第十三話:雑貨屋のプレゼント
フードコートでのカロリー摂取という名の戦闘を終えた俺たちは、重くなった腹を抱えながら、再びショッピングモールの通路へと戻っていた。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、少しだけ歩くペースが緩やかになっている。満腹感と、あの気恥ずかしい「あーん」の儀式の余韻が、俺たちの足取りを鈍らせているのかもしれない。
隣を歩く天上院ユウカ会長の腕の中には、依然としてあの緑色のカエル――ケロヨン三世が収まっている。彼女は時折、そのふてぶてしい顔をしたぬいぐるみの頭を、愛おしそうに指でなぞっていた。
「……カズキ」
「なんですか」
「腹部が重いわ。物理的な質量が増加した感覚があるのよ」
「そりゃ、あれだけ食えば重くもなりますよ。ラーメンとカツ丼のセットなんて、部活帰りの中学生男子が食う量ですから」
「否定はしないわ。しかし、あの黄金色の出汁と、豚肉の脂質の結合は、抗いがたい魅力を放っていた……。私の意志力を以てしても、完食を回避することは不可能だったわね」
会長は、少しだけ苦しそうに、けれど満足げに腹部をさすった。その動作は、深窓の令嬢というよりは、休日のだらしない親父のそれに近い。だが、不思議と不快感はない。むしろ、人間味があって好ましくすら思えてしまうのが、この人の恐ろしいところだ。
「少し歩いて消化しましょう。食べた直後に動かないと、全部脂肪になりますよ」
「なっ……! 脂肪ですって!? それは聞き捨てならないわね。私の肉体は、常に最適化された数値を維持しなければならないのよ。歩くわ! このモールの端から端まで、競歩で走破する勢いで!」
「競歩はやめてください。不審者そのものです」
俺たちは、腹ごなしを兼ねて、あてもなくモール内を散策することにした。
衣料品店、書店、コスメを扱うショップ。様々な店舗が軒を連ね、ショーウィンドウには季節の商品が華やかに飾られている。
会長は、その一つ一つに新鮮な反応を示していた。
「見て、カズキ。あそこのマネキン、関節の可動域がおかしいわ。あんなポージングを人間は取らないはずよ」
「服を見せるための演出です」
「あちらのポスターの色彩設計、彩度が高すぎて視覚情報処理に負荷がかかるわね。購買意欲を煽るというよりは、警戒心を抱かせる配色だわ」
「ただのセール広告ですよ」
いちいち理屈っぽい感想を述べながら歩く彼女とのウィンドウショッピングは、ある種のアトラクションのようだった。
そんな中、俺たちの足は、ある一軒の店の前で止まった。
そこは、他の店舗とは明らかに異質な空気を放っていた。
入り口からして、ごちゃごちゃしている。黄色いポップに赤字で書かれた独特の宣伝文句。天井まで積み上げられた商品の山。通路は狭く、迷路のように奥へと続いている。
書籍から雑貨、お菓子、衣類、そして何に使うのか分からない謎のグッズまで、ありとあらゆるものが渾然一体となって詰め込まれた、カオスな空間。
遊べる本屋、あるいは、ガラクタの宝庫と呼ばれるタイプの雑貨屋だ。
「……何かしら、ここは」
会長が、目を丸くして立ち尽くした。
「商品の陳列に、規則性が全く見当たらないわ。書籍の隣にスナック菓子があり、その上にはトイレットペーパーの形をしたクッションが吊るされている……。何を売りたいのかよく分からない、無秩序な空間ね」
「まあ、そういうコンセプトの店ですから。宝探しみたいで面白いでしょう? 入ってみますか?」
「宝探し……。未知の領域からの発掘作業ということね。悪くないわ。私の探求心が刺激される」
会長は、ケロヨン三世を抱き直し、意を決したように店内へと足を踏み入れた。
一歩足を踏み入れると、そこは情報の洪水だった。
大音量で流れる謎のBGM。所狭しと貼られた手書きのPOP。視界のどこを見ても、何かしらの商品が目に飛び込んでくる。
会長は、入り口近くにあったパーティーグッズのコーナーで、早くも足を止めた。
彼女が手に取ったのは、黄金色に輝く、大仏のマスクだった。
「……カズキ。これは、宗教的な儀式に使用するものかしら?」
「違います。宴会芸で使うやつです」
「宴会芸……。庶民は、仏の顔を被って酒を飲むの? なんという冒涜的な行為……。しかし、この造形、妙にリアルで、見る者の精神に訴えかける何かがあるわね」
彼女は真剣な眼差しで大仏マスクと向き合っている。
やめてくれ。その美しい顔で大仏を見つめるのは、シュールすぎて直視できない。
「次に行きますよ、会長」
俺は彼女を促し、奥へと進んだ。
次に彼女が興味を示したのは、理科室の備品のような、人体模型や科学実験グッズが置かれたコーナーだった。
そこで彼女は、ある一つの置物に釘付けになった。
それは、リアルな頭蓋骨の模型――ガイコツだった。
しかも、ただのガイコツではない。頭頂部がパカッと開き、そこが小物入れになっているという、悪趣味極まりない代物だ。
「……素晴らしいわ」
会長の目が、今日一番の輝きを放った。
「見て、カズキ。この前頭骨のカーブ、そして眼窩の深さ……。解剖学的に見ても、非常に精巧な作りだわ。黄金比を感じる」
「……ただのガイコツの小物入れですけど」
「ただの、ではないわ! これは『メメント・モリ』という警句を、日常の中で体現する哲学的なアイテムよ。これを机の上に置くことで、私たちは常に死を意識し、それゆえに生を充実させようという意識が働く……。まさに、生徒会長のデスクにふさわしい調度品だわ!」
「いや、生徒会室にあんなの置いてあったら、誰も相談に来なくなりますよ。呪いの儀式でもしてるのかと思われます」
「そうかしら? むしろ、私の高潔な精神性を象徴するアイテムとして、畏敬の念を集めると思うのだけれど」
本気で買おうとしている。
彼女の手が、レジへ向かおうと動くのを、俺は必死で止めた。
「やめましょう。絶対に後悔します。夜中にトイレ行くときとか、ふと目が合ったら怖いですよ」
「私は幽霊など信じないわ。全ては脳が見せる幻覚よ」
「そういう問題じゃなくて……。とにかく、もっと可愛いものにしましょう」
渋々といった様子でガイコツを棚に戻した会長は、今度はその隣にあった、怪しげなオカルトグッズのコーナーへと移動した。
そこに並んでいるのは、南米の魔除け人形や、呪いの藁人形セット、そして「幸運を呼ぶ謎の石」といった、胡散臭さ満点の商品たちだ。
「……カズキ。これを見て」
彼女が指さしたのは、口から血を流しているようなペイントが施された、不気味な木彫りの仮面だった。
「この表情……。苦痛と歓喜が同居しているようだわ。人間の内面に潜む狂気を、木材という有機的なマテリアルで見事に表現している。これを部屋に飾れば、魔除けとしての効果は絶大ね。邪悪な霊も、この狂気の前では裸足で逃げ出すに違いないわ」
「だから、なんでそっち系のセンスなんですか! 会長の部屋、お化け屋敷にするつもりですか!」
俺は頭を抱えた。
服のセンスも壊滅的だが、雑貨のセンスも相当に終わっている。彼女の選ぶものは、ことごとく『理屈っぽい』か『不気味』かのどちらかだ。普通の女子高生が好むような『可愛い』『おしゃれ』という概念が、彼女の辞書には欠落しているらしい。
「もっとこう……普通の、ファンシーなやつとかないんですか? ほら、あっちにアクセサリーとか売ってますよ」
俺は彼女の興味を逸らすために、店の奥にあるアクセサリーコーナーを指さした。
そこには、安っぽいけれどキラキラした指輪やネックレス、ヘアアクセサリーなどが所狭しと並んでいた。
「アクセサリー? 装飾品など、機能性を持たない無駄な質量よ。空気抵抗が増えるだけだわ」
「そういう理屈は置いておいて。ほら、見るだけ見ましょう」
俺は半ば強引に、彼女をそのコーナーへと誘導した。
並んでいるのは、数百円から千円程度の、お小遣いで買える範囲のものばかりだ。だが、デザインは多様で、見ているだけで目がチカチカするほどだ。
会長は、ふうん、と興味なさそうに眺めている。
「……プラスチックとガラス玉の集合体ね。これのどこに価値があるというのかしら」
「価値とかじゃないんです。気分が上がるかどうかですよ」
俺は、棚に並ぶ商品を適当に眺めた。
リボンのついたゴム、キャラクターのついたピン、派手な色のシュシュ。どれも、今の白いニットにデニム姿の会長には少し子供っぽすぎる気がする。
それに、彼女の持つ、あの凛とした高貴な雰囲気には合わない。
ふと、俺の視線が、ある一つのヘアクリップに吸い寄せられた。
それは、ごくごくシンプルなデザインのものだった。
細身の金属製で、色はシルバー。そこに、小さな、水色の透明な石が三つ、控えめに並んでいる。
派手さはない。ガイコツのようなインパクトもない。
けれど、その涼しげな色合いは、先日俺が選んだあの水色のブラウスにも、そして今日の白いニットにも、よく似合いそうだった。
何より、彼女のあの艶やかな黒髪に、このシルバーと水色は、きっと映える。毎朝、あのアホ毛と格闘した後に、これをスッと挿してやれば、完璧に仕上がるんじゃないか。
そんな想像が、脳裏をよぎった。
俺は、そのヘアクリップを手に取った。
値札を見る。八百円。
俺の財布に入っている、なけなしの小遣いでも十分に買える金額だ。
「……カズキ? 何を見ているの?」
手持ち無沙汰になった会長が、俺の手元を覗き込んできた。
「あ、いや。これ、ちょっといいかなって」
「……ヘアクリップ? ずいぶんと地味ね。機能性は高そうだけれど」
「地味なくらいがちょうどいいんですよ」
俺は、それを握りしめた。
心臓が、少しだけ早鐘を打つ。
これを、買うのか? 俺が?
いや、昨日の報酬はまだ振り込まれていない。つまり、これは俺の純粋な自腹だ。
雇い主に対して、使用人が自腹でプレゼントを贈る。経済的な合理性で言えば、完全にマイナスだ。俺の信条である「損得勘定」に照らし合わせれば、却下すべき案件だ。
だが。
いつも世話を焼かせやがって、という気持ち。
振り回されてばかりの毎日への、ささやかな抵抗。
そして何より、たまにはこの人を、俺の選んだもので喜ばせてやりたいという、妙なエゴ。
それらが混ざり合って、俺の背中を押していた。
まあ、いいか。
いつも美味しいものを奢ってもらっているし、リムジンにも乗せてもらっている。その「詫び代」と考えれば、安いものだ。
「……会長、ちょっと待ってて」
俺はそう言うと、会長をその場に残し、早足でレジへと向かった。
レジには数人が並んでいたが、俺の気は急いていた。早くしないと、気が変わりそうだ。
自分の順番が来る。俺はポケットから千円札を取り出し、そのヘアクリップを購入した。
小さな紙袋に入れられた、手のひらサイズの軽さ。
けれど、俺にとっては、鉛のように重く感じる。
俺は、アクセサリーコーナーで不思議そうな顔をして待っている会長の元へと戻った。
「お待たせしました」
「どこへ行っていたの? 急にいなくなるから、私はこの過剰な情報量の空間で遭難するかと思ったわ」
「遭難しないでください。……はい、これ」
俺は、ぶっきらぼうに、その小さな紙袋を会長に突き出した。
「……何? 私への業務連絡?」
「違います。中身、見てください」
会長は、怪訝な顔をしながらも、紙袋を受け取り、中身を取り出した。
手のひらに乗った、シルバーと水色のヘアクリップ。
店内の蛍光灯を反射して、小さくキラリと光った。
「……これは、さっきあなたが手に取っていた……」
「そうです。あげますよ、それ」
「あげる……? 私に?」
会長は、その意味が理解できないというように、目をぱちくりとさせた。
「どういうことかしら。これは、経費精算が必要なアイテム? それとも、先日の報酬の前借り?」
「違いますって。俺の金で買いました。俺からのプレゼントです」
「……え?」
会長の動きが止まった。
「なんで……?」
「なんでって……。いつも世話になってる……というか、迷惑かけてる詫び代です。あと、毎日朝早くから髪のセットさせられてる手当、みたいなもんですかね」
「……」
「まあ、安いもんですけど。俺の小遣いじゃ、これが限界なんで」
俺は、視線を逸らしながら、早口でまくし立てた。顔が熱い。何を言っているんだ俺は。
会長は、しばらくの間、手のひらの上のクリップを凝視していた。
そして、困惑したように眉を寄せた。
「……理解不能だわ」
彼女は、絞り出すように言った。
「経済合理性に、著しく反しているわよ、カズキ。私はあなたを雇っている側。つまり、資金の流れは『私からあなたへ』であるべきなの。それなのに、あなたが私に資産を投じるなんて……」
「理屈っぽいなあ。いいじゃないですか、たまには。損得抜きってやつですよ」
「損得抜き……。そんな非論理的な行動が、許されるというの……?」
彼女は、震える指先で、そっとクリップの石に触れた。
「……でも」
彼女の声色が、ふわりと変わった。
さっきまでの困惑や、理屈をこねる硬さが消え、代わりに、温かいものが滲み出てくるような。
「……綺麗ね。水色……。私の好きな色だわ」
彼女が顔を上げた。
その表情を見て、俺の呼吸が一瞬、止まった。
今まで見た、どんな表情とも違っていた。
生徒会長としての自信満々な顔でも、ポンコツを晒した時の焦った顔でも、美味しいものを食べた時のだらしない顔でもない。
それは、ただただ純粋な、混じりけのない『喜び』だった。
はにかみ。
そんな言葉が、これほど似合う表情を、俺は知らなかった。
「……嬉しいわ。カズキ」
彼女は、そのヘアクリップを胸の前でぎゅっと握りしめた。
「私があなたに金を払っているのに、あなたが私に金を使うなんて……本当に、バカな人ね。計算ができないのかしら」
「うるさいですね。計算済みです。これで会長の機嫌が良くなれば、俺の労働環境も改善されるだろうっていう、先行投資ですよ」
「ふふっ。素直じゃないわね」
彼女はクスリと笑うと、そのクリップを俺に差し出した。
「……つけて」
「はい?」
「あなたが選んだのでしょう? ならば、あなたがつけなさい。その責任を取って」
「責任って……。ここでですか?」
「ええ。今すぐよ」
彼女は、少し背伸びをして、自分の頭を俺の方に向けた。
艶やかな黒髪が、さらりと揺れる。
シャンプーの香りが、また鼻をくすぐる。
俺は、観念してクリップを受け取った。
「……動かないでくださいよ」
「ええ。石像のように静止するわ」
俺は、彼女の髪に手を伸ばした。
指先が、絹のような髪に触れる。温かい。
どこにつけるのが正解なんだろうか。
俺は迷った挙句、耳の上の、サイドの髪を少しすくって、そこにクリップを留めることにした。
パチン。
小さな音がして、クリップが黒髪に固定された。
シルバーの金具と水色の石が、黒い髪の中で、星のように控えめに主張している。
「……できました」
「どう? 変ではない?」
「……いや。似合ってますよ。すごく」
お世辞抜きで、似合っていた。
派手すぎず、かといって地味すぎず。彼女の持つ清廉な空気を、その小さなアクセサリーが引き立てているようだった。
「そう……」
会長は、近くにあった小さな陳列用の鏡を覗き込んだ。
鏡の中の自分と、その髪に光る水色の石。そして、その後ろに立っている俺の姿。
彼女は、鏡越しに俺と目を合わせた。
「……ありがとう。大切にするわ」
鏡の中で、彼女がもう一度、はにかんだ。
その笑顔の破壊力は、先ほどのクレーンゲームの時を遥かに凌駕していた。
俺は、直視できずに視線を逸らした。
心臓がうるさい。これは、狭い店内のBGMのせいではない。明らかに、俺自身の内側から発せられている警報音だ。
勘違いするな、俺。
これは任務だ。お世話係としての、円滑な関係構築のための政治的配慮だ。
決して、彼女に特別な感情を抱いているわけではない。
そう自分に言い聞かせても、熱を持った頬の温度は、下がりそうになかった。
俺たちは、店を出た。
入る時とは、明らかに二人の間の空気が変わっていた。
物理的な距離は変わっていないはずなのに、目に見えない何かが、俺たちを繋いでいるような。
そんな、むず痒くも心地よい沈黙が、そこにはあった。
会長は、髪についたクリップの感触を確かめるように、時折そっと手を触れている。
その仕草を見るたびに、俺の胸の奥が、小さくきしんだ。
「……さて、次はどこへ行くのかしら?」
会長が、上機嫌な声で尋ねてきた。
「もう十分遊んだでしょう。そろそろ映画の時間ですよ」
「そうね。映画館。楽しみにしていたわ」
彼女は、ケロヨン三世を抱き直し、軽やかな足取りで歩き出した。
その後ろ姿を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
……やれやれ。
俺のなけなしの小遣いは消えたが、まあ、あの笑顔が見られたなら悪いものではなかったのかもしれない。
俺は、自分の単純さを自嘲しながら、彼女の後を追った。




