44話 器として
カルヴァスは周囲に視線を走らせた。多くの修養兵や、笛を聞いた民までもが集まっていた。皆を下山させねばならない。此処に居れば、皆ひとたまりもない。
「ランド──」
ランドシを振り返ったカルヴァスは、その頭を垂れたままの姿に舌打ちした。ジェーディエに目配せし、民に号令をかけようとすると、火の精霊がマリーエルの許に降りてその頬を包み込んだ。
「すまぬ、姫よ。あまりにも腹が立ってな。姫の気を食い潰す所だった。姫は我が守ろう。姫を失っては精霊王がお怒りになる」
火の精霊はマリーエルを抱え上げた。カルヴァスを見下ろし、火口を指さす。
「抑えてみせよ。我の器よ」
「……は? いや、貴方でも抑えられないならオレじゃ──」
「いや、出来る。成せ。怒りが治まらぬせいで力も抑えられぬ。我の器として正しい姿を見せ、我の怒りも鎮めよ。今はそれしかあるまい」
「そんな、勝手な……」
カルヴァスは火口に目を向けた。火の力は今にも溢れ出しそうに膨れ上がっていた。迷っている暇はない。
ジェーディエに目配せしたカルヴァスは、地を這うようにして共に火口へと近付いた。
「どうするつもりだ!?」
ジェーディエが言う。
振動は激しく、熱気が上がる。
「オレ達の中に火の力を入れて整える。火の器であることを示し、怒りを鎮めるんだ」
「……出来るのか、こんな強大な力」
「やるしかねぇだろ。やらなきゃ、オレ等も民も飲み込まれる」
カルヴァスは、ちらと火の精霊に抱えられたマリーエルを振り返った。
火の精霊の怒りを治めることが出来れば、あとはマリーエルが気の流れを調律することが出来る。
「此処は、任せろ」
カルヴァスの言葉に、薄く目を開けたマリーエルが小さく頷いた。
再び火口に目を向けたカルヴァスは剣を抜いた。
「やるぞ」
「……あぁ」
カルヴァスとジェーディエは跪き、頭を垂れてから剣を掲げた。
「火の精霊が司りし力よ。我の身の内に流れ給え! この身を捧げん!」
その呼び掛けを合図に、火の力が二人を飲み込んだ。肌を舐め、焼き、身の内まで熱を上げる。その力を剣に通し、身の内に正しく循環するように流し込む。
それは想像を絶するものだった。
全身に激痛が走る。
深淵の女王と対峙した時よりもずっと強大な力が次々に身の内へと流れ込む。全身を炎が舐め、焼き尽かせんとする。指先に至るまで焦がされていく。
嚙みしめた歯の隙間から灼熱の息が漏れる。全身から湯気が立ち、炎に耐え切れなかった肌が裂け、流れた血が地を染める。
「……ぐっ」
抵抗などする余裕もない。
ただ火の力を受け、一体となって、この地の気の流れに向かう。
チリッと音を立て、二人の瞳に焔が灯った。灼熱の炎の熱がふっと消え失せる。
火口から火柱が上がった。
カルヴァスは咆哮を上げ、ジェーディエと共に掲げた剣を火柱に向けて振り下ろした。
火柱は斬り裂かれると弾け、キラキラとした力の煌めきとなって辺りに降り注いだ。
不意に地の振動が止んだ。溢れ出しそうだった火の力は、今は静まり返っている。
よろめいて剣を地に突き立てたカルヴァスは、火口に目をやり、次いで火の精霊を振り返った。火の精霊はマリーエルを下ろすと、満足そうに笑った。
「好い。それでこそ我の器だ」
「……流石にキツかったんですけど……全身が、痛ぇ……」
カルヴァスは地に座り込むと、その拍子に流れ落ちた鼻血を拭った。拭った腕も裂けた肌から血が滲み、汚れている。
「鼻血が止まんねぇ……ジェーディエ、そっちはどうだ?」
駆け寄って来たアーチェの手当てを受けながら、カルヴァスが呆然としているジェーディエを振り返った。
「あ、あぁ……今、あまりのことに頭が働かない」
そう言って鼻血を拭うジェーディエの許に、フリドレードの民達が気遣うように歩み寄って来た。基礎地縁派の者達が多かったが、規律実行派の者も、ランドシに懐疑的な目を向けてからジェーディエの許へと集まって来ていた。
「さて、姫よ。歌を重ねようではないか」
火の精霊はマリーエルの手を取った。マリーエルはまだ痺れている体で立ち上がると、笑みを作った。
「ええ、歌いましょう」
マリーエルと火の精霊の歌は、この地に響き渡り、荒ぶる気の流れを整え、調律していった。火の精霊の力が満たされていく。
歌が終わった時、精霊の歌に見惚れていた多くの者が感嘆の息を吐いた。
「我はしばしこの山に籠ろう」
「ええ」
火の精霊は、ふとランドシに目を止めると、暫し考えた末、ランドシの身の内から炎を取り出した。
「全てを取りはせぬ。今一度、器とは何かを考え、我の器たるを示してみせよ」
ランドシは静かに頭を垂れた。火の精霊はそれを見つめてから燃え上がり、火口へと姿を消した。
「あっ、やべぇ」
カルヴァスが呻きながら立ち上がり、麓の森に目を落とした。皆の顔を見回し、インターリに目を止める。
「わりぃけど、クッザール隊長の所まで行ってくれ。さっき緊急用の文を飛ばしたから、フリドレードまで向かってる筈だ」
「な、はぁ……!?」
文句を言おうとしたインターリは、満身創痍の皆の顔を見て、口を閉じた。
「それで、いいですね? これ以上何かをするつもりなら、オレは貴方を斬らないとならない。火の精霊の言葉は理解されていると思いますが」
ランドシは暫し黙り込み、深く頭を垂れたまま手を掲げて差し出した。
カルヴァスがランドシの許へとマリーエルを連れて行くと、マリーエルはランドシの手を取った。ランドシは指先に額を付け、再び頭を垂れる。服従の証だ。
それを終えると、ランドシは悄然としてその場に座り込んだ。その様子を複雑な瞳で見やったカルヴァスは、顔を上げた。
「まずは怪我人の確認だ。慎重に下山し、被害状況を検める。ジェーディエ、頼めるか?」
「あぁ」
ジェーディエはまず基礎地縁派の者を呼び寄せてあれこれ指示を出すと、規律実行派の者達にも呼び掛けた。フリドレードの民達は、その姿を好奇の目で追っている。
その様子を見守ってから、カルヴァスはふとインターリの姿に目を止め、眉を寄せた。
「あ、お前まだ行ってなかったのか? 急いでくれよ。何だ、怪我でもしてんのか? どうするか。オレが此処を離れる訳にもいかねぇし、動ける気もしねぇ。アントニオは速度が足りないし──怒んなって。というか、お前は、脚を怪我してるだろ」
アントニオの許まで歩み寄ったカルヴァスは、その脚を掴み、顔を顰めたのに呆れ顔を浮かべた。
「……さっきのか」
「け、怪我など──」
「アーチェ、応急処置頼む。このままだと下山出来ねぇ」
で、とインターリに目で問うカルヴァスにインターリはまごついた。
「何、まごまごしてんだよ。お前もボロボロだけど、オレ等の中で一番動けるのはお前なんだから早く行ってこい。お前なら信じて貰える。他の奴には任せられない。ベッロのことはオレ等に任せろ」
ベッロが地に腹をつき、舌を垂れたままパタパタと尾を振った。
「……判った」
インターリはさっと視線を走らせると、クッザール隊に向けて山を下り始めた。
「お前が来てくれて助かった。グラウスの奥にある喪失の谷で少し面倒なことが起きたと報せがあってな。カルヴァスからの緊急の報せと共に地鳴りも起き、隊をどう分けるべきか頭を悩ませていた所だ」
食うか? と、クッザールは縮こまるようにして座るインターリに果物を差し出した。インターリは、落ち着かない気持ちでそのひとつを掴み、それを手にしたまま、すぐには口に運ばなかった。
「……そう」
そう言って暫しクッザールの許に集まる報せの数々をぼんやりと見つめたインターリは、緩慢な動きで果物に噛り付いた。ひとつ食べると空腹に気が付いた。もうひとつ手に取ると、クッザールが微笑ましそうにそれを見つめているのに気が付き、インターリは口を曲げた。
陣外が騒がしくなり、すぐに陣幕が捲られ、カオルが姿を現わした。厳めしい顔でクッザールを見て、縮こまるインターリに気が付き、驚いたように目を見開いてから、ふっと力を緩める。
「泥だらけの汗まみれが居るな」
「……煩い」
カオルはニッと笑ってから、果物をひとつ取り、それに噛り付きながらクッザールに向き直った。
「戦況が変わったみたいだな?」
「伝令役には会いませんでしたか、兄上?」
クッザールは地図をカオルに寄せながら、聞いた。
「会ったが、ヴルーナ火山の火口部で見られた火柱について、と言った所で霊鹿を走らせた。もう此処まで近かったしな。それで、コイツが此処に居るってことは、切迫した状況は免れたということだな? 今はどうなっている?」
もうひとつ果物に手を伸ばしたカオルは、ジトッとしたインターリの視線に気が付きニヤリと笑う。
クッザールがインターリから聞いた話と、自身の許に集まった情報とを合わせて簡潔に語ると、カオルは腕を組んで、ちらと火山を見上げた。
「俺が出ずに解決したのならそれでいい。大事にならずに済んだ。グラウスからの使者としてクッザール、お前がフリドレードへ行ってくれ。俺は喪失の谷へと戻ろう。マリーエルにはこの状況だが、頼みたいことがある。インターリ、お前はこれからフリドレードの里へと戻り、この事を先んじて伝えてくれ。クッザールが着き次第、精霊隊は喪失の谷へ」
インターリが顔を顰めると、カオルが片眉を上げた。
「なんだ、腹でも痛いのか」
「違うよ。アンタ達、何で僕が言ったことなんか信じてるんだよ」
その言葉に、カオルはクッザールと目を見合わせ、眉を寄せた。
「お前は嘘を言ったのか?」
「そうじゃないけど……」
「ならいいじゃないか。俺はお前のことを信じているし、カルヴァスだってそのつもりでお前を遣わしたんだろう。何をそんなに拗ねているんだ」
カオルはインターリの髪をぐしゃぐしゃと撫で、顔を顰めた。
「おい、何だか埃っぽし、指に絡まるぞ。ちゃんと手入れしろ」
「煩いなぁ! どう考えても手入れなんて出来る状況じゃないって判るでしょ!? 散々山の周りを行ったり来たり、苦労したんだよ!」
インターリが乱暴にカオルの手を払うと、後ろに控えていた王佐ロルが目を吊り上げたが、カオルがそれを手で制した。
「お前を見ていると、ついからかいたくなるんだよなぁ」
「はぁ? というか、男に頭こねくり回されて嬉しい訳ないんだけど!? 寧ろ、気色悪いね」
叫ぶインターリに、カオルは「ははぁ」と声を上げる。
「そうだった。ベッロが居ない時にこんな風に遊んでいたら悪いな」
「だから! 僕とアイツはそんなんじゃないって言ってるだろ! ──もういい!」
インターリが立ち上がり、陣幕を捲ろうとすると、クッザールがそれを静かに呼び止めた。話をしながら書きつけていた手紙を差し出す。
「これをカルヴァスに。気を付けて行けよ。満足に休ませてやれなくて悪いな。あと、出るならこっちだ」
インターリはクッザールの手から手紙をひったくると、彼の指す方とは逆の陣幕を無理やり捲って外へと出た。いってしまえば、壁から外へと出たような状況だった。
クッザールは肩をすくめ、カオルは乱暴に捲られた陣幕を見やり、笑った。
「何なんだよ、アイツらは。本当精霊人って奴等は──」
「さっきの聞いたか? また王に対して随分な言い方を……」
フリドレードの里へと向かって走り出そうとしていたインターリは、陣を回り込んだ際に聞こえた声に足を止めた。しかし、その時には既に話し合う者達が居る場所へと通りかかっていた。
兵達の様子から、インターリのことを言っていたのは明白だった。そもそも王に対して〝随分な言い方〟をするのはインターリくらいしかいない。
気まずい空気が流れる。
インターリは、一部の兵達の間で自身が気に入られていないことを理解していた。彼等にとって、突然大陸からやって来た曰く付きの者が精霊姫の周りをついて回るのも、マリーエル達がインターリを仲間と呼ぶことも気に入らない。
わざと鼻で笑ってから、インターリは再びフリドレードへと向けて走り始めた。
──そもそもアイツ等は僕に敵わないんだし、気にする意味ないじゃん。
乱れたままだった髪を手櫛で直してから、足を速めた。
「……本当にぐしゃぐしゃじゃん」




