46話 領主の座
火の精霊に力を抜かれたランドシは、領主の座を降りることとなっていた。
規律実行派の主義通り、最も力を持つ者でなくなった今、ランドシは自らその座を降りていた。それがなくとも、ヴルーナ火山での一件が民の間で不満を溢れさせ、ランドシへの信頼は今や鎮火寸前だった。
祈りの間に着くと、ランドシは座の正面でなく横に座していた。マリーエルの姿を捉えると、深く頭を垂れる。
「お待ちしておりました。此度は私が至らぬ為に、精霊姫様方にはご苦労をおかけしたこと、お詫び申し上げます」
ジェーディエも話の詳細を聞いていないようで、ランドシの横に座し、窺うような視線を向けている。
「お話とは、どういったことでしょうか」
マリーエルが訊くと、ランドシはカルヴァスをちらと見てから、改めてマリーエルを見つめた。
「私が領主の座を降りることはお話した通り。この後、事態が収拾しましたら、一層の修養に身を捧げたく思います。その前にフリドレードには新たな領主を立てねばなりません。お話とは、そのこと」
ランドシの言葉に、アントニオが眉根を寄せた。
「そのことについては、今グラウスから申し上げられることはないとお伝えした筈ですが」
ランドシは顎を引いてそれに応えた。随分としおらしく、いや、まるで憑き物が落ちたようなさっぱりとした様子だった。
「ええ。どんな状況であれ後任を決めるのは領主の務め。今、民の間でも次の領主について話がされていますが、カルヴァス殿を次の領主にという声が上がっております」
「……は?」
カルヴァスが怪訝な顔をし、ジェーディエが驚愕に顔を歪めた。
「ランドシ様、カルヴァス殿はマリーエル様の許に集う精霊隊の隊長を務められる方。そのようなこと──」
しかし、ランドシはそれを手で制すると、カルヴァスに向き直った。
「火口でのこと、多くの民が目にし、他の者へと伝えております。カルヴァス殿はフリドレードの出であり、その強大な器は当然のこと、領主になって頂ければ民も安心いたしましょう。しかし、そのご身分も重々承知しております。その上で、お伺いすることをお許し下さい」
マリーエルはカルヴァスを窺い見た。
──カルヴァスがフリドレードの領主に?
その力は十分にある。多くのフリドレードの者が納得するだろう。しかし……。
マリーエルは、カルヴァスの様子を窺いながら、緊張にごくりと喉を鳴らした。
カルヴァスは暫し黙り込み、ランドシの視線を真正面から受けた。
「私は元より精霊姫様のお側でお支えする為に在る身。それ以上のことは何も望みません」
そこで言葉を止めたカルヴァスは、ジェーディエに目を向けた。
「此方には、私のような者でなく、十分に領主の器として在る者がいらっしゃるかとお見受けします」
ランドシは薄く笑うと「あいわかりました」と頭を垂れた。マリーエルに向き直り、非礼を詫びる。
「対立を生み出し、敬うを忘れ、驕りの許にこの地を治めたつもりであったことお詫びの言葉もございません。この後、この地がより火の精霊の力を賜り満たされるように尽力いたします」
そう言って、ランドシは再び深々と頭を垂れた。
客間に戻る道すがら、修養者達は期待を込めた瞳をカルヴァスへと向けていたが、すぐにそれは落胆へと変わった。
修養者達はランドシの呼び出しに広場へと集められていく。暫くすると、ランドシが修養者に向けて話し出すのが見えた。
廊からその様子を見下ろしていたマリーエルは、落ち着かない気持ちのまま隣に立つカルヴァスを見やった。その視線に気が付いたカルヴァスが、マリーエルの頭をくしゃくしゃと撫で回す。
沈む夕日が二人を照らしていた。
「そんな不安そうな顔するなって。オレはお前の側に居るよ。折角隊長の座も頂けたんだからな」
マリーエルはすぐに答えられず、少し考えてから口を開いた。
「……うん。きっとそう思ってくれてるって私も思ってたし、実際にカルヴァスの口から聞いて安心もしたよ。でも、きっと私の隊の隊長より、領主の方がいいんじゃないかなって……。カルヴァスにはそれだけの力が在ると思うし、カルヴァスがフリドレードの領主になってくれたら、今お兄様達が悩んでることも解決するだろうなって思ったりもして。でも、やっぱり……」
「やっぱり?」
カルヴァスは緩む口元を抑えながら、訊いた。
「うん、やっぱり側に居て欲しいなって思ったの。だから、今の立場を選んでくれて良かったなって思っちゃった。……無理してないよね?」
カルヴァスはふっと笑うと、再びマリーエルの頭をくしゃくしゃと撫で回した。マリーエルが逃れるように体を引くと、それは優しい手つきに変わる。
「無理なんかしてねぇよ。言っただろ。オレはお前の側に居る。これはオレが自分で選んだ道だ。誰に何を言われようとそれを変えるつもりはねぇよ」
ニマニマとしていたカルヴァスは、ふいに真剣な顔になり、首を傾げた。
「その側に居て欲しいってさぁ──」
「あぁ、此方に居ましたか。フリドレードの次期領主が決まったようですよ。決まった、というより、もう決めていたのでしょうが」
口を引き結んだカルヴァスは、ふっと息を吐いてから「ジェーディエだろ?」とアントニオを振り返った。
アントニオはランドシより頼まれて、グラウス代表として集会に立ち会っていた。その場で代替わりの儀が行われ、後日改めてグランディウス王へと代替わりの報せを出すのだという。
「先程のお話も、形式上だけのものでしたからね。ランドシ様より『カルヴァス殿には精霊姫様をお守りするお役目があり、我等はそれをお支えする為に尽くさねばならない』との言葉があり、フリドレードの民は皆改めて自らの立場や修養の目的を思い出し、自然とジェーディエを次の領主にと決まりました。事実、この地で最も力があり、どうやらずっと遡るとフリドレード様の血を受けているようですし、ジェーディエが相応しいでしょう。グラウスとしてもその方が有難くもあります。今後貴方には、此方とのやり取りをお願いすることになりそうですね」
「そうだな」
カルヴァスは窓の外に目を向けると、少し考える素振りを見せてから、ひとつ息を吐いた。
「ひとまず体を休めようぜ。クッザール隊長が着いたら喪失の谷に向けて発つ。今回はなかなか骨が折れるぜ」
マリーエルが思わず、というようにアントニオの脚に目を向けると、カルヴァスが吹き出した。
「コイツは本当にな」
アントニオは眉間の皺を深くして口を引き結ぶと、杖を頼りに歩き始めた。マリーエルが支えようとすると、それを手で制す。
「姫様のお手を煩わせる訳には参りません。この杖がなかなかに使い勝手がいいですし、怪我も見た目程酷い訳はありませんから」
そう言って歩き出したアントニオは、次の瞬間に蹴躓き、強く床を踏みしめて顔を顰めた。腕を引いて転倒を防いだカルヴァスが、呆れたように溜め息を吐く。
「言った側から何やってんだよ。本当に鈍臭いよな。ほら、部屋までオレが支えてく」
羞恥に顔を染めたアントニオは、マリーエルに申し訳なさそうな顔をして、カルヴァスの支えるままに歩き出した。
「……今のは、忘れて下さい」
「忘れる前にお前が思い出させてくるんだろ。もう喋んな。傷が広がるぞ」
部屋に戻ってから暫くの間、アントニオは大人しく椅子に腰掛け、項垂れていた。




