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精霊国物語  作者: 夢野かなめ
第二部 木の歌と火の器

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38話 助けに行こう

 そわそわと落ち着かない気持ちで、皆の帰りを待っていたマリーエルは、慌てたように近付いてくる足音に顔を上げた。カルヴァスが剣を手に立ち上がり、布戸の向こうの気配を探る。


「カルヴァス、居るか。開けてくれ」


 大分息の上がったジェーディエの声に戸を開けると、布袋が四つ床に転がされた。ジェーディエは汗を拭い、息を整えながら、懐を探った。


「捕らえた者達を連れて来た。あと、これも潜伏先の小屋から拝借した」


 懐から、影墨と札、いくつかの書物を取り出したジェーディエは、それらを卓の上に並べ、カルヴァスを振り返った。


「軽く検めたけど、この者達の目的は──」


「ちょっと待て。インターリはどうした?」


「それが……」


 困惑顔のジェーディエは、小屋で起きたことを語った。


「何が何やら判らなくて。ひとまず俺は計画通りに小屋を調べ、追っ手は捕らえて来たが──カナメ殿とベッロ殿は?」


 ジェーディエが不安そうに客間を見回した。マリーエルと目が合い、口を噤む。


「何か……あったのかも」


 呟いたマリーエルは、窓の向こうに見える、月が沈んでいく空を見上げた。もうじき陽が空を照らし出す。計画よりもずっとカナメやインターリが戻るのが遅い。


 その時、乱暴な足音が聞こえてくると、掛け声もなしに戸が開かれた。足先にこびり付いていた泥や血が、戸にべったりと付着する。


「窓幕、全部上げて!」


 ベッロを抱えて部屋に入って来たインターリが怒鳴った。


「ベッロ⁉ 一体何が──」


「早く! 窓幕!」


 インターリは窓辺まで歩いていくと、アーチェが用意した布の上にベッロの体を横たえた。あと僅かの月光が当たるように布の位置を調整する。


「何があった」


 すぐ横に立ったカルヴァスに、インターリは目線を上げずに答える。


「知らないよ。コイツの遠吠えが聞こえたから行ってみたらこんな状態だった」


 インターリはベッロの体に巻いていた飾り布や帯を取り除くと、手当て道具を持って来たアーチェに場所を譲った。血や泥で汚れた飾り布と帯を床に放り、汗を拭ってから、上衣がはだけたままの状態でベッロの鼻先に座り込んだ。


 カルヴァスがインターリの肩を引く。


「おい、カナメは何処に行ったんだよ」


「知らないってば! 森は何の異変もなかったし、アイツの姿はなかった。居たのはコイツだけだ。居場所を訊くならコイツに訊くしかないだろ。今、この状況で訊けんのかよ⁉」


 インターリが勢いのままカルヴァスを押し返す。


「てめぇ……!」


「止めてよ、カルヴァス!」


 激高し、インターリに掴み掛かったカルヴァスの腕に、マリーエルはしがみ付いた。


「そんなことしてる場合じゃないよ!」


 ちらとベッロを見やったカルヴァスは、長い息を吐いた後にインターリを離した。インターリはくしゃくしゃになった上衣を何度か引っ張った後、呆けたようにベッロの鼻先に座り直した。


 アーチェが手際よく手当てを進めている。


「……そうだな。わりぃ」


 カルヴァスは腕にしがみ付いたまま血相を変えた顔で見上げるマリーエルを片手で抱き寄せ、マリーエルを安心させるよう、そして自身も落ち着く為に、もう一度長い息を吐いた。


 マリーエルは小さく震えていた体が少しずつ落ち着きを取り戻すのを感じ、カルヴァスと同じように息を吐いた。


「恐らく、カナメの居場所が判りましたよ」


 重苦しい空気の中で、アントニオが言った。


「何処だ?」


 マリーエルを離したカルヴァスが、卓を回り込み、ジェーディエが拝借してきた書物を検めていたアントニオの手元を覗き込んだ。


「落ち着きなさい。居場所といっても、それが何処にあるのかはっきりとした訳ではありません。ベッロが目を覚ますのを待つしかないでしょう。彼等は場所までは流石に吐きませんでしたから。いえ、もしかしたら彼等も詳細は知らないのかもしれませんね」


 そう言ってアントニオが示した先に、布袋から顔だけ出された追っ手の姿があった。ジェーディエは血の気を失い、恐ろしい者を見るようにアントニオを見つめている。


 追っ手達は目を剥き、口から泡を吹いていた。


 カルヴァスは顔を(しか)めて、言った。


「アレを使ったのかよ」


「はい。こういう場合効果が高いかと思いまして。まぁ、判ったのは〝裏祭場〟〝試しの儀〟という言葉だけですが」


 そう言って、アントニオは自身の懐を軽く叩いた。その中には、苦悩薬の包みを仕舞っていた。


 薬草を煎じ丸めた苦悩薬は、滅多に使われることのない拷問薬だ。見た目には失神しているだけに見えるが、追っ手達は、酷い悪夢を見ていることだろう。本来であるなら苦悩薬を打ち消す薬を使って対象の精神を揺さぶる為に使うのだが、現場では積極的には使われない。その名の通り〝苦悩〟の度合いが凄まじいからだ。作り方も一部の者にしか伝えられておらず、兵の中では存在自体を疑う者も居るくらいだ。


 カルヴァスは、口を割るのに極力苦悩薬を使わないで済むように上手くやるのだが、確かにその方法では時間が掛かる。今のように迅速さを求められる状況なら致し方ない。


 それにしても、とカルヴァスは、冷徹に書物をめくるアントニオを呆れのような、恐れのような気持ちで見やり、ひとつ息を吐いて頭を切り替えた。


「お前が考える、カナメの居場所ってのは、どの辺りだ」


 難しい顔をしたアントニオが、カルヴァスの引き寄せた地図の上に目を走らせた。


「城の者に確認した所、ルドラ殿はこの夜急遽籠りの修養に入られたとか。籠りの修養とは、終えるまで何者かが入るのも、出るのも許されない。しかし、その修養場の奥に他の場所へと通じる道があるとすればどうでしょう。そして、それは裏の森へと通じている。〝裏祭場〟というからには、秘された裏の森に在ると見て間違いないでしょう。恐らくカナメはそちらに連れて行かれたのでしょうね。──ルドラ殿の修養場はこちら」


 そう言って地図上で山の上の方を指さす。そして、ゆるゆると山の中を辿り、裏の森へと指を動かした。


「その前に、この部分を読んでください」


 アントニオは書物を広げると、カルヴァスに見えるように卓へ置いて示した。さっと目を走らせたカルヴァスは、苦々しげに呻き、苛立ちに髪を掻き上げた。


「くそっ、そういうことかよ。完全に判断を誤った。そうだよ、アイツは影と同じモノから生まれたんじゃねぇか」


「それに関しては私も失念していました。相手は影で墨を作るような者達です。影自体を弱らせる手段があるのだと思い至るべきでした。カナメ自身の性質に関しても、です。ただ影の影響を受けず、それを打ち消すことが出来るだけではない。彼自身も影、いえ、鬼と似た性質を持つのだと。それ程までに私達は彼のことを──いえ、今はそのようなことは関係がありません。〝試しの儀〟……一体何が行われているのか。どうあれ、連れ去られたのであれば、カナメの身に何某かの危険が迫っていると考えられます」


「くそっ、こうなったら手当たり次第に──」


「あ、おい、まだ起きるなって……傷が」


 インターリが声を上げた。見れば、ベッロが体を震わせながら立ち上がろうとしていた。


「寝てろって!」


 インターリが押し留めようとするのに、ベッロはゆるく首を振って変身し始めた。慌てるインターリの体に(もた)れ掛かるようにすると、爛れていない方の手を、インターリの背に回した。


「駄目。カナメは仲間、でしょ。仲間、大切」


 インターリは言葉を飲み、顔を歪めた。


 ベッロは、その背に布を掛けたアーチェに「有難う」と微笑み、マリーエル達を見上げた。


「カナメの所、行く」


「……何があった」


 ベッロはゆっくりと体を起こし、カルヴァスに答えた。


「カナメ、連れて行かれた。ルドラの付き人に。ベッロが挨拶しようとしたら、火を掛けられた。刺された。カナメ守ってくれる、だった。でも、倒れた。札みたいなのを使った。カナメの匂い判る。ベッロは案内する」


 そう言ったベッロは立ち上がろうとして顔を歪めた。体を起こすだけで精一杯なのだ。立ち上がれる訳がない。


「お前は走る姿に戻れ。──アントニオ、ベッロを背負えるか?」


 カルヴァスは全員を見回してからアントニオに言った。アントニオはすぐに頷いた。


「はい。それくらいなら私にも出来ます」


「ちょっと待てよ。それなら僕だって──」


 声を上げるインターリの肩に、アーチェが手を置いた。


「駄目です。ベッロの尾がこれ以上痛めつけられるのに黙っていられません。インターリ殿では尾を引き摺ってしまうんですよ。見て下さい。泥は落としましたが、それでも毛先はバサバサ。駄目です。認められません。それより、いつまでそのような格好で居るつもりですか。着替えて下さい。呆けていて着替えが出来ないと仰るのなら、お手伝いしましょうか」


 硬直したままアーチェの言葉を聞いていたインターリの様子に、ベッロが小さく笑う。そして、インターリの泥だらけの上衣の裾を引っ張った。


「仲間、大切。カナメ、助けに行こう。インターリ」


 ベッロはそれだけ言うと再び変身し、腹ばいになって荒い息をした。ゆっくりと瞬きをする。


「ほら、急いでください」


「──判ってるよ!」


 インターリは乱暴に上衣を脱ぎ捨てると、荷を置いた続きの間へと走っていった。アーチェは床に放置された上衣を拾い、血や泥で汚れた飾り布を見下ろして溜め息を吐く。汚れた衣を纏めて拾うと、洗濯用の桶へと入れた。


「有難うな」


 カルヴァスが言うと、アーチェは小さく頭を下げてそれに応えた。


「さて、どうするか。戦力がだいぶ削がれた。マリーは此処に居──」


「絶対、嫌! 一緒に行くよ!」


 マリーエルが言うと、カルヴァスが力を抜いて笑った。


「判ってるよ。お前とアーチェだけを此処に残す訳にはいかないし、カナメが居ない以上影に対するにはお前の力が必要だ。相手の出方次第でオレらだけじゃどうにもならねぇかもしれないからな」


 カルヴァスはそう言ってから、ジェーディエを振り返った。


「で、お前はどうする。オレとしては少しでも戦力が欲しい所だけど、ルドラとは確実に、もしかしたら他の者とも戦わなくちゃならねぇかもしれない」


 少しの間考え込んだジェーディエは、強い瞳でカルヴァスを見つめ返した。


「勿論、協力する。いや、これはフリドレードの問題でもある。放っては置けない」


「そうか。判った」


 カルヴァスは身支度を整えながら、マリーエルに問うような視線を向けた。マリーエルはそれにひとつ頷き、皆を見回した。


「行こう。カナメの許に」




 ベッロの嗅覚に頼り、裏の森を行く。


 実際に足を踏み入れた森は、影の気配もなく、ただ静かだった。


 アントニオの背に居たベッロが身じろぎし、地に下りると匂いを嗅ぎ始めた。


「……まだアントニオに背負って貰ってた方がいいんじゃないの?」


 マリーエルが言うと、ベッロはふるふると首を振り、インターリを見上げた。


 難しい顔をしていたインターリは、ベッロの視線を追ってから言った。


「前にも言ったでしょ。コイツは月光を浴びて治癒するんだ。夜はもう明けたけど、それでも今は十分。それよりも構えた方がいいみたいだよ」


 ベッロは小さく鳴いてから、少し先にある岩に視線を向けた。


 そこには、樹々に隠れ、洞窟がぽっかりと口を開けていた。



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