33話 ルドラ
不意にベッロが顔を上げ、山路のずっと下の方に視線を向けた。見れば、幾人かを従えた者が山路を登って来ていた。幾らか進んだ所で、マリーエル達に気が付き礼をする。
近づく内に、その者の正体が判明した。ランドシと対面した際に控えていた者だった。名をルドラといった。
「姫様。こちらにいらしたのですね。調査の程は如何でしょう」
ルドラは几帳面そうな顔を緩めて笑みを作った。マリーエルが敷物に招こうとすると、丁寧に辞退して少し下方にある岩に腰掛けた。しゃんと背を伸ばし、マリーエルを見上げる。
「我が領主ランドシより、何かマリーエル様にお困りのことがあればお支えするようにと」
そう言って頭を下げる。
マリーエルはちらとカルヴァスを見やってから、ルドラに礼を返した。
今、アントニオには城や里での情報収集を任せているから、マリーエル達だけでルドラに対さねばならない。
「お気遣い頂き有難うございます。昼の間、山のこちら側を見て回り、地図に示してあった地の実際に見た所感などをこちらに記しております」
マリーエルがカルヴァスに目配せすると、カルヴァスはルドラの前に地図を広げ、簡単に説明を始めた。
説明を聞き終えたルドラは、恐縮したように頭を下げた。
「この地は長く修養に打ち込む者が住まう地。気が巡り整っているということを、精霊姫様に仰って頂けるとは、実に喜ばしく思います」
マリーエルは笑みで応えながら、目線でカルヴァスに話を引き継いだ。精霊姫からの言葉を引き出そうとしている相手に、迂闊なことは言えない。マリーエルは笑みを浮かべたまま、アーチェが用意した梅の実をルドラに差し出した。ルドラは有難そうにそれを口に含み、あれこれと賛辞を並べ立てた。
「時にルドラ殿。あの辺りの森には何があるのでしょう。特に書き込みがなかったのですが」
カルヴァスが自然な風を装って訊くと、ルドラは難しい顔をした。水筒の水を飲み、間を空けてから森に目をやった。
「あの森は元々手入れなどをせず、修養といえば地の果てから崖にぶら下がり、眼下の海を見つめながら己の内に真の器たる故を探す、というものが主でしたが、最近では火口付近や山の反対側で行うことが多く、立ち入る者は少ないのです。あの一件以来、影憑きの出没も多く、あの森に立ち入るのは討伐隊が殆どですね。なので、候補地からは外しています」
「成る程」
頷いたカルヴァスが、ちらとマリーエルに視線を送った。マリーエルはそれを感じ取りながら、ルドラに言った。
「影憑きが出るのでしたら、私達が祓えに行きましょう」
しかし、ルドラは恐縮したように手を振った。
「いえ、そのようなお手間は……。我等の討伐隊で事足りる状況故。精霊姫様のお手を煩わせる訳には参りません。精霊姫様には儀をお願いしたく」
そう言ってルドラは深々と頭を下げた。
カルヴァスは内心で舌打ちしつつも、笑みを浮かべた。
「そうですか。もし何かお力になれることがあれば、我等精霊隊までお話し下さい」
「有難きお言葉」
ルドラは、今度はカルヴァスに頭を下げた。顔を上げ、問うような目をする。
「この後はどちらに向かわれるのですか」
地図に目を走らせたルドラは、「此処でしょうか」と指で示した。カルヴァスが頷く。
「この候補地を見たら、そのまま反対側へ回り、里へ戻るつもりです」
「成る程。でしたら、このルドラがご案内いたしましょう。実は少し道を戻った先の洞窟を通ると、比較的平坦な道をこの辺りまで抜けられるのです」
そう言いながら、地図を横断するように指でなぞって見せる。
「あまり使わぬ道ではありますが、危険はありません」
カルヴァスは幾つか質問をしてから、山の下の方を見やり頷いた。
「では、お願い出来ますか」
「喜んでお供いたします」
ランドシに近い場所に首謀者が居るのならルドラは一番に怪しい。カルヴァスの瞳の奥に浮かんだ笑みに、カナメとインターリは何気ない風を装って目配せをした。
ルドラの案内に従ってマリーエル達は歩き出した。道を戻り、そこから逸れた地にある岩の間を進むと、ぽっかりと開いた穴があった。ルドラが付き人に持たせていた松明に火を点け、洞窟を進む。
先頭に付き人二人が先行し、ルドラとカルヴァス、マリーエルを囲うようにカナメ、アーチェ、ベッロ、インターリ。その更に後方に残りの付き人が続く。
決して広くはないが進むのに困難がある訳でもない洞窟を、ぞろぞろと連れ立って歩く。
ルドラの言う通り、山肌を行くよりも平坦な道が続いているし、なにより陽が当たらず、洞窟を抜ける湿った風が心地よい。
岩壁の独特な模様が松明の灯りに照らし出されていた。
突然、ベッロがくしゃみをした。わんわんとその声が洞窟内に響く。連続でくしゃみをしてから、ベッロは鼻を鳴らした。
「大丈夫? ……あれ、この匂いって」
マリーエルが言うと、肩越しに振り向いたカルヴァスが僅かに首を傾げてから、合点がいったように道の先へと目線を向けた。
それに気が付いたルドラが、道の先を指さす。
「この先の少し開けた場所に温泉が湧いているのです。天井の穴から光が差し、なかなか見所がありますが、それだけを目的とするには道のりが少々きつく、あまり訪れるものも多くありません。姫様は温泉がお好きなのですか?」
ルドラに訊かれ、マリーエルは頷いた。
「はい。この地では修養の一環として利用するんですよね。炉の国では疲れを取る為にと浸かったこともありましたが」
「確かに、この地では修養を終えた者が身を清める為に利用されています。精霊姫様には我等のような修養は必要ありませんが、もしよければ私から姫様が利用出来るよう申し出ましょうか」
マリーエルは手を振ってそれを断った。
「いえ、お気になさらず。修養の妨げになる訳にはいきませんので」
ルドラは恐縮しながら「では、もし必要になりましたら」と頭を垂れた。
洞窟は徐々に開け、その先に湯気の上る窪みがあった。ムワッとした熱気と、天井や壁に開いた穴から風が吹き込んでくる。ルドラの言う通り天井から差した光が、まるで誘っているように煌めいていた。
「わぁ、綺麗……」
光が揺れるのに駆け出そうとしたベッロが、ハタと足を止め、マリーエルの許に戻りその手に不安そうに鼻を押し付けた。
「どうしたの?」
きゅう、と鳴いたベッロは不安そうに視線を彷徨わせていたが、次の瞬間耳を立て天井を見上げると、マリーエルを守るように前に割り込んだ。その様子にインターリが剣を構える。それに続きカルヴァスとカナメが剣を抜き、辺りを警戒した。




