2話 祭の後で
祭りの後の宴が始まり、夜が更ける前にマリーエル達は月光城へと引き返した。
月光城の窓からは、浜で民達が宴を続けているのが見える。
「此処の奴等は元気だねぇ。僕なんてもう眠いけど。酒も入ったし、朝早くからずっと船を見てたし」
ふぁ、と欠伸交じりに言ったインターリは、呆れたように目を細めながら横を向いた。
「で、アンタ等はまだ飲むって?」
窓の前に出された卓に、カルヴァスとセルジオが腰掛け、酒器を傾けていた。
「民に囲まれ一杯、民を見ながら一杯。どの酒も旨いものだから」
「……一杯どころじゃないでしょ、アンタ達は」
「一杯どころでなく、何杯でも。なぁ、カルヴァス?」
酒器を掲げるセルジオに、カルヴァスは笑みを浮かべて同じように酒器を掲げる。
「今日はとことんまで付き合いますよ。オレも久し振りに此処まで飲んだけど、やっぱり楽しいですね」
セルジオは嬉しそうに酒を呷り、カルヴァスの器と共に再び酒で満たした。
その様子を見やってから、インターリは隣に腰掛けるカナメを小突いた。
「アンタはさ、とっとと寝たら? その様子じゃ何の役にも立たないと思うけど?」
「……いや、それは」
もごもごと言うカナメに、立ち上がるようにと腕を引っ張り上げる。次いでマリーエルを見下ろし、不機嫌そうに口を曲げた。
「お姫様も寝た方がいいと思うけど?」
「え、うーん、そうだね」
マリーエルは水の入った器を卓に戻し、立ち上がった。
一杯だけのつもりの酒が、気が付けば二杯三杯と進み、少しばかり頭がふらついていた。「もう少し水を飲まれますか?」と訊くアーチェに首を振り、マリーエルはアーチェの手に掴まって寝室へと向かった。
カナメを寝室まで引っ張っていったインターリは、そのまま続きの間へと引き返し、酒宴を続けるカルヴァスとセルジオの横を無言で通り過ぎた。
「あれ、お前も寝るんじゃなかったのか」
「……寝るよ。部屋の前で」
〈走る姿〉となって部屋の隅で丸くなっていたベッロが、ウトウトとしながらインターリに纏わりついた。
「おや、お前にも寝台は用意したつもりだけどね。気に入らなかったかい?」
心外だ、とばかりに言うセルジオに、インターリは「別に」と答える。肩をすくめたセルジオが続ける。
「お前は心配なのだろうけど、今も我がエラン兵が警備に当たっているから、そう警戒する必要はないけれどね。どうだい、お前ももう少し飲まないか」
「飲まないよ」
そう言ってから、ベッロの頭をくしゃりと撫で、インターリは部屋を出た。
廊はシンと静まり返っていた。壁際に座り込むと、床がひんやりとして気持ちが良かった。時折巡回に通り過ぎるエラン兵は、インターリが廊で座り込んでいても気にしていなかった。これもセルジオが手を回したせいなのか、と思うとつまらない思いがしたが、いちいち事情を聞かれるよりは幾分も楽だったので、そのまま受け入れることにした。
酒は確かに美味かったが、余計なことを思い出してしまって気分が悪くなることもある。確かに酒宴は楽しい。この国で行われるものならば……。
そう取り留めもなく考えながら、インターリは浅い眠りに就いた。
インターリを見送ったカルヴァスが僅かに眉を寄せると、セルジオが可笑しそうに笑みを浮かべてから、窓の外に目をやった。
「この日を迎えられてよかった。こうして何事もなく日々が過ぎていけばいいのだけどね」
カルヴァスは返事の代わりに酒器を傾けた。
エランの抱える問題。それは、大陸からの間者のことだった。
それは精霊国全土の問題でもあるのだが、大陸から訪れる者達をまず受け入れるのはエランの港である以上、対策を講じる必要があった。
「私がエランの領主となってから早十年。以前は大陸をよく訪れていたし、随分と詳しいつもりでいた。しかし、こうも内側から崩されようとしていたとはね。と言っても、この国を訪れる者皆を疑い、質す訳にもいかない。いっそ、交易路を閉じてしまうか」
「それは……」
難しい顔をしたカルヴァスに、小さく笑ってからセルジオは緩く首を振った。
「無理だ。生きていく分には精霊国内で全てが足りるが、例えばもし華発なんかがその気になってしまえば、精霊国はひとたまりもない。今は間に炉の国を挟んでいるけれど、船だって随分と大きな物を造り上げたそうじゃないか。その内、潮の流れを気にしないで精霊国へと直に行き来の出来る船を造るかもしれない。ヨンムやジャンナが華発との繋がりを作ったとはいえ、それも揺るがないとは言えない」
焦れたように体を揺らし、セルジオは唇を噛んだ。
「トレヴィに私のこの座を譲ったら、大陸へ行こうかと考えていてね」
「え、大陸に?」
戸惑うカルヴァスに、セルジオはひとつ頷いた。
「もとよりその必要があるとは以前から考えていたんだ。だが、エランの状況や、影の出現によりそれも難しい。何より、まだトレヴィにはエラン領主という座は重い。ただ、ジュリアスやフリドレードは平穏を取り戻しつつある。影についても君達精霊隊が居る。そして、クッザールは信頼に足る実績を積み上げている。カオル……グランディウス王は真の王へと近付いている、そう私は思っている。あとは、エランが大陸との架け橋として機能するよう整えなくてはならない。それには、大陸からの活動も必要になってくる」
カルヴァスは、ゆっくりとセルジオの言葉を反芻した。
確かに、今精霊国がおかれている状況は、悠長に構えていられる程ではない。初代グランディウスの代に世界が分けられ、それぞれが治めてきた国々は、幾度も代を変え、その度に考え方や姿勢を変えてきた。島国である精霊国は直接的な影響を受けることは少なかったが、時が進むにつれそうとも言っていられなくなっているのは、実際に大陸を訪れたカルヴァスにもよく判っていた。
「古の約束とはいえ、治める者が変わればその均衡もいつ崩れるか」
セルジオの言葉に、カルヴァスは固く頷いた。
大陸で大きな戦が起きていないのは、一番大きく繁栄している華発の国が戦を避けているからだった。華発王ジョイエルスは戦によってあらゆるものが失われるのを恐れている。歴代の華発王もその傾向にあったが、ジョイエルスは特にその想いが強かった。
そして裏大陸の動向も掴めていない。
華発から霜夜に掛けて横たわる山脈によって隔てられた、通称裏大陸。様々な事情からその行き来は殆どなくなってしまったが、果たして今も古の約束を忘れずにいるのか。アントニオによれば、その暮らしに関する知識に変わった所はないというが、アントニオ自身も実際に見てみなければ判断は出来ないと言う。
精霊隊とはいえ、考えるべきは国内のことだけではない。
大陸でも影に対抗する動きはあるが、この世界に巣食う澱み自体に対することは未だ出来ていない。影に関すること全てに対抗しうる力を有している精霊姫のマリーエルは、いずれ、世界樹の枝葉の祓えに出たように、大陸でのことにも出ていかねばならぬ日も来るだろう。マリーエルには精霊姫だけでなく、グランディウスの子孫という立場もあるのだから。
「まずは下地作りとしてエミエルを大陸に移す予定だ。炉の国の棟梁とも話し合った計画でね。軽くクッザールには話してあるが、まだ正式には明かしていない」
「あぁ、この事だったんですね」
以前、クッザールからエランでも少しばかり動きがあるだろうとは知らされていた。セルジオの執事であるエミエル自ら行くとは思わなかったが、ゆくゆくはセルジオ自身が向かうとなれば当たり前の異動でもあると納得する。
「まぁ、まずはトレヴィがこの地を治めるに相応しい者としての実力をつけることと、経験を積ませ、民の支持をえること、だな。散々子を成せと言われてきたが、私はジュリアスの民じゃないんだ。勿論領主としての務めの内だとは思っていたが、父と弟が亡くならなければ、私は今でも大陸の何処かに──それこそ、裏大陸に居たかもしれない。あぁ、領主の座に不満のある訳ではないがね」
そう言って、セルジオは肴をつまみ、酒を呷った。
ふと顔を上げ、嬉しそうに目を細める。
「お前達はよく似ているね」
「え……?」
首を傾げるカルヴァスに、セルジオはうんうんと一人で頷いている。
「お前とクッザールだよ。何処かクッザールと飲んでいるような気にもなってくる。勿論、カルヴァス、お前のこともなかなかに気に入っているし、こうして酒を飲みかわすのが楽しい。だがね、お前達は余計なことを私から引き出すんだ」
それも決して嫌な訳じゃないけれどね、とセルジオはクツクツと笑う。
「オレも楽しいですよ。以前から……オレがクッザール隊の副隊長を任されるようになってからこうして酒の席を共にすることがありましたけど、いつも有意義な時でした。今はこうして精霊隊の隊長として……違うな。ただのカルヴァスとして共に過ごせるのもただ、単純に楽しいし、光栄なことだと思っています」
セルジオはフフと忍び笑いながら「クッザールにも光栄だと言わせたいものだね」と言った。
クッザールからは、セルジオとの酒は長くなる。と伝えられていたが、カルヴァスはそれさえも楽しんでいた。何より、いつも余裕があるように見えて、その実頭の中ではあらゆることに気を回しているセルジオが、少しだけ気を緩めているのが判って嬉しかった。
マリーエルの許に、精霊隊という、自身が隊長となって動かす隊を編成するとなった時に胸に沸いた高揚感と似たものが、胸に広がっていくのをカルヴァスは感じていた。
国王隊に憧れグラウスへと移り、大切なものを守る為にその技術を磨いてきた。それが今、少しずつ花開いている。
「ところで、お前の方はどうなんだ。妻も居ない私に訊かれたくはないとは思うけどね」
瞳を好奇心に輝かせ、セルジオが訊いた。
「どうって──」
「マリーエルとのことさ。まさかそれで隠しているつもりじゃないだろう」
声を落としたセルジオは物知り顔をして笑っている。それに苦笑しつつ、カルヴァスは取り繕うように肴に手を伸ばした。
「クッザール隊長にも度々訊かれますよ。好きですよね、そういう話題」
「おや、お前は好きじゃないのかい」
そう返したセルジオは、一人で納得したように頷いた。
「まぁ、お前の場合はそうかもしれないね。とにかく剣の鍛錬に身を捧げてきた訳だからね。それにフリドレードでの一件もある。今は精霊隊隊長という座も手にした訳だ。そろそろ頃合いだとは思うのだけどなぁ」
カルヴァスは、僅かな恥じらいに頬を掻いてから、ふと昔を思い返した。
「まぁ、別にオレもこういう話題が好きじゃないって訳じゃないけど……こればっかりは相手が居ることですからね」
カルヴァスの言葉に、セルジオはふぅんと唸った。
「お前も真面目だねぇ」
「真面目……なのか、これは」
うん? と首を傾げるカルヴァスにセルジオが可笑しそうに笑う。
「この年にもなるとな、若い者達のこうした話が眩しく思えるものなんだ」
「若い者って……セルジオ殿も十分若いじゃないですか」
まぁな、とセルジオは肘掛けに肘を突き、浜の宴に視線を移す。そして、何処か遠い目をした。
「年を重ねると物の見方も変わる。近頃ではそれを感じることも多くなった。だからこそ、気になるんだよ」
再び笑みを取り戻したセルジオは、ウキウキと酒器を口に運んだ。
「この城でこうした話題を出すと、途中から私の相手を探そうという話に変わってしまってね」
「何故、相手を探すつもりがないんですか」
それは、以前よりずっと疑問に思っていたことだった。
セルジオは見た目も十分に魅力的であるというのが良く聞く意見であったし、中身であっても話せばこんなに面白い者がいるだろうかと思わせる魅力がある。セルジオ自身を慕う者も居るし、領主の妻という座に興味のある者だって多く居る。それでも、セルジオは妻をとろうとしなかった。
顎を擦っていたセルジオは、ふうと息を吐いてから背もたれに背を預けた。
「私は長子だが、元々領主の座は弟に譲ると決めていた。それ程に世界の在り様が私には魅力的に映ったんだ。繰り返すが、今のこの座に納得していない訳じゃない。民が私を慕い働いてくれることに感謝もしている。ただ、私はそうしたことの上に立つのではなく、眺めていたいと思ってしまう性質でね。それは精霊国内だけに留まらない。あらゆるものをこの目に映したい、そう考えてしまう。グランディウスが子エランの子孫であるというのに、その役目を見て見ぬ振りをし、幼い頃より勝手気ままに過ごしてきた。エミエルには随分と苦労を掛けた。そんな私が、子を成すなど想像出来ない……いや、それよりも、興味深いものがこの世界にはあまりにも多くある。それに、子を可愛がるならば、他人の子の方が無責任に可愛がれるだろう」
セルジオの言葉に、カルヴァスは釣られるようにして笑った。
「だからこそ、クッザールと共に居ると何処か眩しく、そして正しい者だと感じるんだろうな。アイツにも、早い所いい相手が見つかると良いんだがなぁ。アイツもアイツで真面目だし、それにそう簡単に気持ちの整理がつくものでもないことを、流石の私も理解しているけれどね。カルヴァス、お前にもあのような気持ちを抱いては欲しくはないんだ。──まぁ、マリーエルに関しては、競合がいるようだけれどね」
フフと笑うセルジオに、取り繕うように頬を掻いてから、カルヴァスは言った。
「まぁ、どうなるにせよ、マリーがあの様子だとなんとも」
「それもそうだ」
可笑しそうに笑ったセルジオは、ゆっくりと立ち上がった。笑みを浮かべたままカルヴァスを見下ろす。
「お前はクッザールより酒を飲ませるのが上手いね。余計なことも多く話してしまった。気に障っていたらすまないね。つい楽しくてな。今日の所は此処までにしようか」
僅かにふらつくセルジオを支えると、照れたように笑った。
「ほら、これが重ねた年の結果さ」
「何を言ってるんですか」
小さく笑みを浮かべたセルジオは、「ではな」と部屋を出て行き、部屋を出てすぐの所に居るインターリとベッロに声を掛けてから廊を歩いて行った。
随分と酔いの回った頭で、ぼんやりと浜の宴を見やったカルヴァスは、じっと物思いにふけながら、一人で酒を呷った。




