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第10節 霜の上の争闘

 冷え込みの厳しくなってきたある晩秋の朝、後房と正堂の間の中庭で、口から白い息を吐きながら、レツィンと敏は言い争いをしていた。


「だから、そうじゃないって言っているだろ!」

「ああもう、あなたは石のように頭が固いのね、もう少し柔軟に考えてよ」

「後から我が府に来たくせに盾をつくのか」

「後も先もあるもんですか、馬鹿々々しい!」

「あ、いま馬鹿って言ったな!?」

「馬鹿を馬鹿と言ったまでのことよ、どこが悪いのかしら」

「黙って言わせておけば、いい気になって…」

「それはこっちの台詞よ」


 本当に嫌な奴――!


 レツィンは憤懣ふんまんやるかたなかったが、いつぞやの「初めてのお使い」の件では敏に弱味を見せてしまったうえ、何よりこれ以上彼と関わりあうのは心底ごめんだと思ったので、ここは懸命に我慢して彼に背を向けた。


 だが、ことはそれだけでは終わらなかった。


「蛮族のくせに…」


 きっとして、レツィンは振り返った。

「何ですって!?もう一度言ってみなさいよ」

 趙敏はいまや取り繕うことすらかなぐり捨て、顔を赤くしていた。


「我が烏翠うすいに服属したなどといって、何かと逆らおうとする蛮族を、蛮族といって何が悪い!お前だって蛮族らしく、がさつで何かというと、馬、馬とうるさいし」

「許せない!私だけじゃなく、我が一族まで侮って、この…」


 怒りで我を忘れたレツィンは、傍らにおいてあった鎌を掴むと、目にも止まらぬ早業で敏に打ちかかった。

 敏もすかさず腰の剣を抜き応戦したが、レツィンの気迫とラゴ族の戦闘力は敏を上回っていた。敏も決して剣術が不得手な人間ではない様子だが、何しろ相手が悪すぎた。

 慣れぬ得物を使いこなし、撃ち合うたびにレツィンが優位になっていく。歯を食いしばり防禦する敏は一歩一歩、壁際に追い詰められていった。


 庭の敷石から飛び上がったかと思うと、次の瞬間には植え込みの土に生えた霜柱を踏みしだき、彼等は闘い続ける。変種の剣戟に気づいた邸の者達が集まってくるが、二人の間合いをはかりかねて右往左往するばかりである。


 ついにレツィンが鎌の柄で剣を跳ね飛ばし、勢いでよろめき壁に背をつけた敏の首筋に鎌の歯を当てようとした。

 しかし鎌が首にもう少しで届こうとするところ、ひゅっと投げ入れられた火かき棒がレツィンの手元を狂わせた。

 今度は鎌が跳ね飛ばされ、はっと我に返ったレツィンが火かき棒の飛んできた方向に顔を向けると、ちょうどトルグが右手をゆっくりと下すところだった。そこへ、


「――やめなさい!」


 庭中に大喝が響き渡る。二人を囲んでいた人の輪が崩れ、その後ろから朝服の裾をからげた邸の主人が進み出る。


 怒りを顔にのぼせた弦朗君は、レツィンが初めて見るものだった。一同、倉皇として片膝をつき頭を垂れた。息を荒げるレツィンも敏もやっと自分たちの招いた事態を理解し、両膝をついて周囲の者よりもさらに頭を低くした。


「――よりによって同輩が刃物もて撃ち合うなど、我が府を何と心得る?ここを戦場いくさばにでもするつもりか?主命と連枝れんしの法度の二つに背く行い、重く処分する。ただちに二人の手に縄をかけ、正堂に連行しなさい」


 厳しい口調で弦朗君が命を下し終わるや否や、今度は彼の後ろから一つの影が殿舎の階段を駆け下りてきた。


「…今の音は何?我が邸は兵に囲まれているの?王は私達を族滅になさるの?我らを檀山府だんざんふの二の舞になさろうとでも?」


 ぞっとすることを次々と口走るその影は一人の老女で、見れば絹の寝衣を重ね着し、白髪交じりの髪は乱れ放題で風にあおられている。さらに尋常でないのは血走った両の眼と、裸足であることだった。


「おお、顕秀けんしゅうはどこ?王宮からご無事でお戻り?…我が宝…」


 眼前にその「宝」がいるというのに、老女の瞳は相手を映じておらず、ただ虚空のみをとらえている。レツィンは驚きで言葉もでず、ほかの者も例外なしに凍り付くなか、ただ一人動いたのは弦朗君だった。


「さあ、母上…何もご心配なさることはありませぬ。私はここにおりますし、兵にも囲まれておりません。母上が聞かれたのは、干戈かんかを交える音ではなく、邸の者どもの戯れでございます。お心をお騒がせ申し上げまことに恐縮でございますが、どうかお鎮まりあって…」

 「母」と聞いて、さらにレツィンは驚いた。外貌から言って、てっきり弦朗君の母方の祖母か誰かだと思っていたのだ。

 母をそっと抱え込むように支える息子は、耳元で優しくささやきながら一歩、一歩階を登っていく。そして最上段に辿りつくと、弦朗君は振り返って一同を見下ろした。


「私は母上を送ったらすぐに正堂に戻るゆえ、それまでに早く二人を連れていきなさい。ああそうだ、今朝はこの処分がひと段落してから府治ふちに赴くゆえ、その旨使いも出さないと」


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