First Game―A little coward's defeat ―
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冷たい床の感触を頬に感じた。
「痛っ……っつーなんだ?」
後頭部の痛み。少し気分も悪い。そんな感想を抱きながら幸市は意識を取り戻した。
「あれ……俺、何してたっけ?」
記憶にあるのは高等学校への通学途中、正史と葵とのやり取りのみ。そこからの記憶がない。
朦朧とする意識を何とか立て直しながら、幸市は少しずつ瞼を持ち上げた。
そして、周りの風景を見渡して幸市は完全に混乱する。
「は?どこだここ?」
そこは真っ白な空間だった。
壁も床も天井もその全てが白色で塗り潰された空間。距離感が掴み辛いが、およそ二十メートル四方程度の立方体状の広い部屋。
しかし、単純に広いだけの空間ではない。
まず、床には大凡五メートル程の間隔で直径一メートルほどの円が正方形状の頂点の位置に四つ描かれている。
また、壁の一角には百インチほどの大きな液晶画面のようなものが埋め込まれていた。
当然、幸市には何が何やらわからない。
「やっと起きたかい?」
「クスクス……」
「……」
声を掛けられ、幸市は自分以外にも三人の人間が部屋の中にいることに気付く。
それぞれ、ラフな格好をしたスタイルの良い女傑といった風体の女性、何もかも見透かしているとでも言うような妖艶な雰囲気を放つ女性、気弱そうなサラリーマン風の男性の三人だ。
しかし、その場には正史も葵もいない。その事に幸市は心細さを覚える。正史の冗談ではないが、本当に幸市はこの場に二人がいない事を寂しく思った。
「え……と……?」
幸市は首を傾げる。まだ状況が飲み込めない。
「まあ分からない事ばっかりだろうけどさ。とりあえず自己紹介しとこうか。私ぁ平林奈美だ。ちなみに四回目。よろしくな。」
そう言って女傑といった風体の女性――奈美はニカッと笑ってみせる。
「クス……外島真帆よ。私も三回目。よろしくね?」
今度は妖艶な雰囲気を放つ女性――真帆がそう言いながら微笑んだ。
「さ、佐藤晋輔……に、二回目……です。」
サラリーマン風の男性、晋輔は今にも逃げ出しそうな声音でそう名乗った。
「えっと……戸田幸市です。あの……四回目とか二回目って何の事です?」
三者三様の自己紹介に幸市は思わず釣られて名乗り返し、同時に自己紹介の中にある理解不能の回数について尋ねた。
「なぁに、気にすることは無い。直ぐに分かる。」
奈美がそう口にした丁度その時、ブォンという不気味な音と共に壁に埋め込まれている画面に映像が映し出された。
『それではゲームを始めましょう』
そこに現れたのは文字。
簡素で味気ないフォントの単調な文字だった。
「このメッセージもそろそろ見飽きたねぇ。」
奈美がその文字を見て不敵に笑い、それが合図であるかのように画面が切り替わる。
『戸田幸市様』
『ようこそいらっしゃいました』
『御参加歓迎いたします』
自分の中の不信感がどんどん膨れ上がっていくのを幸市は感じていた。
「何ですか?これ……」
「クスクス……次に出てくる文字で多分分かるわ。」
「?」
真帆の答えになっていない答えに幸市は首を傾げる。
文字が切り替わった。
『それではルール説明を始めます』
「はぁ!?」
理解できず、幸市は素っ頓狂な声をあげてしまう。
「んなこたぁ良いからさぁ、始めようぜ!」
そんな幸市を尻目に、どこか楽しみを待つ子供の様に弾んだ声音で奈美が画面に対して急かすように言う。
しかし、文字は応えずに切り替わる。
文字が“ルール”を説明し始めた。
『これより皆様に行って頂くのは“爆弾ゲーム”です』
『円の中へ入り、キャッチボールの要領で爆弾を誰かに押しつけてください』
『五分の経過後 爆弾は爆発します』
『時間のカウントは人の手に握られている時のみ行われます』
『その爆弾は衝撃には強い設計となっておりますので』
『取り溢しによる落下での爆発に注意する必要はありません』
『なお以下にあげる三つの行為はルール違反となります』
『ご注意ください』
『円から出る』
『爆弾を六秒以上所持し続ける』
『画面に現れる指示に従わない』
『以上です』
次々と文字が切り替わり、そこまで表示されてルール説明は終了した。
「何だよそれ……」
幸市だって『爆弾ゲーム』と呼ばれる遊戯は幼少時や小学校世代のレクリエーションなどで何度か行ったこともある。罰ゲームを決めて行うと盛り上がるパーティーゲームだ。楽しかった覚えもある。
しかし、このルールではいわば罰ゲームとして“負けたら死ぬ”と殆ど明示している様なものだということくらい幸市にでも分かる。
そしてこの場の雰囲気が、これが冗談でない事を幸市に告げている。
『では皆様 円の中へお入りください』
無情にも、幸市に悩む時間など与えられず、画面には単調な文字が現れる。
幸市はひとまず逆らわず、他の三人と同様に近くにあった円の中へ入った。
位置関係は幸市から時計回りに真帆、奈美、晋輔の順。
「おい、受け取れ。」
気付けば、部屋の四隅にはいつの間にかダークスーツを着こなした強面の男性がそれぞれ立っていた。
その中の一人が幸市に拳大のサイズのゴムボールの様な物を投げ渡してきた。
「!!」
幸市は慌てて、しかし割れ物を扱う様に丁寧に受け取った。
表面は予想通りゴム質であるが、中に何が入っているのかずしりと重い。
硬式野球のボールと同程度の重さだ。
『準備は整いましたね』
『ではゲームスタートです』
瞬間、画面の文字が『05:00』という数字に変わり、次いで『04:59』、さらに『04:58』と表示され、やっとここで幸市はこの数字がカウントダウンだと気付く。
「(何だこれ!?冗談だろ?いや、冗談じゃねぇよ!)」
混乱した幸市には何が何だか分からない。思わず狼狽え時間を浪費する。
しかし、ルールにある六秒のデッドライン――画面の数字が『04:55』をカウントした瞬間。
ガチャ――と、幸市は背後で撃鉄を起こすような不吉な機械音を聞き、えも言われぬ寒気が幸市の背筋を駆け抜けた。
「うぁ・・・ぁぁ・・・あああ!!!」
その寒気に押されるように幸市は振りかぶり、正面の奈美に受かって思い切り投げつけた。
「おっと、危ないねぇ。」
言葉とは裏腹に奈美は余裕の表情で受け取る。
両者の間はたった五メートル。それだけの間隔で高校生が思い切り投げつけた爆弾――ボールを奈美は軽々と受け取った。
「クスクス……流石ね。」
「いやぁ、危なかったよ。」
奈美は真帆とそんな緊張感の無いやり取りを交わし、たっぷり五秒待ってから晋輔に下手投げでフワッと投げ渡した。
晋輔はそれを丁寧に受け取って、しかし「ヒッ」という悲鳴を洩らし、すぐに真帆へ向かって投げる。
真帆はそれを一切表情を崩す事無く受け取った。
それら一連の流れをみても、どれだけこのゲームに慣れているかが一目瞭然だ。
「(四回目とか二回目とか……そんなもん参加回数に決まってるじゃねぇか……)」
先ほどは恐怖と緊張で頭の中が真っ白になってしまった幸市だが、少しずつ再度落ち着きを取り戻して行き、冷静に状況を考える事ができるようになってきた。
元々の性格はあるだろう。しかし、それでも爆弾と明言されている得体の知れないゴムボールを平気な顔して受け取れる奈美と真帆の神経はどうかしているとしか幸市には思えなかった。
「ほれ〜、行ったぞ少年。幸市君だったかな?」
「え!?」
思考に没頭していた幸市は奈美が投げた爆弾が目の前に来るまで気付かなかった。
「っ!」
危うく取り零すところであったが、何とか幸市は投げ渡された爆弾を受け取った。
「おぉ〜凄い凄い。」
「クス……素晴らしい反射神経ね。」
そうして奈美と真帆に賞賛を受ける。
「(あ……危ない……)」
内心かなり動揺しながら幸市は手元のゴム質のボール状の“何か”を見る。
これが、人一人を簡単に殺すであろう爆弾だと考えると背筋に走る寒気が止まることは無いが、もう先程の様に取り乱したりはしなかった。
「……」
画面を見る。
表示されているのは『04:24』
「こんなもん……か……?」
それは意図せずして幸市の口から洩れた感想だった。
「へぇ。」
「クスクス。」
「……………………」
そんな幸市の呟きに三者三様の反応を見せる。
特に奈美は感心したような表情を作っていた。
「本当にそう思えるのかい?そりゃ大したもんだ。最後にもう一回同じ事が言えたら褒めてあげるよ。」
「……え?」
奈美の言葉の意味を幸市が真に理解できたのはまさしくゲーム終盤のことだった。
やがて3分経過。画面には『01:56』と表示されている。
五分間のキャッチボールと言えばそれは非常に短い時間であるように感じるが、幸市にはここまで異様なほど長く感じた。
「フゥ……」
思わず幸市は溜息を洩らす。
「お!疲れてきたかい?」
「クス……ここからが本番よ?」
途端、奈美と真帆から言葉を向けられる。
それは励ましているようでもあり、逆に貶しめているようでもあった。
「まだ……余裕ですよ。」
口上では強がって見せるが、実際は心臓はバクバクと高鳴って肋骨を内側から打ち付け、窒息して死んでしまうのではないかと思うほど幸市は緊張していた。
後二分足らずで四人のうちの誰かの命が奪われるのかも知れない――という状況が幸市から少しずつ冷静さを奪っていく。
人が死ぬかも知れないというその現状に、漸く幸市は自分が死ぬのかも知れないという重圧と奈美の言葉の意味を理解した。
「へぇ、そうかいそうかい。まあ強がれるのも強さの内さね。」
「クスクス……死なないように、ね?」
そんな幸市の内心を見透かしたかのように、二人は不敵な笑みを浮かべる。
その表情は自分が死ぬとは欠片も思っていない様子である。
「死にたくない……死にたく……ない……」
その点、晋輔はまるで世界の終りの様な表情で俯き、何事かをぼそぼそと呟いている。
しかし、そんな状態でありながら、投げられたボールは丁寧に受け取り、そして投げ返すという動作を行うことが出来ているのは偏に晋輔の生きたいという強い思いによるものか。
自らの命が賭けられた現状を鑑みれば、晋輔こそが常人の思考であって反応だろう。
「(なんであんな平然としてられるんだよ……それどころが、なんか段々楽しそうな……いや、嬉しそうな表情になってる気がするし……)」
幸市が思うのは真帆と奈美の事。
平然としていられる神経が幸市には理解できない。
「おやぁ?あんまりよろしくないかねぇ。ま、良いや。さて、これで終わるかな?」
そんな風に幸市が思考に没頭している中、奈美は何事かを呟いて、そして爆弾を幸市に向かって投げた。
「え!?」
そんな奈美の言葉に幸市は不穏な気配を感じ、一旦思考を中断して慌てて画面を確認した。
表示されている数字は『00:02』、つまり残り2秒。
――瞬間、幸市は世界の全てが凍り付いたように感じた。
「(……死……ぬ……のか?)」
目の前にはゆっくりと迫る、自らの吹き飛ばして命を奪うであろう爆弾。
圧倒的な死の恐怖が、命の危機に瀕した生存本能が、幸市の思考を飛躍的に加速させる。
「(落ち着け!二秒!それは俺を殺す時間じゃない!俺を生かす時間だ!!生き残る!生き残ってやる!!)」
思考時間一秒足らず、そして凍った世界は動きだす。
自らを殺さないと分かった爆弾を幸市は恐れず掴み取った。
「(一秒だ!)」
画面の数字が『00:01』をカウントする。
心臓が飛び跳ねた。
「(グッ!動け!死にたくないだろ!!)」
思わず硬直しそうになる体を幸市は強引に動かし、なんとか掴んだ爆弾を投げ返す。
この時幸市は誰に向かって投げるかなど意識していない。
ただ、持っていたくないという強い意志の下、単純につかんだ爆弾を手放しただけだ。
「へぇ、私を殺そうってかい?」
爆弾は奈美に向かって投げられていた。
しかし、奈美の声に恐怖の色は無い、むしろそれが嬉しいかのような反応だった。
「クスクス」
真帆が意味深に笑う。
それは間違いなく嘲りの感情が含まれた哂いだ。嘲笑うと言い換えても良い。
その対象は幸市なのか奈美なのか、それは分かりはしないが。
「百年早い!」
奈美がそう叫んだ瞬間、幸市は真帆の笑い声の意味を知る。
信じられない光景だった。
奈美はその場で飛び上がって体を捻り、サッカーで云うところのボレーシュートの要領でボールを蹴り返したのだ。
「そんな馬鹿なことって……ねぇだろ……」
ルールには『手で持っている間のみカウントをする』『衝撃では爆発しない』とあった。
蹴り返せば、確かに手では触れていない。衝撃を加えても爆発しない。
しかし、同じ事を幸市にできるかと言えば間違いなく答えは“否”。
サッカーボールだって技術の無い人間には空中で蹴るのは難しい。そのサッカーボールより遥かに小さい物を、命の賭けられた状況下で正確に蹴り返すなんて芸当ができる人間がこの世に果たして何人いるのか。
「ヒッ!ヒィィ……!!」
奈美の蹴った爆弾は弧を描いて晋輔の下へ飛ぶ。
晋輔は思わずと言った様子で後ずさるも、踵が円の縁に触れた瞬間のガチャリという金属音で足を止め、
「イヤだ!!助けて!!死にたくない!!!」
叫んで、せめて爆弾から距離を取ろうと手を突き出す。
その掌が迫りくるゴム質の表面に触れた瞬間
――凄まじい爆音と閃光が真っ白な部屋の中を満たした。