夏の始まり
夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。――
ジーっとキリギリスか何かの無機質な声が、庭から聞こえてくる。それに合わせて扇風機の細かい音、風鈴の音も時折聞こえる。
家は街からは離れており、夜は静かで、かつひんやりとした風も入り非常に心地が良い。我ながら良い環境に生まれたものだ――
しかし、そう思うのは夜だけであっ、朝昼は地獄。
俺の通う聖徳高校は市街地に位置し、通学には1時間以上かかる。電車通学の為朝は満員電車に揺られ、そこから数10分歩く。教室の席に着くときには汗だくである。1年と少し、毎日通う道だが、一向に慣れない。私立でもどこか近くの学校にしておけば良かったと思うことも一度ではない。それでも、将来的に見ればベストな選択だろうと思い、日々暑さに耐えながらも通学路を踏みしめる。
学校は体育祭、学期末考査も終え、数日後から始まる夏休みに向けてクラスは何か独特な雰囲気に包まれている。
――夏休み、か……。夏休みといえば、海、プール、夏祭りに花火大会、或は帰省、バカみたいに暑いのに山登りをする輩までいるらしい。信じられん。
はっきり、夏は嫌いだ。海、川で水難事故に遭えばどうするんだ。花火は何故夏の風物詩なのか分からないレベル。爆竹なんて年中やってるやつなんて腐るほどいる。山は遭難の危険もある。
それに、何よりも暑いのだ。暑いのは怖い。
机に着くと、タオルを敷いてそこに伏せる。クーラーの真下の席のため非常に快適で気持ちが良い。
俺が暫しの快楽を満喫していると、ポンポンと肩が叩かれる。起き上がって振り向くと同じクラスの小鳥遊悠一がニコニコしながら立っていた。
「隼人、おはよーございまーす」
「ああ、おはよー」
「相変わらず辛そうだねー。いっそのこと引っ越したらどうなの?」
「そんなわけにもいかねーのは、お前も知ってるだろ」
「冗談だよ。それより、もうすぐ夏休みだね」
嫌なワードが出て自然としかめ面になる。それを見て小鳥遊は微笑を浮かべる。
「んなこと言われても、予定なんてないよ」
「ほんと、勉強はたいへんだと思うけど、ちょっと息抜きくらいはしなよ。そのうち潰れちゃうよ?」
「逆にこんなに暑いのに外出る方が潰れるよ」
言い返すと、今度は小鳥遊の方がムッとする。
「そんなこと言ってると、高校生活ふいにするぞ」
「人生ふいにするよりかましだろ」
「屁理屈ばっかだなー。そう言わずに、ちょっとだけ息抜きにどっか出掛けないか?」
「お前と、か?」
「そうそう、いろいろ、人生について語らおうではないか」
「ちょっと気持ち悪い。つーか、どこ行くんだよ」
小鳥遊は「傷付くなー」と多少嘆きながら、俺の机に座った。考えるような姿勢をとりながら続ける。
「そうだねー、あんまり遠いとこは嫌がるでしょ?」
「なるべく近場で、例えば俺の家とか」
「筋金入りだね」
小鳥遊は苦笑した。
しかし、近場で息抜きできるスポットなんて見当つかない。家は割と田舎の方にあるから、そんな施設は皆無といっていい。
俺が考えを巡らせていると、小鳥遊はハッとしたような素振りをして、こちらを向くと、ニヤッと嫌らしく笑う。
「よし、決めた!じゃあ場所と日時は後日連絡致しますので、その方向でお願いしまーす」
「は? え? ちょっと待て」
俺が止める前に小鳥遊はフラフラと自分の席へ戻っていき、近くにいる女子と喋り始めた。
嫌な予感しかしない。妙なとこへ連れて行かれなければ良いが……。
間もなくチャイムが鳴った。気づかないうちに汗は引いていた。