43話 精霊の問い
「急げ! すぐに追いつかれる。せめて森の中に──」
先頭を駆けていたカルヴァスは、すぐにその足を止めることとなった。
岩陰から修養兵が飛び出し、次の瞬間、笛を高く吹き鳴らした。
カルヴァスは内心で舌打ちした。
ランドシは既に企みを隠す必要がなくなっている。少なくとも、フリドレード内で収めてしまえば、何とでもなると考えているのだ。
「……こっちに!」
案内人が駆け出そうとすると、修養兵は容赦なくその体を打ち付けた。
「くそっ、これだけは避けたかったけど、そっちがそう出るなら仕方ねぇ」
カルヴァスが剣を抜いた。続いて剣を抜いたカナメが、痛みに顔を顰める。その様子を視界の端に捉えながら、カルヴァスは口端を上げた。
「頼りにしてんだから、あと少し頑張ってくれよ」
「……あぁ」
笛の音で辺りに散っていた修養兵達が集まってきていた。
カルヴァスは周辺を見回し、火口の方まで少しずつ後退り始めた。
「何故、そうまで抵抗なさる? 私達は精霊姫様のお役目に少しでも力添え出来るよう励んでいるだけだというのに」
洞窟を抜けたランドシが、包囲されるマリーエルに言った。
「私は、仲間を傷つけられたのを許すことは出来ません。そのようなことをする人達が、この国の為、力を高められるとも思えない」
その言葉に、ランドシの口端がピクリと動く。
「そもそも、どのような理由があれ、姫様をその手中に収めようなどと、思い上がりも甚だしいと思いませんか」
アントニオが言うと、ランドシは挑むような視線を返した。
「思い上がり? それはそちらのことでは? グランディウスの名の許、この国の王だとのたまってきた結果、何が起きたのかよもや忘れた訳ではありますまい?」
ランドシは嘲るような表情を浮かべた。アントニオは冷徹に見つめ返す。
「何故、そのような考えに及んだのか。聞かなかったことにして差し上げた方がいいのか……決めかねる発言ですね。貴方の発言はフリドレードの今後を左右する。そのご覚悟があるのでしょうか。領主とは、そういう者でしょう」
その言葉に、ランドシはふっと笑う。
「覚悟など、とうに。──さぁ、姫様。道中ルドラより事の次第を聞きました。姫様の隊の者達への非道な行い、お許し下さい。私はそのようなことを望んではおりません。全てはこの地がより力を得ること。その為に器として高まること。それには、影をも内包し、それに対抗すること。これは、私の展望とルドラの展望を合わせたものですが、器として高まり、そうして精霊姫様のお役に立つこと。それは共通した想いです。精霊姫様には是非、このフリドレードへとより一層の──」
「器とは」
宙に突然炎が上がった。皆がそれに注目する。
「器とは、なんだ。のぅ、フリドレードの」
「火の精霊よ!」
ランドシが深く頭を垂れると、周囲の修養兵達もそれに続いた。
火の精霊はそれに構わず、ランドシからマリーエル、次いでカルヴァスとジェーディエを見やった。そして、小さく首を傾げる。
「お前達は何をしている?」
ランドシは口を開きかけたが、火の精霊はそれを制して、不機嫌そうに火口に視線を向けた。
「この地は、我の力を受けし地。しかし、どうにも穢れが溜まっている。何故だ? 穢れは、澱みは、影は、在ってはならないもの。精霊姫はそれを祓い、我等の力を満たし導く為にある。のぅ、姫よ」
見上げるマリーエルに火の精霊は近付くと、その頬を労しげに撫でた。
「何故、姫の気は乱れている。この地に在って、何故。姫の身の内は精霊の力で満たし、巡っていなければならない」
火の精霊はマリーエルの額に額を合わせると、力を注ぎ込み始めた。熱い息を吐いたマリーエルは、徐々に体が温かくなるのを感じていた。
「時に、お前は何故剣を抜いてる。打ち合いでもするのか、そこの器と。あれは実によいものだったなあ」
火の精霊がジェーディエを指で示しながら言った。カルヴァスはジェーディエを横目で見やり、慎重に答えた。
「いいえ。オレ達の役目は精霊姫を守ること」
「守る?」
火の精霊は、マリーエルから体を離すと、ゆっくりとした動作でランドシを振り返った。
「守る。何から……? どうやら、この状況を見るに、我の器が対峙するのは、これまた我の器──お前達のようだが」
緊張が走った。
頭を垂れたままのランドシが口を開いた。
「この地の益々の繁栄の為、精霊姫様のお力をお借りしたいと」
「それで、姫の気を乱したのか?」
「とんでもございません。行き違いがございました」
「行き違い……お前達はこの地で器としての力を高める為に修養を積んでる。それは、古くフリドレードと交わした約束によるもの。我はその為にこの地に力場を生み出した。この地でおいて、行き違いとは? どうにも、それだけではなさそうだが」
ランドシが黙すると、ルドラが前に出た。
「畏れながら……私達は精霊姫様のお力となる為──」
しかし、火の精霊はルドラの言葉を遮り、探るように顔を近付けた。
「お前……何故、影の淀んだ臭いがする」
「そ、それは……」
ルドラは深く頭を垂れる。
「我等の目的を果たすには影をも利用する覚悟であります。その為に──」
「ほう。我には判らぬな。命世界の者の覚悟とやらは」
火の精霊の言葉にルドラは声を詰まらせ、しかしより深く頭を垂れ、続けた。
「我等はこの地をグラウスにも負けぬ程に盛り興す為、日々修養に身を尽くしております」
焦りを含んだルドラの言葉に、火の精霊は鋭い視線を送る。
「それは何の為だ?」
「……え?」
ルドラが思わず、といった風に顔を上げると、その顎を火の精霊の手が掴んだ。
「この地は精霊王より我が司る力を満たすのに託された地。フリドレードとの約束よりも、より強い精霊王の意。それに、負けぬ、とは?」
ルドラは言葉を失い、固まった。その様子を見つめていた火の精霊は、おもむろにルドラの額へと手を当てた。
「我の器に影の穢れなど必要ない。我は燃やし、盛り、熾すモノ。影を燃やし消すのでないのなら、我の力は必要がないだろう」
火の精霊が手を引くと、その手に小さな炎が上がった。それはすぐに火の精霊の体へと飲み込まれる。
驚愕に目を見開いたルドラが、わなわなと体を震わせた。その身の内からは、火の気が跡形もなく失われていた。
「なんて……ことを……! 貴方の為に今までどれだけの……!」
「黙れ!」
火の精霊が声を上げると、地が震え始めた。皆、立っていることが出来ず、地に膝を突く。
マリーエルは胸元を押さえ、息の塊を吐いた。流れ込んだ火の精霊の力が、身の内を焼くようだった。まるで雷の精霊の力を受けた時のように力が駆け巡っていく。力と同時に激しい怒りが流れ込んできていた。喘ぎながらそれを受け流そうとするのを、アーチェが背を擦り宥めるのに、小さく笑みを浮かべて応える。
「我の力を穢そうとした上、聞いたような口を」
ルドラが額を地に押し付け、震えた。
「お許し下さい。お許しを……我等は貴方様の為──」
「そうか。では試そうではないか。貴様が我の力を受けるにふさわしいかを!」
火の精霊が熾した炎は、瞬く間にルドラの身を包み込んだ。悲鳴を上げ、ルドラはもがいた。炎がルドラの肌を舐め、その身を焼く。苦悶の声を上げ、ルドラは「お許しを!」とのたうち回る。
暴れ回っていたルドラはついに悲鳴を上げるのを止め、倒れ伏した。
ちらと、それを見下ろし、火の精霊は不快そうに言う。
「何故、我の力から逃れようとする?」
地の振動は強くなっていく。
皆が、畏れに火の精霊を見上げる中、火の精霊はランドシを見下ろした。
「貴様は、どうだ?」
焼け崩れたルドラを見やったランドシは、揺れる地の上で頭を垂れ、声を張った。
「今一度、貴方様の力を受けるに相応しい器であると証明する為、これより火口にて修養を──」
「くだらん! 我はそのようなことを求めぬ。貴様はこの燃ゆる山のモノなのか? 我の器として求めるのは、灯し盛る火である。それに思い至らぬとは愚かな。貴様も試して──」
「お待ち下さい!」
カルヴァスの叫びに、火の精霊が怒気を孕んだ顔で睨み付けた。炎が激しく燃え上がった。
「我を止めるというか⁉」
「じゃなくて! 力を抑えて下さい! 火口に火が溢れてる。噴火したらオレ等は……マリーはどうなるんです⁉」
火口を指さすカルヴァスに、火の精霊ははたと動きを止め、火口まで移動した。覗き込み、ふむと考える仕草をする。
「お前の言う通りだ。しかし、制御出来ぬ」
「……え⁉」
いよいよ地の振動が増す中、火の精霊は静かにカルヴァスを振り返った。




