37話 遠吠え
「はぁ? もう始めちゃったわけ?」
インターリは手早く案内人を樹に縛り付け、小屋へと駆けた。戸幕が破れ、ジェーディエと追っ手が交戦しているのが見える。剣を逆手に持ち、インターリは追っ手の頭を強く殴りつけた。すんでの所でインターリの気配に振り向いた彼は、その時既に頭への一撃を受け、目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「インターリ殿……!」
声を上げたジェーディエを目で制し、小屋の外に飛び出したインターリは、よろよろと歩いて来ていた追っ手の姿を確認し、今度は腹に蹴りを放った。
ぐ、と呻いて、今度こそ追っ手は地に沈んだ。
その胸倉を掴み、小屋の中に連れ込んだインターリは、ぞんざいな手つきで追っ手を床に転がした。
「やっぱり殺さないのって苦手。せめてもう少し力を削ぐようなやり方じゃないと」
ふと、立ちすくんだままのジェーディエに目をやり、インターリは顔を歪めた。
「何、なんか文句でもある訳? というか、突っ立ってないでコイツらを縛るなりなんなりしてくれない? まだ外にも居るんだからさ。で、コイツらは知った顔なの?」
追っ手の体を縛り上げ、その顔を検めたジェーディエは、眉根を寄せた。
「こちらの三人は里の者です。規律実行派の者二人と、こちらは最近見るようになった者。一応基礎地縁派ですが、俺が修養を行っている間に正式に入山したと。こちらは──」
一人に目を落としたジェーディエは、難しい顔をした。
「何度か見たような気もするけど、里の者じゃない」
「じゃあ、コイツはジュリアスの裏切り者か」
「う、裏切り者って……。あの、インターリ殿。協力するのは構いませんが、インターリ殿の言葉は──」
そう言うジェーディエを鬱陶しそうに手で制したインターリは、ふと視線を上に向け、ぎょっとして目を見開いた。その上に小さな毛玉が襲い掛かる。
「なんじゃ、貴様か!」
顔の上で暴れようとする毛玉を素早く掴み上げたインターリは、目の前にぶら下がる見知った姿に顔を顰めた。
「それはこっちの台詞だよ。何してんの、こんな所で」
インターリに掴まれたまま、アールが宙でふんぞり返った。
「儂は今、この森の再生を任されておるんじゃ。それ故、森に異変が起きればその許へ向かう。此度の異変はお主だったがのぅ! この異変! 異変は何故この地におるのじゃ!」
苛々と眉を寄せたインターリは、尖った口調で応える。
「異変、異変煩いなぁ。見れば判るでしょ。コイツらを片付けたところ」
そう言って縛り上げた追っ手の前にアールを差し出すと、アールは、ふぅんと唸った。
「なんじゃ、この辺りで見掛ける者達ではないか」
一拍を置いて、インターリはアールの顔を覗き込んだ。
「え、コイツらのこと知ってるの?」
アールはくるりとインターリの手を逃れて追っ手の頭の上に着地すると、改めてふんぞり返った。
「勿論、知っておる。儂はこの森については殆どを把握しておる。何せ、この森の再生を任さ──」
はぁ、と息を吐くインターリに、アールは怪訝そうな顔をした。
「なんじゃ」
「あのさぁ、此処のこと割り出すのに手間掛かったんだけど。無駄だったじゃん。何で最初からそれをお姫様に伝えないの」
インターリの言葉に、アールは首を傾げる。
「お主よ、何か勘違いしておらぬか。儂等にとって確かに精霊姫は大切な者じゃ。慈しむ気持ちは当然ある。しかし、何より優先されるのは、この世界へ儂等の力を満たし、流すこと。儂等は姫のお守ではない。それに、儂はこの者達がこの辺りで見掛ける顔だと知っているだけで、此処で何をしていたのかは知らぬ。むやみに樹を切り倒したり、森に住まう命在るモノをいたぶりでもしない限りは、こちらから干渉することはない」
黙り込んだインターリに、アールが鼻を鳴らす。
「お主は姫の許に居るというのに、儂等精霊のことを何も知らんのだなぁ。気配も読み取れぬようだし……いや、すんでの所でこちらを向いたのだから、勘は冴えているようじゃが。しかし、結局、儂の踏み台となったんじゃからその勘も無駄なものじゃな。その様子じゃあ、近い内姫の近くに居ることも叶わなくなるんじゃないかのぅ」
インターリはギロリとアールを睨み付けたが、アールは再び鼻を鳴らした。
「そのような目をする暇があるなら、態度を改めんか」
「……はぁ? なにそれ?」
アールは、床に跪き頭を垂れるジェーディエに目をやった。
「そこの。儂への敬意は十分受け取った。顔を上げい。お主が力を受けるのは火の奴じゃろう。奴にこそその敬う気持ちを残さず伝えるのじゃ。奴は意外と面倒な所があるからのぅ」
その言葉を聞き終えると、ジェーディエは深く頭を下げてから顔を上げた。
ちら、とアールが横目で見るのに、インターリは顔を背ける。
「というか、森について詳しいなら、山向こうの森について何か知らない?」
「山向こう?」
髭をピクピク動かしたアールは、首を傾げ、栗鼠の精霊に可能な限りの難しい顔をした。インターリが事情を説明すると、ふむ、と小さく唸る。
「そのようなことが……。しかし、山向こうの森は然程命在るモノが住まう訳でもなし。儂等もそう居らんからな。何より、今は此方の森を再生するのに力を使っておるからのぅ」
「あっそ、意外と使えないね」
「何じゃと⁉」
インターリの顔面目掛けて飛びかかろうとしたアールを手で掴み取ったインターリは、次の瞬間ハッとして駆け出した。
「な、なんじゃ……⁉」
放り出され宙を飛んだアールをジェーディエが受け止め、走り去るインターリの後ろ姿に戸惑いの声を上げた。
「インターリ殿、どちらに⁉」
「アンタはそいつらをカルヴァスの所に連れて行け!」
インターリはジェーディエを残し、森の中を駆けた。山向こうから聞こえた細く弱く聞こえた遠吠えが耳の奥に残っている。
──ベッロ!
聞き間違う筈がない。あれは確かにベッロの声だった。
役目は終えた。それならば、ベッロの許へ向かう。
「くそっ、アイツは何やってんだよ」
ただ、脇目もふらず駆ける。ベッロの許へ。
山向こうの森へと着いた時、そこで初めてインターリは息を吐いた。呼吸はめちゃくちゃで、途端に苦しさが襲ってくる。木の幹に手を突き、乱暴に汗を拭う。
空には既に月が上がっていた。森の樹々の隙間から月光が降り注いでいる。インターリには判らないが、マリーエルの言う通り、儀を行える程に鎮まった地だった。
時折茂みを揺らすのは、森に住む数少ない動物達だろう。アールの言った通り、数が少ないのは、恐らく食料の問題だろうと、辺りを見回したインターリは思った。このような森に潜むのは、何処かから逃れて来たモノか。どうであれ、何かを隠すには丁度良い。
周囲に視線を走らせ、ベッロの姿を探す。
──何処に居る?
遠吠えから察するに、何かがあったことは確かだった。
少しだけ落ち着いた頭で、改めて森を見回したインターリは舌打ちした。森に異変がないのなら、何かが隠されているのは確実だ。そこに、ベッロの悲鳴。
──人の気配はない。不審な点もない。だったら何が隠されてる?
その時、森の奥で動物が争うような音が聞こえてきた。時折唸り声も混じっている。数頭の霊鹿が慌てて逃げていった。
インターリは霊鹿が駆けて来た方へと走った。
荒い声が聞こえる。ずるずると何かを引き摺る音がする。キュン、と細い声が響く。
「ベッロ!」
どさり、という重い音の後、ふり絞った掠れ声が応えた。インターリは谷のようになった場所を覗き、ハッと息を呑んだ。木々の隙間から差す月光の下に、ベッロが力なく横たわっていた。その周囲を数匹の狼が囲っている。
まさに狼達がベッロに飛び掛かろうとした時、怒号を上げたインターリは谷に向かって飛び降りていた。
「お前ら覚悟出来てんだろうなぁ⁉」
インターリの声に、狼達が体をビクつかせ顔を向ける。剣を抜き、丁度足元に居た狼の体に突き立てる。キャンッと声を上げた狼は、暫くジタバタとした後に動かなくなった。
ゆらりと立ち上がったインターリに、狼達は僅かに後退ると、パッと走り去った。
横たわるベッロの許に走り寄ったインターリは、その体の傷に顔を顰めた。
「何があった?」
ベッロは答えず、薄く目を閉じている。肩口から腕に掛けて焼け爛れて崩れている。腹にはいくつもの刺傷があり、インターリの手を血色に染めた。
インターリは谷から上がり、辺りを見回して薬草を見つけると、幾つか千切ってベッロの許へと戻った。薬草を傷口に押し付け、腰の飾り布を取ると、躊躇わずにベッロの体へと巻きつけた。外れ飛んだ帯留めを掴み上げ、下穿きの隠しに突っ込むと、今度は帯を取り、薬草を押し付けた腹の傷に巻いた。
「カナメの奴はどうした?」
ベッロは何かを伝えようと頭を持ち上げようとしたが、か細い声を小さく発しただけで、それきり荒い息を吐くだけだった。
「……一度お姫様の所に戻るから。しっかりしてよね」
インターリは、自身より遥かに上背のあるベッロを何とか背負うと、里へ向かって歩き始めた。




