1話 エランの船祭
激しい声が響き、水飛沫が上がる。
水上で行われているそれらの熱気は、観覧席に居るマリーエル・グラウス・ディウスの許にまで届いていた。
「楽しめているようだね」
隣に座したセルジオ・エラン・ディウスが酒器を口元に運びながら言った。
「ええ、とっても」
笑顔を浮かべたマリーエルに、満足そうに頷いたセルジオは、その向こうに座すカルヴァスにからかうような笑みを向けた。
「お前は、此方より彼方に居る方が興味あるかな」
そう言ってカルヴァスの手元の器に、酒を注ごうと酒器を差し出す。カルヴァスは水上から目を外し、器の中身をひと息に飲んでから、器を差し出した。
「まぁ、確かに、興味はありますけど……。オレは船の方はあまり慣れてなくて。剣の打ち合いと、霊鹿の競いならいくらでも出来るんですけど。でも、良いですね。実際に見たのは初めてだけど、クッザール隊長から聞いてたものより、すげぇ迫力。なぁ?」
そう言って、カルヴァスは嬉しそうにマリーエルに笑い掛けた。
マリーエル達は、セルジオの誘いから、エランの船祭りに参加していた。
エランの民がそれぞれの船を出し、沖から捧げものを持り帰り、いち早く船を陸に揚げる。言ってしまえば疑似的な漁を再現する訳だが、これにより漁の成功を祈るという儀だった。操船技術や、漁師としての度胸や巡りの良さを競い合う。速く、そして良い捧げものを持ち帰った船の者達には、セルジオ手ずから編んだ特別な網を授与される。
浜には多くの旗が揚げられ、多くの民が歓声を上げていた。
マリーエル達は船競技を横から見るように、木で設えた観覧席に座していた。
「クッザールも来られれば良かったんだがなぁ。お前達はよく酒を呑むから、私としても有難い。──ほら、旨いだろう、エランの酒は」
そう言って、セルジオは再びカルヴァスへ酒器を差し出した。
「酒も美味いし、エランで獲れた魚も旨い。──クッザール隊長からの肉はどうですか?」
「あぁ、相変わらずアイツは肉の目利きが上手いからな」
セルジオは肉を噛み締めると、器を傾けて笑った。
木々の波や、フリドレードとの一件から、既に半年が過ぎていた。今は収穫期に入り、一年を通して温暖な精霊国でも、特に照らす陽が強く、少し汗ばむこともある時期だった。あらゆる命在るモノ達が活発になる時である。
クッザールは、喪失の谷のことや他地方とのやり取りに相変わらず走り回っている。エランの船祭りにも精霊隊と共に訪れる予定だったが、ジュリアスで捕らえられた大陸からの間者がひと悶着起こしたせいで、叶わなかった。
マリーエルはエランでの人気を益々上げ、民の声もあり参加することとなった。セルジオは「こういう時だからこそ、君にエランを訪れて貰えて良かった」と到着してすぐに言った。
大陸からの間者の影響が表面化した後、各地方でそれに対する調査が行われた。
幸い、そこまでの深刻な被害はなかったが、首謀者の狙いが判らぬ今、精霊国内で争っている時ではない。懸念されたフリドレードはジェーディエの許に結束しつつあり、ジュリアスもイルスーラが子継の儀へと入り、代替わりの準備が進んでいる。
エランの船は次々に沖へと出て、その勇ましい声と共に水飛沫を上げる。船尾に付けられた幡が風になびき、海上を彩っていた。
「セルジオ様、お持ちしました」
「あぁ、待っていたよ。ほら、マリーエル、見てくれ」
セルジオは世話役の持って来た器のひとつを取り上げると、マリーエルの前に置いた。
「これが、見せたいもの……ですか?」
器には花の添えられた、透けるような水菓子が載せられていた。橘のタレが掛けられ、甘酸っぱい香りが食欲をそそる。
「これは、その名も〈マリーエルの微笑み〉。厨役が考案したそうだよ」
「えっ、私の⁉」
マリーエルは目を見開き、まじまじと水菓子を見つめた。プルプルとしたそれは、確かにマリーエルの髪のような色をして、添えられた花も瞳に咲く花模様のようだ。
見つめる内、マリーエルはかぁと顔が熱くなるのを感じていた。
──自分の名前を付けられたお菓子って考えると、少し恥ずかしいけど……。
「どうだい?」
セルジオから匙を受け取ったマリーエルは、ドキドキとしながら水菓子を掬って口に運んだ。橘の甘酸っぱい風味と、水菓子自体の優しい甘さが口いっぱいに広がっていく。
「美味しい……!」
「そうだろう。しかし、よく考えたものだよね。海藻を使っているんだって。橘はエランのものだけど、花はジュリアスからわざわざ取り寄せているようだよ。我が領での君の人気はそれ程までに高まっている。私もセルジオという名のついた料理のひとつでも作って欲しいものだ」
なぁ、とセルジオは世話役に笑い掛ける。世話役は困ったように笑いながら、器を配り終え、観覧席を辞した。
「へぇ、まぁ見た目も綺麗だし、味もそこそこいいね。酒とは合わないけど」
精霊隊の席の奥の方に座っていたインターリが、匙を片手に言った。
セルジオの勧めるままに酒を呑んでいたインターリは、いつも通りの顔色でちらりとセルジオを見やってから、再び船競技に目を向けた。カルヴァスのような熱意はないが、インターリも船競技を楽しんでいるようだった。
「確かに酒には合わないな。──そうだ、今度はこの水菓子に合う酒を造らせよう。それに、セルジオという名を付けるんだ」
「……それは、知らないけど」
むくれたように言うインターリの目の前に置かれた数々の皿に目をやりながら、セルジオは口を尖らせた。
「それにしても、本当にお前は食が細いねぇ。大きくならないぞ」
その言葉に、インターリは眉根を寄せる。
「これ以上大きくなる筈ないでしょ。僕を幾つだと思ってるの」
その刺々しい言い方に、様子を見守っていたアーチェが腰を上げる。しかし、セルジオは可笑しそうに笑いながらそれを制すると、ニンマリとインターリを見やった。
「いやぁ、ついからかいたくなる奴ってのは、居るものだね」
「あまり苛めないでやって下さい。からかいが過ぎると、面倒なことになりますよ」
カルヴァスが言うと、インターリがぷいと顔を背け、その先に座すベッロに呆れた顔を浮かべた。
「お前はさ……」
「美味しい! ね、インターリ! 楽しい! 船、凄い!」
ベッロは酒を呑まず、代わりに出された料理や肴を何でも食べた。世話役に「これ美味しい」と素直に伝えるお陰か、マリーエルを前に緊張していた世話役達は、何処か気を緩めて顔を綻ばせている。
様子を眺めていたセルジオは、嬉しそうに笑うと、ついとカルヴァスの隣に座すカナメに顔を向け、首を傾げた。
「で、君は、甘味は苦手だったかな」
カナメの盤には、〈マリーエルの微笑み〉が手を付けずに置かれていた。慌てた様子のカナメが、ふるふると首を振り、少しだけよろめく。
「いえ、ただ、勿体なくて」
「……勿体ない?」
目を瞬いたセルジオは、次の瞬間吹き出した。
「面白いことを言うねぇ。確かに、この可憐な見た目では崩してしまうのも勿体ない」
目尻を拭きながら言うセルジオに、カナメは照れたように水菓子に目を落とした。その肩を、カルヴァスが小突く。
「というか、お前随分呑んでるだろ。体がグラついてるぞ」
「いや、そんな──そうかもしれない。楽しくて、つい」
カナメはアーチェが差し出した水の器を受け取り、ゆっくりとそれを飲んでから、改めて匙を手に取ると、水菓子を掬った。
「美味い」
感動したように言うカナメに、「それは良かった」とセルジオは笑い、少しずつ食べ進めていたマリーエルに視線を戻した。
「君の隊は、実に個性豊かで楽しいね」
「有難うございます。──此処に皆を招待してくれて、嬉しいです」
マリーエルの言葉に、セルジオはちらとインターリに目を向け、耳元で「まだ駄目かい」と訊いた。
インターリは、未だ精霊隊に加わることを断り続けていたが、それでも、セルジオは精霊隊の一員としてインターリを観覧席へと招待していた。勿論、今ジェーディエの治めるフリドレードでも、以前のようにインターリだけが入室を許されないということは起きないが、隊に所属していなくとも仲間として扱われることは、マリーエルの中で重要なことだった。
「こればっかりは……。カオルお兄様もカルヴァスも説得はしてくれているんですけど」
「オレとしては、面倒事が減るからさっさと腹決めて欲しいもんだけど、結構強情だからな、アイツ」
「聞こえてるよ」
こそこそと話し合う三人に、インターリが不機嫌そうな声を上げた。それに目を見合わせて笑ってから、セルジオは反対側に顔を向けた。
「トラヴィ、お前も私の座を継ぐ前にこうした仲間というのをちゃんと作っておかないとならないぞ」
「叔父上……俺は俺で考えていますから」
そう言って、トラヴィ・エラン・ディウスはセルジオとよく似た海色の瞳を僅かに細めた。
「反抗期ってやつさ」
肩をすくめて言うセルジオに、トラヴィは「違います!」と声を上げてから、マリーエルの視線とぶつかり、気まずそうに視線を泳がせた。
月光色の髪と、海色の瞳。日に焼けた体は、よく鍛えられ程よい筋肉が付いていた。まだ僅かに幼さの残る顔で、浜に目をやり、あっと声を上げる。
「第三戦が始まるようですよ」
その言葉に、皆ついと海上に目を向ける。
船競技は第四戦まで行われ、それぞれの勝者が最終戦に挑むことが出来る。
トラヴィは真剣な眼差しで浜を出た船を追っている。セルジオは、その様子を愛おしそうに見やってから、海上を行く船に視線を戻した。
トラヴィはセルジオの弟の子だった。セルジオは領主でありながら妻を持たず、甥のトラヴィにエランを継がせるつもりで育てている。
弟は十年程前に漁に出て海で死に、共に漁に出ていた父もこの時に怪我を負って脚を無くし、子を失くしたことの衝撃も加わり後に死亡した。当時のエランは酷く荒れていたが、各地を周遊していたセルジオが領主へと収まり、今のような活気を取り戻したのだった。
「あっけなく死んでしまうとはね。あぁ、海の男が海に還ったんだ。それは、何もおかしなことはない」
と、遠い目をしながら、セルジオはかつてクッザールへと語った。
船競技は順調に最終戦まで終わり、今年の勝者が決まった。
勝者の船の一団が、セルジオの前で誇らしげに立ち並ぶ。
「おめでとう。誇らしい我がエランの海の民に、この網を贈呈する」
セルジオの言葉に、広げた網を掲げた贈呈人が勝者団に歩み寄ると、恭しくそれを受け取った団長が、次の瞬間には雄叫びを上げ、網を空高く掲げて見せた。
おぉという雄叫びがそれに続き、民達は喜びと祝福の声を上げた。




