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学園の女王さまは、俺の前でだけポンコツになる  作者: 速水静香
第二章:ラブラブの恋人(偽)

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第十一話:遊技場での物理実験

 エスカレーターが上階へと到達した瞬間、俺たちの鼓膜は暴力的なまでの音圧によって蹂躙された。

 ドンドコドンドコという重低音。ピコピコという甲高い電子音。そして、あちこちから聞こえるアナウンスや歓声。それらすべてが混然一体となり、巨大な塊となって押し寄せてくる。

 ここは、静寂とは無縁の世界。

 庶民の娯楽の殿堂、ゲームセンターだ。


「……っ!?」


 隣を歩く天上院ユウカ会長が、目に見えて身体を強張らせた。

 彼女は両手で耳を塞ぐような動作をしかけて、すぐに思い直したように手を下ろした。生徒会長としての威厳を保とうとしているのだろうが、その瞳は明らかに泳いでいる。


「な、何なの、この空間は……。音の暴力よ。デシベル数が、労働安全衛生法で定められた基準値を遥かに超えているのではないかしら?」

「慣れてください。これがゲーセンのデフォルトです」

「デフォルト……。信じられないわ。庶民たちは、聴覚を破壊することに喜びを見出しているというの?」


 会長は、警戒心丸出しの猫のような顔つきで、周囲をきょろきょろと見回した。

 薄暗いフロアの中に、無数の筐体が極彩色の光を放って鎮座している。その光景は、彼女にとって未知の惑星に降り立ったかのような衝撃を与えているに違いない。


「カズキ、あれは何? 人々が光るパネルの上で、奇っ怪な動きを繰り返しているけれど」


 彼女が指さしたのは、ダンスゲームのコーナーだった。熟練のプレイヤーたちが、目にも留まらぬ速さでステップを踏んでいる。


「あれはダンスゲームです。リズムに合わせてパネルを踏むんです」

「ダンス……? あれが? まるで、熱した鉄板の上で苦悶する実験動物のような動きに見えるわ」

「失礼なこと言わないでください。あれはあれで、高度な技術が必要なんです」


 会長は「ふうん」と鼻を鳴らし、興味深そうに、しかし少し離れた場所からその様子を観察し始めた。


「なるほど。一定の周期で流れてくる信号に合わせて、身体機能を同期させる訓練装置ということね。反射神経と動体視力を養うには、悪くないメソッドかもしれないわ」


 なんでもかんでも訓練や学習に結び付けたがるのが、この人の悪い癖だ。

 俺たちは、喧騒の中をゆっくりと進んでいく。

 日曜日ということもあり、店内はかなりの混雑具合だ。カップル、学生グループ、家族連れ。多種多様な人々が、それぞれの休日の暇つぶしに興じている。

 その中を、俺と会長――変装を解除させられ、素顔を晒した学園のアイドル――が歩いているのだ。当然、周囲の反応は劇的だった。


「え、ちょ、見て。あの子、すっげー可愛くない?」

「モデルか何かか?」

「隣の男、彼氏? マジで?」


 すれ違う男たちが、吸い寄せられるように会長の方を振り返る。中には、口を開けたまま立ち尽くしている奴もいた。

 彼女が放つオーラは、この雑多な空間においても、決して埋没することはない。むしろ、薄暗い照明と派手なネオンのコントラストが、彼女の整った顔立ちをより一層際立たせていた。


「……視線を感じるわ」


 会長が、俺の袖を軽く引っ張った。


「そりゃそうですよ。会長、目立ちすぎなんです」

「不本意だわ。私はただ、庶民の生態系を観察しに来ただけなのに、逆に観察対象にされるなんて」

「まあ、諦めてください。それより、何かやってみますか?」

「そうね……。私の知性に挑戦するような、高尚な遊戯があればいいのだけれど」


 高尚な遊戯。

 そんなものが、この場所に存在するだろうか。

 俺が考えを巡らせていると、会長の足がピタリと止まった。


「……カズキ。あれ」

「はい?」


 彼女の視線の先には、フロアの一角を占拠する、巨大なガラスケースの群れがあった。

 クレーンゲームのコーナーだ。

 大小さまざまなぬいぐるみが、山のように積み上げられている。


「あれは、知っているわ。クレーンゲーム、通称『UFOキャッチャー』ね。テレビのドキュメンタリーで見たことがあるわ」

「ドキュメンタリーで見るもんじゃないですけどね。やってみますか?」

「ふむ。アームを操作して、景品を獲得する。単純なようでいて、奥が深そうね。座標計算と物理の勝負……。私の理系脳が疼くわ」


 会長は、不敵な笑みを浮かべて、一台の筐体に歩み寄った。

 そこに入っていたのは、最近流行りのゆるキャラのぬいぐるみだった。

 正直、可愛いかと言われると微妙なラインだ。

 目が極端に離れていて、口がへの字に曲がった、緑色の謎の生物。カエルなのか、河童なのか、あるいは宇宙人なのか。デザイナーの正気を疑うような造形だが、なぜか女子高生の間でカルト的な人気を誇っているらしい。


「……これよ」


 会長は、ガラスにへばりつくようにして、その微妙なぬいぐるみを凝視した。


「え、これですか? もっと他にも、可愛いクマとかウサギとかありますけど」

「いいえ、これがいいの。見て、この左右非対称な目の配置。黄金比に対するアンチテーゼを感じるわ。それに、この間の抜けた表情……。見ていると、私の脳内の緊張が緩和されていくのを感じる」

「まあ、癒し系と言えなくもないですけど」

「決めたわ。この子を保護する。私が連れて帰って、生徒会室のマスコットとして更生させてあげるのよ」


 更生って。別に非行に走ってるわけじゃないだろうに。

 会長は、財布から百円玉を取り出すと、筐体の投入口に近づけた。


「見ていなさい、カズキ。私の頭脳にかかれば、このような原始的なアーム機構など、赤子の手をひねるようなものよ」

「自信満々ですね。でも、これ結構難しいですよ?」

「愚問ね。全ては物理法則に支配されているのよ。重力、摩擦係数、アームの握力、そして重心の位置。すべての変数を計算式に当てはめれば、解は自ずと導き出されるわ」


 会長は、チャリン、と硬貨を投入した。

 軽快な電子音が鳴り響き、ゲームがスタートする。

 彼女は、操作パネルのボタンに指を添えた。その表情は、まるでミサイル発射のスイッチを押す司令官のように真剣そのものだ。


「まずはX軸……目標座標への移動を開始する」


 彼女の指が、横移動のボタンを押す。

 ウィーン、と音を立てて、クレーンが右へと移動していく。

 狙うのは、山の頂上付近に置かれた、一番取りやすそうな緑色の個体だ。


「よし、ここだわ。停止」


 ボタンを離すタイミングは悪くない。クレーンは目標の真上でピタリと止まった。


「続いてY軸……。奥行きの調整よ。これは三次元空間認識能力が問われるわね」


 彼女は横に回り込み、ガラス越しに位置を確認する。

 その真剣な横顔に、俺は少しだけ感心した。ちゃんと多角的に確認するあたり、基本は押さえているらしい。


「……計算完了。この座標で間違いないわ。発射!」


 彼女が二つ目のボタンを離した。

 アームが奥へと移動し、そして降下を開始する。

 位置は、素人目に見てもかなりいい線を行っている。ぬいぐるみの胴体の真上だ。


「完璧な軌道よ。勝利は確定したわ」


 会長が勝利宣言をした、その瞬間。

 アームが開いた状態でぬいぐるみに着地し、そして閉じる。

 ガシッ。

 二本の爪が、ぬいぐるみの胴体をしっかりと挟み込んだ。


「捉えた! 引き上げ開始!」


 アームが上昇する。ぬいぐるみも一緒に持ち上がる。

 おお、これはまさかの一発ゲットか?

 俺がそう思ったのも束の間。

 アームが最上点に達し、獲得口へと移動を始めようとしたその時だった。


 ポロリ。


 何の前触れもなく、アームの爪から力が抜け、ぬいぐるみは重力に従って落下した。

 ボフッ、と情けない音を立てて、元の位置よりも少し悪い場所に転がる。


「……は?」


 会長が、口を半開きにして硬直した。

 アームだけが、虚しくウィーンと音を立てて戻ってくる。そして、何事もなかったかのように初期位置で停止した。


「……な、何なの今の現象は?」

「いや、仕様です」

「仕様ですって!? 見たでしょう、カズキ! 一度は確実に把持したのよ! なのに、空中で勝手に離したわ! これは詐欺だわ!」


 会長がガラスケースをバンと叩いて抗議する。


「落ち着いてください。最近のクレーンゲームは、アームの力が弱く設定されてるんです。確率機とも呼ばれてて、一定回数やらないとアームが強くならなかったり、あるいは少しずつずらして落とすのが基本だったりするんです」

「なっ……! そ、そんな不条理がまかり通るというの!?恣意的な介入じゃない!」

「それが商売ですから」

「許せないわ……。私の計算では、摩擦係数が十分であれば落下しないはずだったのに……。機械側の握力設定というブラックボックス変数が、これほどまでに支配的だなんて……」


 会長は悔しそうに唇を噛んだ。

 だが、すぐにその瞳に炎が宿る。


「……いいでしょう。ならば、そのブラックボックスすらも計算に入れて、ねじ伏せてみせるわ」

「え、まだやるんですか?」

「当然よ! 天上院家の辞書に『敗北』という文字はないの! 私が欲しいと思ったものは、必ず手に入れる。それがこの世の真理よ!」


 彼女は財布から、さらに百円玉を取り出した。いや、一枚ではない。五枚だ。


「連続投入よ! これで試行回数を増やし、データを収集するわ!」


 チャリン、チャリン、チャリン……。

 硬貨が吸い込まれていく音が、俺には破滅へのカウントダウンのように聞こえた。

 ここから、会長の泥沼の戦いが始まった。


 二回目。

 今度は頭部を狙ったが、アームが丸い頭を滑って空振り。


「なぜ落ちるのよ!アームが弱すぎるんじゃないの!」


 三回目。

 タグの輪っかに爪を引っ掛けようとする高等テクニックに挑戦。しかし、ミリ単位のズレで失敗。


「くっ……! あと数ミリ……!風の影響かしら? 店内の空調の風圧を計算に入れていなかったわ……!」


 いや、風なんて吹いてないです。


 四回目。

 押し込み技を試みるも、ぬいぐるみの弾力に弾かれる。


「反発係数が高すぎるわ! このぬいぐるみ、なんなの!?」


 五回目、六回目、七回目……。


 百円玉が次々と消えていく。

 最初は論理的に分析していた会長も、徐々に余裕を失い、言葉少なになっていった。

 その額にはうっすらと汗が滲み、美しい髪が乱れているのも気にせず、操作パネルに食らいついている。


「……おかしい。何かがおかしいわ。私の計算はミスのないはずなのに」

「会長、そろそろ諦めた方が……」

「黙りなさい! 次こそは取れるのよ! データは揃ったわ。アームの挙動、周期、癖……すべて把握したわ!」


 そう言って、彼女は財布を開いた。

 しかし、そこにはもう小銭がなかった。

 彼女は一瞬固まったが、すぐに懐から千円札を取り出した。


「カズキ、両替してくるわ! この台を死守していなさい! 他のハイエナに奪われたら承知しないわよ!」

「はいはい……」


 彼女は風のように走り去り、両替機へと向かった。

 俺はため息をつきながら、ガラスケースの中の緑色の生物を見つめた。

 山の形は崩れ、狙っていた個体は、さっきよりも取りにくい位置に転がってしまっている。正直、今の会長の腕前では、あと数千円使っても取れるかどうか怪しいところだ。


 戻ってきた会長の手には、十枚の百円玉が握りしめられていた。

 その目は血走っている。もはや、楽しむためのゲームではなく、意地とプライドをかけた戦争になっていた。


「第二ラウンド開始よ……! この一千円で、決着をつける!」


 彼女は震える手で硬貨を投入しようとする。

 だが、俺はそっとその手首を掴んで止めた。


「……カズキ?」

「会長。ちょっと待ってください」

「放しなさい。今、私はゾーンに入っているのよ。邪魔をしないで」

「ゾーンに入ってる人は、そんなに手が震えてませんよ」

「うっ……」


 俺は彼女の手から、優しく百円玉を一枚だけ受け取った。


「貸してください。俺がやってみます」

「……あなたに? 無理よ。この私の頭脳をもってしても攻略不可能な要塞なのよ? あなたのような感覚派人間に、太刀打ちできるはずがないわ」

「まあ、見ててくださいよ。これでも、一人暮らしの暇つぶしで、結構やり込んでるんです」


 俺は投入口に百円を入れた。

 見慣れたファンファーレが鳴る。俺にとっては、戦いの合図だ。

 俺は操作パネルの前に立ち、ガラスケースの中をじっくりと観察した。

 ターゲットは、少し奥に転がってしまったあの緑色のカエルだ。

 普通に持ち上げようとしても、重心が偏っているため、アームの力では支えきれずに落ちてしまう。会長が何度も煮え湯を飲まされたパターンだ。


 だから、持ち上げない。


「……狙いは、ここだ」


 俺は迷わずボタンを押した。

 クレーンが右へ移動する。

 会長が狙っていた場所よりも、少しだけ右。ぬいぐるみの重心よりも、さらに外側だ。


「カズキ、そこは違うわ! 重心から外れている! それでは持ち上がらないわよ!」

「持ち上げないんです」


 俺はY軸のボタンも操作し、アームを降下させた。

 左側のアームが、ぬいぐるみの頭のすぐ横、わずかな隙間に滑り込んでいく。そして、右側のアームは、ぬいぐるみの肩のあたりに降りた。

 爪が閉じる。

 ガシャッ。

 左のアームが、ぬいぐるみの体を押し、右のアームが引っ掛ける形になる。

 そして、アームが上昇する際、ぬいぐるみが斜めに持ち上がった。


「えっ……?」


 会長が息を呑む音が聞こえた。

 完全に持ち上がったわけではない。アームの中でぬいぐるみが回転し、ゴロン、と転がったのだ。

 だが、その転がった先は、獲得口のすぐ縁だった。

 いわゆる『雪崩』を起こすための下準備。あるいは、『ちゃぶ台返し』と呼ばれる技の一歩手前だ。


「……惜しい! でも、ダメだったじゃない。やっぱり落ちてしまったわ」

「いや、これでいいんです。次で決めます」


 俺は、会長の手からもう一枚、百円玉を抜き取った。

 追加投入。

 今の形なら、確実に仕留められる。

 ぬいぐるみは、獲得口のシールドに頭をもたせかけるような状態で止まっている。あとは、最後の一押しをしてやればいい。


 俺は再びアームを操作する。

 今度は、アームの本体で押すわけではない。

 右のアームの『肘』の部分を、ぬいぐるみの足に当てるように位置を調整する。


「……何をするつもり? そこには何もないわよ?」

「まあ、見ててください」


 アームが降下する。

 閉じる動作をする前に、下降の勢いを利用して、アームの金属部分がぬいぐるみの足を上から『グッ』と押し込んだ。


 テコの原理だ。

 足が押し下げられた反動で、頭が持ち上がる。

 クルッ。

 ぬいぐるみは、まるで生きたカエルのように軽やかに宙返りを打ち、そのまま獲得口の穴へと吸い込まれていった。


 ドサッ。


 重い落下音が響き、そして軽快なファンファーレが鳴り響いた。


「…………嘘」


 会長が、目を見開いて硬直している。

 アームが初期位置に戻り、静寂が訪れた。

 取り出し口には、あの緑色の物体が鎮座している。


「……はい、どうぞ」


 俺は取り出し口に手を突っ込み、少し埃っぽい匂いのするぬいぐるみを引っ張り出した。

 そして、それを呆然としている会長の胸に押し付けた。


「ほら、お目当ての品ですよ」

「……」


 会長は、おずおずとそれを受け取った。

 両手で大事そうに抱え、そのブサイクな顔をじっと見つめる。

 そして、信じられないものを見るような目で、俺の方を見上げた。


「……すごい」


 小さな、吐息のような声だった。


「どうして……? 私は何千円使っても、一ミリも動かせなかったのに……。あなたは、たったの二百円で……」

「まあ、相性みたいなもんですよ。それに、会長が何度も動かしてくれたおかげで、いい位置に来てたんです。最後のおいしいとこ取りをしただけですよ」


 俺がフォローを入れると、彼女は首を振った。


「いいえ。あれは偶然ではないわ。明確な意図と、計算された軌道だった。重心移動、テコの原理、アームの形状特性……。あなたは、私よりも深く、この機械の物理法則を理解していたというのね」


 彼女は、悔しそうに、けれどどこか嬉しそうに、ぬいぐるみの頭を撫でた。


「……完敗だわ」


 ボソリと漏らしたその言葉には、俺への純粋な称賛が含まれていた。

 そして。


「ありがとう、カズキ」


 彼女は顔を上げ、俺に向かって微笑んだ。

 それは、いつもの生徒会長の笑みでも、不敵なドヤ顔でもない。

 年相応の少女が、心からの喜びを表現した、無防備で、飾り気のない笑顔だった。

 店内の派手なネオンや、騒がしい電子音など、一瞬で霞んでしまうほどの、破壊力抜群の笑顔。


「……っ」


 俺は、思わず視線を逸らした。

 心臓が、嫌な音を立てて跳ねた気がしたからだ。

 これはいけない。非常にマズい。

 こんな顔を間近で見せられたら、ただの『お世話係』という立場を維持する自信が揺らいでしまう。


「……どうしたの? 顔が赤いわよ?」

「う、うるさいですね。ここの暖房が効きすぎてるだけです」


 俺はぶっきらぼうに答えて、誤魔化した。

 会長は、そんな俺の態度など気にも留めず、ぬいぐるみを愛おしそうに頬擦りしている。


「ふふっ。変な顔。でも、近くで見ると愛着が湧くわね。名前は何にしようかしら……。『ケロヨン三世』なんてどう?」

「センスないですね。まあ、好きにしてください」


 俺たちは、クレーンゲームコーナーを後にした。

 彼女の腕の中には、緑色のカエルがしっかりと抱かれている。

 すれ違う人々が、またこちらを見ている。


「あ、取れたんだ」「彼氏が取ってあげたのかな」「いいなぁ」


 そんな声が聞こえてくるが、不思議と、さっきまで感じていた居心地の悪さは、少しだけ薄れていた。


 隣を歩く会長が、ご機嫌そうに鼻歌を歌っているせいかもしれない。

 あるいは、俺自身が、少しだけ「デートっぽいこと」を達成して、満足感を感じてしまっているせいかもしれない。


「さて、カズキ」


 一通りぬいぐるみを愛でた後、会長がキリッとした顔に戻って俺を見た。


「知的遊戯での勝利の余韻に浸るのもいいけれど、私のバイタルサインが警告を発しているわ」

「バイタルサイン?」

「血糖値の低下よ。頭脳をフル回転させたせいで、エネルギーが枯渇寸前だわ。補給が必要よ」

「要するに、腹が減ったんですね」

「そういうこと。さあ、案内なさい。この迷宮における、兵士たちの休息所へ」


 彼女が求めているのは、高級フレンチでも、予約必須の料亭でもない。

 このショッピングモールの心臓部にして、最もカオスな空間。


「分かりましたよ。フードコートに行きましょう」


 俺たちは、エスカレーターに乗り、飲食エリアのあるフロアへと向かった。

 会長の腕の中では、ケロヨン三世が、あの間の抜けた顔で、俺たちを見上げているような気がした。


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