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学園の女王さまは、俺の前でだけポンコツになる  作者: 速水静香
第一章:日常からの逃走

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第四話:生徒会室の昼食

 キーンコーンカーンコーン。


 無情にも、昼休みという名の戦いの開始を告げるチャイムが校舎に鳴り響く。途端に、教室は餓えた獣たちの雄叫びにも似た喧騒に満たされた。仲間同士で机をくっつけ、購買で買ったパンを奪い合い、あるいは彼女と一緒にお弁当を広げる。そんな青春の縮図が、教室のあちこちで繰り広げられていた。

 もちろん、俺はそのどの輪にも属していない。

 俺にとっての昼休みは、孤独を味わう至福の時間。


 ……のはずだった。昨日までは。


 俺は誰に声をかけるでもなく、静かに席を立つ。手には、今朝方、あの魔王城、いや、天上院邸の厨房でこしらえた、ずっしりと重い二段重ねの弁当箱。

 これを学園の頂点に君臨する、腹ペコのラスボスに献上しなくてはならない。

 そう、これもまた、あの理不尽極まりない奴隷契約、いや、『秘密保持及び奉仕に関する契約書』に定められた、俺の『やるべきこと』なのだ。


 教室の喧騒を背に、俺はまるで隠密のように気配を消し、廊下へと出た。ここからは、ミッション・インポッシブルだ。ただでさえ友人のいない俺が、女子が使うようなお洒落な弁当箱を手に、一人で廊下を歩いている。この時点で、すでに不審者レベルはマックスに近い。その上、目的地はあの生徒会室。万が一、この行動をクラスメイトにでも目撃されたら、どうなるか。


『なあ、見たかよ、飯田のやつ』

『うん、なんか可愛らしいお弁当持って、消えてった……』

『あんな奴に彼女か?いや、そんなはずはない。ということは新手のいじめか?』


 ……容易に想像がつく。

 そして、俺の平穏なぼっちライフは、ゴシップという名の爆弾によって、木っ端微塵に吹き飛ぶだろう。

 俺は、壁際の死角から死角へと、FPSゲームの特殊部隊員さながらの動きで移動し、なんとか目的地である生徒会室の前にたどり着いた。周囲に人の気配がないことを確認し、教室のドアを、コンコン、と控えめにノックする。


「はい、どうぞ」


 中から聞こえてきたのは、いつもの、冷静沈着を絵に描いたような、天上院ユウカ会長の声だった。俺は、一つ深呼吸をして、ドアに手をかける。


「失礼します」


 ドアを開けると、そこには、申し分ない生徒会長の姿があった。山積みの書類が置かれた執務机に座り、優雅な手つきでペンを走らせている。その姿は、まるで一枚の絵画のようだ。朝の、アホ毛を立てて、特盛ステーキ丼を要求してきた人物と、同一人物とは到底思えない。この女、学園では完璧超人の仮面を被り、家では生活能力皆無のポンコツと化す、二重人格者なのではないだろうか。


「ああ、飯田くん。時間通りね。感心だわ」


 会長は、書類から顔を上げると、俺を一瞥し、満足げに頷いた。その口調は『生徒会長モード』だ。


「それで、例のブツは持ってきたのでしょうね?」


 会長が俺だけに分かるように、小声で耳打ちした。

 ブツて。裏取引か。

 

「……はい、こちらに」


 俺は、おずおずと持参した弁当箱を彼女の机の上に置いた。その瞬間、会長の涼しげな瞳の奥が鋭く光った。


「よろしい。では、みんな少し席を外してくれるかしら」


 会長がそう言うと、部屋の隅で作業をしていた、他の生徒会役員たちが、「はい、会長!」と、一斉に立ち上がり、足早に部屋から出ていった。きっと、俺が来る前から、そう指示されていたのだろう。


 パタン、とドアが閉まり、生徒会室には、俺と会長の二人だけが残された。

 その瞬間だった。


「待ちわびたわ、飯田くんッ!」


 さっきまでの冷静沈着な生徒会長はどこへやら。会長は、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がると、目を爛々と輝かせ、机の上の弁当箱に食い入るように見つめた。その姿は、獲物を見つけた肉食獣そのものだ。


「さあ、早く開けなさい! 私の胃袋が、暴動を起こす寸前なのよ!」

「は、はい! ただいま!」


 俺は、その気迫に押され、慌てて弁当箱の風呂敷を解き、蓋を開けた。

 途端に、ふわりと、食欲を強烈に刺激する香りが、部屋いっぱいに広がる。


 一段目には、炊き立ての白米の上に、甘辛いタレを絡めた鶏の照り焼きが、どーん! と鎮座している。その脇を固めるのは、俺の得意技でもある、出汁をたっぷり含んだ、黄金色の卵焼き。そして、彩りを添える、真っ赤なミニトマトと、茹でたブロッコリー。

 二段目には、昨日の唐揚げが食べたいというリクエストに応えた、山盛りの鶏の唐揚げ。それから、ほうれん草の胡麻和えと、きんぴらごぼう。我ながら、申し分ない布陣だ。栄養バランスも、彩りも、そして何より、このポンコツ会長の胃袋を満足させるだけの、圧倒的なボリュームも。


「おお……! なんてこと……! これは、お弁当などという陳腐な言葉で表現してはならないわ! まさに、宝石箱……! いいえ、味覚の宇宙よ!」


 会長は、両手を広げ、まるでオペラ歌手のように、大げさな賛辞を叫んでいる。そして、どこから取り出したのか、マイ箸を構えると、いただきます、という言葉もそこそこに、猛烈な勢いで照り焼きチキンにかぶりついた。


「んんんーっ! 美味! この鶏肉の柔らかさ! 絶妙な甘辛いタレが、ご飯と一体となって、私の舌の上で情熱的なダンスを踊っているわ!」

 

 圧倒的にうるさい。食レポが、いちいちうるさい。

 次に、卵焼きを一口。


「なっ……!? この、ふわふわとした食感! 口に入れた瞬間、じゅわっと溢れ出す、上品な出汁の洪水! まるで、天使の羽毛を食べているかのようだわ!」


 会長、あんたは天使の羽毛を食ったことあんのかよ。


「外はカリッ! 中はジュワッ! この、衣と肉が織りなす、食感のデュエット! 私の脳が、幸せで痺れている……!」


 もはや、俺はツッコミを入れる気力すら失っていた。ただ、目の前で繰り広げられる、一人フードファイトを、呆然と眺めるだけだ。あれだけあった弁当が、みるみるうちに、会長の口の中へと吸い込まれていく。その食べっぷりは、もはや清々しいとさえ言えるレベルだった。


 ほんの数分で、米粒一つ残さず綺麗に平らげた会長は、「ぷはーっ!」と、おっさんのような満足げな息を吐き、箸を置いた。


「満足したわ、飯田くん。あなたのおかげで、午後の職務も、申し分なく遂行できそうだわ」

「そりゃ、どうも。お粗末さまでした」


 俺が空になった弁当箱を片付けようとすると、会長は、ふと、何かを思い出したような顔で、俺に尋ねてきた。


「そういえば、飯田くん」

「はい、何でしょう?」

「あなたは、私のこの姿を見ても、何も思わないのかしら?」

「え? 何かって、何がです?」

「だから、その……私の、この食べっぷりよ。世間一般では、私、天上院ユウカは、薔薇の花びらと朝露を主食にしている、と噂されているはずなのだけれど」

「いや、誰がそんな噂流してるんですか。初耳ですよ。俺が知ってるのは、会長が、カップ麺一つまともに作れない、究極のポンコツだってことだけですけど」

「誰がポンコツですって!?」

「い、いえ、何でもありません! それで、食べっぷりがどうかしたんですか?」


 俺が慌てて話を戻すと、会長は、少しだけ不満そうな顔で、頬を膨らませた。


「だから! もっと驚きなさい、ということよ! 『ええっ、生徒会長ともあろうお方が、そんなにがっつり召し上がるなんて!』とか、『その細い体の、どこにそれだけの食べ物が入るのですか!?』とか、何かリアクションがあるべきでしょう!」

「はあ……。まあ、確かに、ちょっと意外ではありましたけど。人は見かけによらないんだな、くらいで」

「むう……。あなたのその、いちいち冷静な反応は、少し面白くないわね」


 どうやら、俺のリアクションが薄いのが、ご不満らしい。面倒くさい人だ。


「大体、なんでそんな小食キャラで通してるんですか。そんなの、窮屈なだけでしょう」

「これは、私のブランド戦略の一環よ」


 会長は、ふん、と偉そうに鼻を鳴らした。


「全校生徒の憧れの的である生徒会長が、大口を開けてカツ丼を頬張っていたら、どう思うかしら? 幻滅するでしょう? カリスマ性が失墜するわ。だから、私は、公の場では、燃費のいいエコカーのように振る舞うことを、自らに課しているのよ」

「……大変っすね、会長も」


 俺が、少しだけ同情を込めてそう言うと、会長は、なぜか、少しだけ嬉しそうな、はにかんだような笑みを浮かべた。


「……別に、大変だなんて思っていないわ。それが、私の『やるべきこと』だから」


 その言葉に、俺は少しだけ、どきりとした。

 俺の信条と、同じ言葉。この人も、俺とはスケールが違いすぎるが、自分なりのルールに従って、この面倒くさい世界を生きているのかもしれない。

 そんなことを考えていると、会長は、食べ終わった弁当箱を愛おしそうに撫でながら、とんでもないことを言い出した。


「決めたわ、飯田くん」

「……嫌な予感しかしないんですけど」

「明日からも、毎日、私のお弁当を作りなさい。今日の、この至高の逸品を、毎日よ」


 ……来た。やはり来た。この女の、無茶振りという名の暴政が。


「いやいやいや、待ってください、会長! それは、契約にないはずです!」


 俺は、思わず大声で反論していた。これは、俺の平穏な日常を守るための、正当防衛だ。


「契約書には、朝食と服装のコーディネート、としか書いてありませんでしたよね!? 昼食まで作るなんて、契約違反、いや、業務範囲外ですよ!」

「何を言っているのかしら、飯田くん」


 しかし、会長は、どこ吹く風といった様子で、涼しい顔をしている。


「私の健康を管理するのが、あなたの義務でしょう? 朝食だけでは、不完全だわ。昼食まで管理してこそ、申し分ない健康管理と言えるのよ。これは、契約の拡大解釈であり、論理的必然よ」

「そんな滅茶苦茶な論理が、まかり通るわけないでしょうが! それは、ただの押し付けです! 搾取です!」

「あら、人聞きの悪いことを言うわね。ならば、こうしましょう。あなたには、拒否権を与えてあげるわ」

「え、本当ですか!?」


 意外な言葉に、俺は少しだけ希望の光を見た。この悪魔にも、ほんの少しは、慈悲の心というものがあったのか。


「ええ。ただし、あなたが拒否した場合、私は、栄養失調で倒れることになるでしょうね。そうなれば、生徒会の業務は滞り、学園の運営に支障をきたし、最終的には、この国の未来に、暗い影を落とすことになるやもしれないわ。その全ての責任を、あなたが負う覚悟があるというのなら、止めはしないわ」

「……脅迫じゃないですか、それ!」

「人聞きの悪い。これは、論理的な未来予測よ」


 ダメだ、この人、話が通じない。理論武装しているようで、その実、言っていることは、単なるわがままだ。


 だが、俺も、このまま黙って引き下がるわけにはいかない。俺の信条は『面倒なことからは逃げる』だが、もう一つ、『やるべきことはきっちりこなす』というものがある。そして、この理不尽な要求に対して、正当な対価を要求することは、今の俺にとって、まさに『やるべきこと』だ。


「……分かりました、会長。そこまで言うなら、お弁当、作りましょう」

「あら、話が早くて助かるわ。さすがは、私の……」

「ただし!」


 俺は、会長の言葉を遮って、ビシッと、人差し指を突きつけた。


「これは、当初の契約にはない、完全な追加業務です。よって、これに関しては、きっちりと、追加報酬を請求させていただきます」

「……ほうしゅう?」


 会長は、きょとんとした顔で、小首を傾げた。どうやら、彼女の辞書には、その言葉はあまり馴染みがないらしい。


「ええ、報酬です。つまり、お金ですよ、おかね」


 俺は、スマートフォンを取り出し、電卓アプリを起動した。


「いいですか、会長。まず、材料費。会長の胃袋を満たすには、それなりの高級食材が必要です。これは、実費で請求します。レシートも、きっちり提出しますから」

「ふむふむ。それで?」

「次に、調理に関する、私の人件費。毎朝、会長の朝食と、この弁当を作るのに、どれだけの時間と労力がかかっていると思ってるんですか。これは、時給で計算させていただきます。もちろん、俺のプロ級のスキルを考慮して、プレミアム料金を上乗せさせてもらいますけど」

「……ぷれみあむ?」

「そして、最も重要なのが、このデリバリー業務に対する、危険手当です」

「……きけんてあて?」

「そうです。この弁当を、誰にも見られずに、この生徒会室まで運ぶ。これが、どれだけのリスクを伴うか、会長にはお分かりですか? 俺の学園内での社会的生命が、常に危険に晒されているんですよ。この精神的苦痛に対する慰謝料として、一日あたり……そうですねえ」


 俺は、電卓をピコピコと弾き、その画面を、会長の目の前に、突きつけた。


「このくらいの金額を、日払いで、きっちりお支払いいただきます。これにご同意いただけないのなら、この話は、なかったことに」

「……」


 俺が提示した金額を見て、会長は、しばらくの間、無言で固まっていた。

 その表情は、鳩が豆鉄砲を食らった、という言葉がそのまま当てはまるような…。


 やがて、彼女の口元が、ふっと緩んだ。


「……くっ……くくくっ……あははははっ!」


 突然、会長が腹を抱えて笑い出したのだ。


「面白い!面白いわ、飯田くん!あなた、最高よ!」

「は、はあ……?」


 あまりに予想外の反応に、俺は完全に戸惑ってしまった。

 怒り出すか、あるいは、金に物を言わせて「その程度の金額、はした金だわ」と札束で俺の顔を叩いてくるか、そのどちらかだと思っていたのに。


「いいでしょう! その条件、全て飲みます!」


 会長は、涙を拭いながら、高らかに宣言した。


「あなたという人間は、本当に面白いわ! 私の所有物であるはずのあなたが、私に対して、対価を要求するなんて! そんなこと、今まで誰一人として、言ってきた者はいなかったわ!」


 会長は、よほどこの状況がツボに入ったのか、ひとしきり笑い続けた後、すっと、いつもの真面目な表情に戻った。


「ただし、支払い方法は、現金ではなく、私の口座からの振り込みにさせてもらうわ。あなたも、毎日、多額の現金を持ち歩くのは、物騒でしょう?」

「え、あ、はい。それなら、助かりますけど……」

「では、あなたの口座情報を、後でメッセージで送りなさい。経理担当には、私から話しておくわ」


 話が、やたらとスムーズに進んでいく。というか、個人の経理担当とかいるのか。どんだけのお嬢様なんだ。


 こうして、俺の魂の交渉は、あっけなく、しかし、俺の完全勝利という形で、幕を閉じた。俺は、理不尽な労働の対価として、正当な(?)報酬を勝ち取ったのだ。


「では、契約成立ね。明日からも、よろしくてよ、飯田くん。私の専属シェフ」


 会長は、にっこりと、それこそ女神のような慈愛に満ちた笑みを、俺に向けた。

 俺は、空になった弁当箱を風呂敷に包みながら、この勝利を素直に喜んでいいものか、複雑な気持ちで、ただ、立ち尽くすしかなかった。


 俺の平穏な日常は、もう戻ってこない。

 その代わり、俺の銀行口座には、これから、謎の収入が記録されていくことになるのだろう。

 なんだかとんでもない選択をしてしまった、と思ったが、もはや後戻りはできそうにもなかった。

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