」

 レツィンは少し考え込み、はっと顔を上げた。

「彼の剣さばきは素人のものではなく、きちんと習得されたものだとわかるのですが、――ただ、殿方としては少しばかり膂力よりょくが弱いように思いました」

 自分の鎌を押し返す彼の剣には、十分な力がこもっていたとは言えなかった。弦朗君は頷いた。


「そう、正解だ。彼は小さな頃から病がちでね、でも彼の家は代々の武官、しかも頑健な弟もいる。おまけに何かと彼を庇ってくれていた母も亡くなってしまったので、敏は実家からほとんど期待されていない。まあ、本人はそれを補うべく真面目に働いているけどね。ただ真面目すぎるほどで、承徳しょうとくに爪の垢を煎じて飲ませるか、いっそのこと二人を足して半分に割ればちょうどいいのに、とすら思うよ」

 深刻な話なのに、レツィンは思わず笑ってしまった。

「恐れながら主君、ただでさえ一人でも一筋では行かない彼等なのに、一つにしたら余計手に負えなくなるかと」

「ふふ、確かにね。それに、私なんぞ剣術はからきしなので、あまりとやかく言えたものではないけれども。まあ、そのような状況だから、身体の調子を優先して、承徳と同年なのに敏の出仕を遅らせたのだ。それも、彼の心に傷となっている。そこへ君が――女性ながら剣も馬も上手で、元気で明るい、しかも仇のように思っているラゴ族の姫君が現れたのだから。だからといって、君を貶めて良い理由などありはしないよ。それに、壬辰年の争いで人が死んだのは何も烏翠側だけではない、そうだろう?」


 レツィンは頷いた。彼女自身、それにより係累を何人かうしなっているからだった。

「ただ、彼も愚かな人間ではない、いつか君とも普通に話せるときが来ると思う。もとは彼も朗らかな気性の人間なのだから」


 レツィンは複雑な気持ちで――特に弦朗君の最後の言葉には懐疑的だったが、主人の厚情を汲むことにした。

「何を言われたにしても、私のほうから手を出して、彼に申し訳ないことをしました。また、弦朗君さま、府の皆さまにご迷惑をおかけしました。二度とあのようなことはいたしません」

 改めて頭を下げたレツィンを見て、弦朗君はにっこりした。

「ああよかった。後は敏が君に、君が敏に謝れば、それで丸くおさまる。今朝の取り調べ中、あえて私の前では謝らせなかったのは、二人には自発的に、そして本心から謝罪して欲しかったからだよ。わかるね?」

「はい。二人で顔を合わせたとき、必ず謝ります」

「その言葉を聞くことができて、何よりだ。それに、あの時に敏を一喝して私に従わせることもできたが、そうしなかったのも、同じ理由だ。納得させずに置いたら、また同じ過ちを繰り返すからね」

「ああ――」

 レツィンは、なぜ主君が説得に時間をかけていたのか、やっと得心がいった。

「それから、くれぐれも、私から委細を聞いたことは本人には言わないでおくれ」

「仰せの通りにいたします」


「…弦朗君様、お夕食のお仕度ができました」

 主従が話し込んでいるところへ声がかかった。噂をすれば何とやらで、戸口に立つ人影は敏その人だった。

 彼はレツィンを目にしておもてをこわばらせ、表情を硬くしたのはレツィンも同じだった。二人が顔をきちんと合わせたのは、実に争闘以来だった。だが、彼女は敏を見て胸を突かれた。

 彼の首の周りには、包帯が巻かれている。傷をつけたつもりはなかったが、やはり鎌の切っ先が喉首のどくびを掠めていたようだった。トルグが割って入らなかったらどうなっていたのか――レツィンはそれを考えるだけでもぞっとした。

「お二人で一体何を?」

 弦朗君はにんまりした。

「何でもない。内緒話、もしくはそなたの悪口」

 表情がますます岩のように変じた部下を見て、弦朗君は楽しそうだった。


「さあ、明日は『二人で』劉柴栄りゅうさいえいさまのお邸に、私の書簡と見舞いの品を持って行っておくれ。それが済んだら、二人にきついお仕置きだ」

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