おねえちゃん、だいすき
谷津埼望は双子の妹としてこの世に生を受けた。
彼女には一卵性双生児の姉がいる。生まれ落ちる数分の差で妹とカテゴライズされた。
望は姉が大好きだ。同じ日に生まれた姉の後ろを、物心つく前からくっついて動くのが常だった。
いつも姉の後を追いかけた。姉が迷惑がっても気にすることもなく。
五歳のある日、幼稚園が休みだった休日もいつも通りに姉の後ろをついて回っていた。
姉は「ついてこないで!」と強い口調で言ったけれど、従わなかった。だって望は姉が大好きだから。
そういてついて回った姉はとうとう我慢の限界を迎えて望を突き飛ばした。
ころころと彼女は転がって道路に出てしまい――車に跳ねられたのだ。
小さな身体はポーンと宙に放り出されて、べしゃりと地面に落ちた。
網膜には今でも目を見開いた姉の小さな姿が焼き付いている。
幼い身体は車に跳ねられた衝撃をうまく流せず、事故にあって以来、望は寝たきりだ。
身体の大半の機能を失った。両親はそれはもうこの世の終わりとばかりに嘆いて、事故の原因をあの手この手で聞き出そうとした。彼らは望が自分から道路に出たとは考えられなかったらしい。
彼女は口を噤み続けた。辛うじて発声器官は無事だったけれど、決して「姉のせいだ」とは言わなかった。望は姉が大好きだったから、罪を着せることを選ばなかったのだ。
そうして、十年がたった。
姉は自責の念からか、病院のベッドで寝たきりで介護を受け続ける望の見舞いには一度も訪れない。
白いベッドと代り映えのしない白い室内。白で統一された病室だけが、望の知る世界になった。
それでも望は姉が大好きなままだ。だから今日も、見舞いに訪れた母にこう告げる。
「お姉ちゃんと同じものがほしい」
と。母は喜んで用意してくれる。
姉が好きなお菓子のチョコレート、病院でのパジャマは姉とお揃いだという柄で、手が動かないから使えないけれど、姉と同じ教科書やノートにペンも用意してくれた。
望のベッドの周りは姉と同じもので溢れている。それが何よりの幸福だった。
だから、少しだけ欲が出た。十年同じ場所でベッドに横たわり続けて、退屈していたのも影響していたかもしれない。
ある日「欲しいものはないのか?」と父に尋ねられた彼女はこう答えた。
「お姉ちゃんになりたい」
と。父はしばらく考えて「わかった」と告げた。
別に望は姉を恨んでいるわけではない。元気な体が欲しくなわけではなかったが、それは姉が五体満足だからだ。
姉が不自由な体を抱えていれば、同じになりたいと口にしただろう。だから、本当に深い意味などなかったのだ。
望にとって姉と同じになることだけが「欲しいもの」だったから、素直に口にした。
次の日、両親が揃って見舞いに来た。それ自体はいつものことだ。二人は時間を作って望に会いに来てくれるから。
母が手作りのお菓子を用意したと楽しげに口にした。差し出されたタッパーにはクッキーが入っている。
黒い粒粒が見えたので、チョコレートを溶かしたのだろうと思いつつ、口に運ばれるクッキーを咀嚼する。
身体は動かないけれど、食事には問題はない。量は食べれないが、クッキーの三枚くらいなら許されている。
「……?」
ざり、ざり、と。舌の上に違和感が残る。
何だろうと思いつつ、差し出されたジュースを飲む。父が用意したオレンジジュースは少し苦かった。
「おいしいね、ありがとう」
表情は美味く動かせないが、お礼の言葉を口にする。
唯一自由に動く眼球で両親を見ると、二人は目に見えてほっとしていた。
「なにか混ぜたの? 不思議な触感だった」
「元気になる魔法を入れたの」
母が答える。先ほど父が明けた窓から吹き込む冷たい風が頬を撫でる。
十月の中頃になって、やっと空気が少しだけ冷えだした。
常に室温を管理された部屋にいる望は、窓から辛うじて見える景色でしか季節を判別できない。
両親が身に纏っている洋服が少し厚着になったな、とは思っていた。
頬を撫でる風に目を細める。
母は嬉しそうに「また作ってくるわね」といった。「楽しみにしているね」と答えると父が「もっと食べていいんだぞ」とさらにクッキーを口元には運ぶ。
さくさくしているのに、口の中に何かが残る。
飲み込むのに違和感を伴いそのクッキーを、けれど望は文句ひとつ言わずに差し出されるまま全てを食べた。
タッパーの半分ほどを食べ切った頃に看護師がやってきて「食べ過ぎると晩御飯が入りませんよ」と注意されたので、その日はそれで終わった。
さらに翌日、父が一人でやってきた。手には白い化粧箱を持っていて、中身はケーキだった。
どうやら市販品ではないらしく、少し茶色が買った生クリームが不格好に塗られている。
ホールのケーキの上には、まばらにイチゴが乗せられていて、目の前で切り分けられたショートケーキを一口ずつ食べさせてもらった。
どこかざらついた舌触りのケーキを一ピース食べ終わると、お腹はいっぱいだ。でも、不思議ともっと食べたくて仕方ない。
「お父さん、もっと欲しいな」
「ああ! いっぱい食べるんだぞ。元気になる魔法を入れたからな」
にこにこと笑う父が上機嫌にさらに一ピースを切りわけて、フォークで口元に運んでくれる。
少しずつ食べていくと、いつも空っぽの望の心は少しだけ満たされた。
次の日も、次の日も、次の日も。
母と父は入れ代わり立ち代わり、色々な差し入れを持ってきた。どれもに「元気になる魔法」が入っているという。
病院で寝たきりになってから、動けない分、小食になっていた望だが「元気になる魔法」がはいっている差し入れは不思議と量が食べられた。
看護師には注意されることも度々あったが、食べられるだけ食べてしまう不思議な魅力があるのだ。
そして、ある日。
大きなタッパーにハンバーグを入れて両親が訪れた。
その日もまた、病院食と比べると少し変わった味のするハンバーグを差し出されるがままに食べ終える。
「ねえ、これはなに?」
どこからどう見てもハンバーグだったけれど。それだけではないのだろうと気づいていたから。
素直に問いを口にした望に、両親はにこにこと笑う。
「元気になる魔法の薬だ」
答えたのは父で、母は隣で頷いている。
望は「げんきになるまほうのくすり」と浮ついた声で繰り返して、最近少しだけ動くようになった口元を緩めてもう一つ問いかけた。
「材料はなぁに?」
一つの予感――いいや、確信があった。
けれど、あえて無邪気に問うと、母も父も満面の笑みで笑って。
「「お姉ちゃんだよ」」
異口同音にそう言った。
(ああ、やっぱり)
姉を食べた。姉を取り込んだ。――つまり、これで望は姉になったのと同義だ。
彼女は笑みを深める。
「私、お姉ちゃんになったのね」
生まれた時からの渇望が満たされて。乾いた心が水を得たように潤っていく。
長年の夢が叶って嬉しげに声を跳ねさせた望に、両親もまた満足そうに頷いて肯定した。
差し出された最後のハンバーグの一口を咀嚼して、彼女は笑う。
(今日から、私がお姉ちゃんだ)
その日、望は退院した。
そうして彼女の名前は、姉と同じになったのだ。
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