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学園の女王さまは、俺の前でだけポンコツになる  作者: 速水静香
第二章:ラブラブの恋人(偽)

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第十話:家電量販店

 モールの中は、休日特有の熱気に満ちていた。

 家族連れの笑い声、館内放送の呼び出し音、各店舗から流れるBGM。それらが混ざり合い、一つの巨大なノイズとなって空間を満たしている。

 会長は、入った瞬間、足を止めた。


「……人が、多いわ」


 彼女は圧倒されたように呟いた。

 広い吹き抜けの空間を行き交う人々の波。その数に、彼女の脳が処理落ちを起こしているようだ。


「言ったでしょう。週末はこんなもんです」

「全員、何をしに来ているの? 何か暴動でも起きる前触れ?」

「買い物と食事と、暇つぶしです」

「暇をつぶすために、わざわざこんな高密度の空間に身を投じるなんて……。庶民の思考は、やはり理解不能だわ」


 そう言いながらも、彼女の目は油断なく周囲を観察している。

 俺たちは、人の流れに乗って歩き出した。


「まずは、どこへ行くの?」

「そうですね。とりあえず、何か見ますか?服とか?」

「服はもういいわ。先日、あなたが選んだもので十分足りている。それより、もっと実用的なものが見たいわね」

「実用的?」

「ええ。文明の利器よ」


 会長が指さしたのは、フロア案内図にある『家電量販店』の文字だった。


「家電ですか? 何か必要なものでも?」

「私の家……いいえ、あなたの職場環境の改善に必要な投資を行いたいと思っているの」

「職場環境って、俺のキッチンですか?」

「それ以外に何があるのよ。さあ、行くわよ」


 彼女はズンズンと歩き出した。俺は慌てて後を追う。


 家電量販店のフロアに入ると、そこはまばゆい光の洪水だった。最新のテレビ、冷蔵庫、洗濯機が整然と並び、店員たちが声を張り上げている。

 会長は、一直線に調理家電のコーナーへと向かった。


「これよ、カズキ。これがあれば、あなたの料理スキルはさらに飛躍的に向上するはずだわ」


 彼女が立ち止まったのは、高級炊飯器のコーナー……ではなく、なぜかエスプレッソマシンの前だった。


「……コーヒーメーカーですか?」

「ただのコーヒーメーカーではないわ。イタリア製の全自動エスプレッソマシンよ。豆の挽き具合から抽出温度まで、全てをプログラムできる優れものだわ。お値段は……ふむ、二十万円。安いわね」


 安くない。絶対に安くない。俺のアパートの家賃の何ヶ月分だと思っているんだ。


「買いましょう。これをあなたの家に設置すれば、毎朝私が飲むコーヒーのクオリティが劇的に向上するわ」

「置き場所がありません! 俺のキッチン、激狭なんですよ!?」

「ならば、隣の部屋も借りればいいじゃない」

「簡単に言わないでください! 却下です!」


 俺が止めると、会長は不満げに次へ移動した。

 次に目をつけたのは、巨大なオーブンレンジだった。


「これならどう? AI搭載で、食材を入れるだけで最適な調理法を提案してくれるらしいわ。これさえあれば、あなたが不在の時でも、私が餓死せずに済むかもしれない」

「会長、これ、幅が六十センチあります。俺の冷蔵庫の上に置いたら、はみ出して落下します」

「……ちっ。あなたの部屋の狭さが、文明の進化を拒絶しているわね」


 誰が拒絶してるんだ。物理法則だ。

 会長は、その後も次々と高級家電に手を出そうとした。水素水生成器、自動パン焼き機、果ては業務用のかき氷機まで。

 そのすべてが「俺の部屋には入らない」か「必要ない」ものばかりだ。


「もう! 何も買わせてくれないじゃない! 私は消費活動を通じて経済に貢献したいのよ!」

「貢献の仕方が雑すぎます! 買うなら、もっとこう、本当に使えるものにしてください」

「本当に使えるもの……?」


 会長は考え込み、そして一つの棚の前で足を止めた。

 そこにあったのは、圧力鍋だった。

 電気圧力鍋。ボタン一つで煮込み料理ができる、最近流行りのやつだ。


「……これ」

「圧力鍋ですね」

「これがあれば、硬い肉も短時間で柔らかくなる?」

「なりますね。角煮とか、一時間もあればトロトロになりますよ」

「角煮……!」


 会長の目が輝いた。彼女は肉好きだ。特に、脂の乗った柔らかい肉には目がない。


「それに、野菜のスープとかも、朝セットしておけば帰宅時にはできあがってます」

「……素晴らしいわ。時間の短縮と、味の追求。これこそ論理的な調理器具ね」


 彼女は商品の箱を手に取った。


「これにするわ。カズキ、これを買いなさい」

「え、俺が買うんですか?」

「違うわよ。私が買うの。でも、使うのはあなたよ。だから、あなたの家に送るわ」

「……それ、プレゼントってことですか?」

「勘違いしないでちょうだい。これは設備投資よ。より美味しい角煮を私に提供するための、先行投資に過ぎないわ」


 彼女はツンとした顔で言い放つと、近くにいた店員を呼び止めた。


「これをお願い。配送先はカズキの家に。カズキ、住所を書きなさい」

「はあ……」

「支払いはカードで。一括よ」


 彼女が財布から取り出したのは、漆黒に輝くブラックカードだった。

 店員の顔が引きつる。


「あ、あのお客様、こちらのカードは……ご本人様の、ですか?」

「もちろんよ!失礼ね!」


 その会長の発言に周囲の客もざわつく。

 女子高生がブラックカードで圧力鍋を買う図は、シュールだ。


「……会長、ここのポイントカードとか持ってないんですか?」

「何それ?」

「いいえ、もういいです……」


 会計を済ませ、配送の手続きを終えると、会長は満足げな笑みを浮かべた。


「ふふん。良い買い物をしたわ。これで、私の食生活はさらに充実する。あなたも、新しい武器を手に入れて嬉しいでしょう?」

「まあ、圧力鍋はずっと欲しかったんで、正直助かりますけど……」

「素直でよろしい。感謝の気持ちは、最高級の豚の角煮で示してちょうだい」

「了解です、マイ・オーナー」


 俺が皮肉っぽく敬礼すると、会長は「うむ」と鷹揚に頷いた。

 なんだかんだで、彼女は楽しそうだ。

 自分の欲求を通しただけのように見えるが、その実、俺の負担を減らすために、時短調理ができるものを選んでくれたような気もする。


 ……いや、考えすぎか。単に角煮が食いたいだけだろう。


「さて、次はどこへ行くの? 私の購買意欲は、まだ満たされていないわよ」

「じゃあ、次はあれです。庶民の娯楽の殿堂」

「殿堂?」


 俺は上の階を指さした。

 そこからは、賑やかな電子音と、人々の歓声が聞こえてきていた。


「ゲームセンターに行きましょう」

「げーむ……せんたー……?」


 会長は、その未知の響きを噛みしめるように繰り返した。

 もしかしたら、彼女にとっての『遊戯』とは、チェスかバイオリンか、あるいは乗馬なのかもしれない。

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