51話 帰城・弟
グラウス城へ着いたクッザールは、王への報告を前にアントニオを引き連れてヨンムの部屋へと向かっていた。
さした問題もなく戻れたことに安堵しながら、喪失の谷との行き来や、それに割く人員諸々のことを考えながら歩く。
精霊隊の隊長にカルヴァスが収まったことが、ここにきてより有益となった。要らぬ懸念を抱く必要がない。そして、喪失の谷にはトルマを残してきた。
杖を突くアントニオに気遣いつつヨンムの部屋に着いたクッザールは、いつも通りにいい加減な挨拶を済ませたヨンムが、クッザールの後ろに遅れて続いたアントニオに気が付き、その手にする杖と薬布を巻いた脚を見た瞬間に感情を露わにしたことに驚いた。
「だから僕は言ったんだ!」
激しく憤る姿に、クッザールは咄嗟に動けなかった。動けぬクッザールの前でヨンムがアントニオの頬を叩く。アントニオは、その拍子に落とした杖を、静かに拾い上げた。アントニオが何かを言い返す前に、クッザールは二人の間に割って入った。
「待て、お前達、一体なんなんだ」
ヨンムは未だかつて目にしたことがない程に怒り、アントニオを睨み付けている。このような感情も持ち合わせていたのだな、と妙に感心しながらも、クッザールは来意を告げた。
「お前の隊の今後について、話に来たんだが」
クッザールの言葉を聞きながらも、ヨンムは鋭くアントニオを睨み続け、苛立たしそうに髪を搔き上げた。その様子を窺いながら、これ以上刺激をしないように、敢えて平静さを主張するようにクッザールはゆっくりと話を続けた。
「お前の研究に関わることでもある。続けたければ話を聞け。事情を説明するのにアントニオの助けを借りようと考えていたが、このようなことになるなら退室して貰おう。悪いがアントニオ──」
「別に居てもいい。話はちゃんと聞くよ。──それで?」
ヨンムは長い息を吐いた後に普段の調子を取り戻して、卓を示した。
アントニオを見る目も、もう普段と変わりがなかった。杖を突いて歩くアントニオに、椅子を引く気遣いも見せた。
それでも何処かぎこちないヨンムとアントニオの様子に戸惑いながら卓に着いたクッザールは、一連のことを話した。
ヨンムは暫く黙った後、ポツリと言った。
「そうか。影の確保に成功したか。これで次の段階に進める」
口元に笑みを浮かべたヨンムは、それをふと引っ込め、眉根を寄せた。
「国王対影隊の隊長は何を渋ってるの?」
クッザールは思わず口を引き結び、しかし、こういう場合のヨンムに他意はないのだと思い直した。
「エイスターは兄上よりあの地を任された。今後あの地で行われる全てのことが、エイスターの力量に掛かってくる。これは大任務だ。そこに、突然研究だ何だと踏み入っては、隊の士気にも関わるし、好意的には捉えられない。お前は合同鍛錬にも参加しないしな」
ヨンムは、はぁと息を吐くと「くだらない」と顔を顰めた。
「お前なぁ。その調子では研究も続けられなくなるぞ」
クッザールの言葉に、ヨンムは納得がいかないというように口を曲げた。じっと話に耳を傾けていたアントニオが、おもむろに口を開く。
「だから言ったでしょう? このようなやり方では理解を得ることは出来ないと。どんなに素晴らしいものでも、強引なやり方では受け入れられないものなんです」
アントニオの声が冷たく響いた。
ヨンムがまた怒り出すのではないかと身構えたクッザールだったが、しかし、ヨンムはちらとアントニオを見やり、気まずそうに目を伏せただけだった。
「じゃあ、僕が出る」
「……は?」
クッザールは目を瞬いてから弟の顔を凝視した。行事はそつなくこなしているが、殆どを自室での研究に当てているヨンムが現場に赴くだと?
反応を出来ずにいるクッザールを置いて、ヨンムは話を続ける。アントニオは静かにヨンムの言葉を待っていた。
「僕が出て行けば、エイスターだって文句は言えないでしょ。僕も一応はグランディウスの子孫なんだ。この立場を利用させて貰うさ」
「利用ってな……。そこは、グランディウスの子孫としての役目を果たす為、と言えないのか」
クッザールが諫めるように言うと、ヨンムはじっと考えてから、突然頭を下げた。
「クッザール兄上、この通り僕は王族としての振る舞いは判らない。今までそのようなことは切り捨ててきた。どのように他隊の者達と接すればいいか判らない。助けて欲しい。……今更かもしれないけれど」
クッザールはヨンムの言葉を聞き、暫し考え込んだ。
四男であるヨンムは、三男のクッザールよりもより期待を掛けられることは少ない。ヨンムもそれに甘んじて研究へと身を投じてきた。しかし、影の出現によりヨンムの研究は現実と結びついた。聞けば、華発の国国王ジョイエルスとは、国益に関わることで上手く関係を築いているようだった。ヨンムに必要なのは、他者への関心と経験だ。クッザールはそう考えている。
クッザールは真剣な表情でヨンムを見つめ、言った。
「判った。お前が他隊との協力関係を築いた上で、研究を進められるように私も助力しよう」
ヨンムは口をもごもごとさせてから「有難う」と呟くように言った。
その様子を見つめてから、クッザールは頭の中で今後のことをめまぐるしく考え始めた。ヨンムが隊を指揮することを前向きに捉えている。それを上手くいくように導くこと。そして、他隊と合わせて効果的に動かすこと。問題はひとつ解消されたが、考慮すべきことは増えた。
クッザールは、ある程度の見通しを立ててからヨンムに向き直った。
「さて、ではこの事はその方向で纏めるとして……報告会には、ヨンム、お前も参加した方がいいだろうな」
「判った」
クッザールは既に他の問題に頭を回し始めた。考えることは山程ある。ヨンムが報告会へと出るなら、その場で他隊と話を詰めていけばいい。
「では、私は行こう。アントニオ、この後だが──」
「ちょっと待って。少し……話したいことがあるから、アントニオは置いて行って。報告会には二人で向かう」
立ち上がりかけたクッザールは動きを止め、二人を交互に見やった後、眉を寄せた。
「それはいいが……先程のようなことになるなら、私は止めなくてはならないんだが」
「もう、あんなことはしないよ」
項垂れて言うヨンムを見やってから、アントニオに目を向けると、彼は静かに頷き返した。
「判った。では、また後で」
そう言うと、クッザールは部屋を後にした。
部屋を出てから耳を澄ませていると、「怪我はどんな具合なんだ」と気遣うような言葉が聞こえてくる。
ひとまず安堵の息を吐いてから、クッザールは廊を歩き出した。




