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8話 精霊姫の使命

 目を開くと、窓幕の隙間から差す月の光と、蝋燭(ろうそく)の灯りだけがぼうっと見えた。マリーエルは言葉を発しようとしたが、(かす)れた呻き声が出ただけだった。


「姫様……!」


 不安の中に嬉しさの混じった声が上がった。全身に薬布(くすりぬの)を当てたアントニオが、体は痛くないですか、身を起こせますかと矢継ぎ早に質問を浴びせながら、水鉢に向いたマリーエルの視線を追い、体を抱き起こしてさぁさぁと水の入った器を差し出した。


 促されるままに喉を潤してから、マリーエルはアントニオに向き直った。


「起きてて大丈夫なの?」


 明らかに自分よりもアントニオの方が薬布の多いことを確認してから、その顔を覗き込んだ。蝋燭の灯りの中でも顔色が悪いことが判る。やつれているし、起きていていい筈がない。しかし、アントニオはすぐには答えず、マリーエルを注意深く観察してから「私は何ともありません」とだけ答えた。


「本当は安静にしていなければいけないのよ」


 部屋の隅から歩いて来たアメリアが困ったように言った。部屋の隅に簡易寝台が置かれており、彼女はそこで体を休めていた。


 アメリアがマリーエルの体を診ている間に、アメリア自身に怪我がないかを見回していたマリーエルは、異常がなさそうなのを確認すると安堵の息を吐いた。問題があるとすればその顔に浮かぶ疲労だ。


「私ってどれくらい寝ていたの?」


「三日よ」


 どろどろとした眠りの中で、そんなにも時が経っていたという感覚はなかった。


「それで、アントニオはいつから私の部屋に居るの?」


「二日前からね」


 三日前、アントニオが舞台から落ちていくのを見たのだ。薬布の多さから見ても、決して起きていて良い訳がない。


 マリーエルがじっとアントニオを見つめると、彼は気まずげに口端をピクリと動かした。


「私って怪我してるの? 深刻な状況?」


 触診していたマリーエルの腕を離したアメリアは、いいえと首を振った。


「貴女は心配ないわ。大きな力を扱った反動というところかしら。小さな傷も治ってる。あとはたんと食べて元気を取り戻すだけね」


「じゃあアントニオの状況は?」


 アメリアはちらとアントニオに視線を向け、首を振った。


「あの時すぐに治療所に運ばれたわ。頭を強く打ったんだもの。意識だって混濁(こんだく)してた。腕の骨も折れてる。でも、意識を取り戻した途端、貴女の許へ行かなければならないと暴れるものだから仕方なく」


「私は暴れてなどいません」


 不機嫌そうに抗議するアントニオの手を取り、マリーエルは溜息を吐いた。


「あのね、心配してくれる気持ちは判る。でも私も同じ気持ちだよ。今は無理せず休んで欲しいな。私はこの通り大丈夫だから」


 暫く黙り込んでいたアントニオは、手をぎゅっと握り返してから素直に立ち上がった。


 やはりまだ歩き回るには無理があり、一度ふらついてから「少し休みます」と部屋を出て行った。

 

 いつもとは違う弱々しい足音が遠ざかり、「一人で歩けんのか?」という声に止まる。しかし、すぐに足音は遠ざかって行った。

 

 マリーエルがアメリアに視線を向けると、彼女はすぐに立ち上がってアントニオの後を追った。


 入れ違いに部屋に入って来たカルヴァスが、納得がいかないと口を曲げた。


「何でアメリアの手は取るんだよ、アイツは。お、やっと起きたか。体は大丈夫か?」


「私は大丈夫だよ。カルヴァスは?」


 腕や足に巻かれた薬布が戦いの激しさを物語っていた。しかし、カルヴァスはおどけた様子で応えてから、先程までアントニオが座っていた椅子に腰掛け、ニッと笑みを見せた。


「流石に堪えたけどな。隊長の訓練に比べたら楽勝、楽勝」


 慣れない気まずさが二人の間に流れた。マリーエルは身なりを整える振りをしてから、彼が口を開く前に呼び掛けた。


「カルヴァスは……どれだけの被害が出たのか知ってるよね」


 カルヴァスはすぐには答えず、ゆっくりとした動作で脚を組んでから、しかしあっさりとした口調で答えた。


「死者は全部で二十八人。これは精霊山と町とで合わせた数だ」


 頭の中で悲鳴や怒声が蘇る。


「グラウス家は全員無事だぜ。その為にオレ達が居るんだからな。クッザール隊長は腹をやられたが心配する程じゃない。昨夜から警備にも復帰した。まぁ新しい勲章みたいなもんだな。腹の傷は守りたいもんを守れた証だからな」


 そこで一度言葉を切ったカルヴァスは、遠くを見るように視線を上げた。


「重傷者はアントニオ含めて十一人。軽症者は山程居るからどこの治療所も手いっぱいだけど、お前の成人の儀で普段より警備が出てたから、この程度で済んだんだ。今は国中で警戒態勢だ。他の地方でも被害が出ているらしい」


 マリーエルは俯いた。一体、何が出来るだろう。何をするべきなのだろう。


 カルヴァスがまだ何かを言いたそうにしているのに気が付いて、マリーエルは身構えた。視線がぶつかると、何事かを独りごちてから、観念したようにガシガシと頭を搔く。


「あの後、精霊王の遣いだっていう精霊が来てな。お前が目を覚ましたら連れて来いって言われてんだ」


「じゃあ行かないと」


 急いで寝台を抜けようとしたマリーエルは、眩暈(めまい)に襲われ、よろめいた。体を支えたカルヴァスが長い息を吐く。


「ほら、急に動くな」


「でもあの後ってことは、随分待たせてしまってるんでしょう?」


 カルヴァスはマリーエルの体を寝台に押し返すと、毛布をぎゅうと体に巻き付けた。


「とりあえずの措置はオレ達で何とかなってる。大きな怪我はないみたいだけど、お前は三日も眠ってたんだぜ? 腹も減ってるだろ。まずはアメリアが戻って来るのを待って、飯を食ってからでも遅くねぇよ」


「でも……」


 カルヴァスは、困ったように再び長い息を吐いた。


「多分、精霊王の言付けが何であれ、精霊姫のお前は暫くの間働きっぱなしになると思う。まず物事に当たるならしっかり準備しないとな。まずは飯。それから身だしなみを整えてから行けばいい。今すぐに行くってんなら、着替えはオレが手伝うことになるぞ?」


 からかうように笑うカルヴァスに、マリーエルはむぅと口を閉ざすと、大人しくアメリアの帰りを待つことに決めた。




 グラウス城は忙しなく人々が駆け回り、緊迫した雰囲気に包まれていた。それでも、兵達はマリーエルの姿に気が付くと安堵した笑みを浮かべた。


 広間では国王と王妃が兵の報告を聞き、警備から帰ったばかりのカオルやクッザールと不吉な予感を滲ませた顔を突き合わせていた。


 マリーエルにいち早く気が付いたクラヴァットが席まで案内する。それを見届け、カルヴァスはクッザールの許へ歩いて行った。


「目を覚ましたようだな。本当に良かった。お前が役目を果たし、多くの者が救われた」


 そう国王が言うのを落ち着かない気持ちで聞きながら、マリーエルは「お待たせしました」とだけ答えた。


「待っておったぞ、精霊姫よ」


 甲高く、妙に深みのある声が響いた。辺りを見回すと、国王の前にうずくまるモコモコの毛玉が転がるように近づいて来て、その小さな体でふんぞり返った。


「剛勇な森の戦士である儂が! 精霊王より託されし(こと)を姫へ伝えに参った」


「剛勇な……?」


「いかにも! ただこちらでは馴染みのない呼び方であろうから、アールと呼ぶことを許そう! こちらではその方がよかろう」


 ふくふくと笑ったアールは、両耳をピンッと立てた。


 司る力とは関係のない呼び名を有難がる精霊に出会うのは、初めてだ。マリーエルは曖昧に微笑んでから、話を切り出した。


「それで、精霊王からの言伝(ことづて)と言うのは?」


 アールは小さな手を突き出してマリーエルを制すると、腕を組んで神妙な顔をした。


「まず姫に望まれるのは、死者を見つけ次第世界樹へ還すことだ」


「それはオレ達でやってると言っただろ!」


 突然カルヴァスが声を荒げた。クッザールが冷静にそれを制し、不本意さを隠さないままカルヴァスはそれに従った。


「我々は既に五体の遺体を回収し、しかるべき処置をしています。変異の見られないものを除けばあと六体です。あと二夜もあれば完遂しますよ。マリーエルの力に頼るのはその後でも良いかと。まだマリーエルも本調子ではないでしょうし」


「しかしじゃな、姫には――」


「ちょっと待って!」


 クッザールとアールの間で進みそうになる話に、マリーエルは慌てて割り込んだ。アールを除いた皆が気遣わしい目を向ける。


「死者を見つけるとか、しかるべき処置って何? カルヴァス、さっき教えてくれた被害状況にはまだ続きがあるのね?」


 カルヴァスは気まずそうに視線を逸らすと、あぁと頷いた。すぐにクッザールが割って入る。


「口止めしたのは私だ。本来、君が目覚める前にすべて私達で完遂させるつもりだったんだ。すまない。――私から説明しても?」


 クッザールがアールに訊くと、アールは軽く手を振ってそれを了承した。


 改めてマリーエルに向き直ると、クッザールは卓の上に置いていた手を握り直した。


「我々は事態収拾後、葬送の間に遺体を運んだ。カルヴァスから聞いているとは思うが、全部で二十八人。ひとりひとり顔も確認したし誰であるかは一致している。しかし、葬儀の時になって人数が足りないことが判った。そして、彼等は私達の予想していない形で見つかったんだ。言うならば、影に操られたような形で」


「影に操られた状態……?」


 マリーエルの頭に、体を覆い尽くす影の光景が蘇った。


「彼等は森を徘徊している所を発見された。そして突然に襲い掛かって来た。予期せぬことに何人かその手に掛けられた。……私達は影のように襲い掛かる者達を斬るしかなかった」


「そんな……。あの時、影を祓い、気を調律した筈なのに……」


「いや、あの時確かに精霊山の影は祓われた。しかし、影はこの地だけでなく広く姿を現している。どうやら影は死者に潜り込み、意のままにすることが出来るらしい。だが、戦いの中で、精霊の呼び掛けを受けた者であれば、その力を使い、影を引きはがすことが出来ると判った。穢れを払わねば、その器を壊さない限り再び影に侵されることになってしまうがね……。判明したことの中で一番有益な情報だ。死者の捜索は我がクッザール隊に任されている」


 クッザールは慰めるように言ったが、マリーエルの気持ちは重くなるばかりだった。


「器を捕縛せずとも、精霊姫自ら出向けば手っ取り早いんだがのう。グランディウスを始め、皆お主にはやらせたくないらしい」


 まんまるの毛玉になっていたアールが、自身の尾に肘をついて不満げに口を挟んだ。


「お言葉ですが、剛勇な森の戦士よ。死者とは言え器を壊すということは――」


 カオルが言おうとするのを、「判っておる」とアールは制した。


「器云々というよりも、姫に求められるのは影を祓い、死者の魂を世界樹へと導くこと。精霊の歌を聴き、気を満たすこと。影に操られた者――〈影憑き〉を放置しては、魂は世界樹へ還れず、流れが堰き止められ、我等の力も満たせない。器も魂も穢れに侵されては別のものへと変容するやもしれん。しかし、まだ姫の力が足りぬのも事実。今の姫に出来るのは、器を壊して魂を解放し、我等の力で導いて気の流れに乗せること」


 精霊国では、気の流れを読み、適した泉や草原で葬儀を行う風習がある。魂の器である肉体は命世界の糧となり、葬送の(ことば)によって器を離れた魂は、世界樹に還りまた巡る。


 穢れを残したままにしては、いずれそれは世界を蝕むだろう。


「深淵の女王とやらが現れた際には、精霊王が力を分け、他の器に肩代わりさせたからこそ、姫は役目を果たせたに過ぎん。それを癒すのに三日。成人となったばかりのお主に求めるのは酷じゃが、そうも言っておれん。出来るだけ早く器として充実せねばなるまい。まぁ、我等としても時をかけ育てるつもりであったんじゃがな。あの深淵の女王とやら、忌々しいやつめが!」


 アールがヂッと声を上げた。


 皆、言葉を飲み表情を曇らせている。


 マリーエルは胸の苦しさを吐き出すように息を吐き、皆を見回した。


「私は……精霊姫として未熟ではあります。ですが、出来ることがあるというのなら成したいと思います。それが、どんなことであっても」


 その言葉に、押し黙っていた国王が身じろぎした。アールと目配せし、重い口を開く。


「では、ひとつ私から伝えさせて貰おう。マリーエル……精霊姫よ。死者の弔いを終えた後、お前はこの地を発たねばならない」


 部屋に動揺が走った。理由を承知のアールと、シャリールだけが冷静に国王の言葉に耳を傾けている。


「父上、それは一体……? マリーエルをどちらに――」


 クッザールが言うのを、国王は目で制した。


 マリーエルは沈黙の中でその理由を考えた。嫌な考えが頭を過ぎる。深淵の女王が望んだもの。執着したもの。それは――


「私が原因なのですね」


 あの業火のような瞳がまだ焼き付いている。暗い気持ちが胸に広がった。体が強張る。


「それは断じて違う」


 しかし、国王は厳しい口調で言った。困ったように髭を撫で、父親と国王の顔を行ったり来たりし、少しの間を置いてから続ける。


「あの者が何故お前や精霊王に執着するのかは未だ判らぬ。あの者の正体もな。しかし、あの者は、この世界を絶望に染めんとする者。この度お前がこの地を発たねばならぬのは、何も追い出そうという訳ではない。精霊姫としての使命の為だ」


「使命……」


 国王がアールに目配せすると、アールはちょこちょこと歩いて来て、マリーエルの手に手を置いた。


「世界樹の枝葉が地中深くから伸び出る地があることは知っておろう。そこに穢れが生じているのじゃ。影は既に世界樹へと手をかけ始めておる。世界樹は魂が還り(そそ)ぐ処であるが、世界樹自体が穢れとなっては還るものも還ることが出来ぬ。世界樹の穢れを祓うこと。これは精霊姫であるお主にのみ成せることじゃ。そしてそれにはより強大な力を扱えるだけの器を育て、気を高める必要がある。お主には世界樹の枝葉を巡り、穢れを祓ううちに器を育てて欲しい。さすれば、我等が精霊王の力を受け、満たすこともできよう」


 マリーエルは緊張に唾を飲み込み、ゆっくりと頷いた。


「まずはエランに向かい、船で大陸へ渡る。エランのセルジオに話は付けてある」


 国王は言い、伝令を呼び寄せた。


 エランは精霊国で唯一の港を有した地方で、大陸との直接的なやり取りを担っている。現領主であるセルジオ・エラン・ディウスは領主となる前に幾度も大陸を訪れ、その経験を活かし、大陸でもっとも近い炉の国とは特に友好な関係を築いている。


 セルジオに会うことが出来る。それ自体は気持ちが高揚してくるが、目的を考えると不安が勝ってくる。世界樹の枝葉の祓えに、器としての成長。どんなことでも成したいと思うのは事実だが、胸が押しつぶされそうになる。


 その時、騒々しい足音と共に、広間に兵が駆けこんできた。


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