25話 家族
出立の日。ひと揃えの荷を霊鹿に積み、マリーエル達はフリドレードへの大路を進み始めた。
グラウスとフリドレードの間には行き来を阻む切り立った山々がある為、ジュリアスに迂回するような路だが、これが一番の近道だった。ジュリアスに向けての路には宿や補給所、近頃では市が立つ。平野が長く続くこともあり、エランへ向かう道よりも随分と往きやすい。
グラウスからは二日程でジュリアスとの境に着き、その後ジュリアスの大森を抜ける。徐々に大気の熱が上がり始め、うっすらと汗ばんでくる。
「予定通り着けそうだな」
路の先を見たカルヴァスが言った。
ジュリアスの大森を抜けた先は、カルヴァスの生家がある集落だ。
石組みと土で造られた家々の中に、工房や装飾品を飾る店がいくつか見える。エランでの通貨導入に合わせて、装飾品造りを生業にしているこの集落では、大陸からの来訪者向けに装飾品を売買する仕組みを新しく整えている。通貨でも可能だが、以前のように材料の持ち込みや、職人から提示される条件をこなすことで製作を依頼することも出来る。
来訪者の姿はまばらだが、どの工房でも職人達がその腕を揮っていた。この集落の装飾品は国中で人気がある。
通りに出ていた人々は、カルヴァスの姿に気が付くと、気安い様子で挨拶を交わしたが、その後ろに続くマリーエルの姿を見た途端、目を見開いてから慌てて頭を垂れた。
「母さん、居るか?」
町の外れに建つ家の前に霊鹿を繋いだカルヴァスが、戸布を開け中に声を掛けると、甲高い声が上がった。
「兄さんだー!」
「おー、リュビナ! 久し振りだなぁ。なんだ、ちょっとは大きくなったか?」
「なったよ!」
ドタドタという音と共に駆けて来て腰に抱き着いた小さな影を軽々と背負ったカルヴァスは、戸口で辺りを見回した。よく似た小さな顔がカルヴァスの頭の横で同じようにする。
「母さんはあっちの畑──」
「髪の毛がキラキラしてる!」
マリーエルに目を止めたリュビナが、驚いたように指をさした。
「こら、リュビナ! マリーエル様にご挨拶しろ!」
慌てた様子で家から飛び出して来た真面目そうな少年が、カルヴァスの背に居るリュビナの衣を引っ張った。少年は、きっちりとした動作でマリーエルに頭を垂れると、不安を滲ませた顔でカルヴァスを窺った。
カルヴァスはニッと笑って少年の頭を撫でると、背のリュビナを下ろしてから真面目な顔を作った。
「そうだぞ。ラトゥロスを見習って姫様に挨拶だ。それが出来なきゃ一人前にはなれないぜ」
カルヴァスの言葉に、リュビナがたどたどしく頭を垂れる。マリーエルはその前に屈み、笑みを向けた。
「リュビナ君に会うのは初めてだよね。ラトゥロス君は随分前に一度会ったよね。大きくなったねぇ。いつもカルヴァスから話は聞いているよ」
マリーエルが言うと、ラトゥロスは表情を引き締め短く返事を返した。カルヴァスが愛おしそうにその頭を撫でた。
「……カルヴァスが三人居るじゃん」
様子を見守っていたインターリが、呆気にとられたように言った。
「大カルヴァス、中カルヴァス、小カルヴァス……特に大と小が似てる」
「確かに、目元がよく似ているな」
インターリに続いて興味深そうに兄弟を見つめていたカナメが言うと、カルヴァスが盛大に吹き出した。
「何だ、その感想は? まぁよく似てるよな、男前振りが」
オレ男前! と嬉しそうに言うリュビナにカルヴァスがカラカラと笑うと、インターリが不機嫌そうに鼻に皺を寄せた。
「で、母さんは畑か? 実は離れの小屋を借りたくて──」
その時、森の方からカルヴァスを呼ぶ声が聞こえてきた。
「アンタはいつも突然帰って来るんだから! 手紙だってもっと早く──」
そこまで言ったカルヴァスの母クルトロが、ハッと息を飲んで「マリーエル様!?」と悲鳴のような声を上げた。慌てて頭を垂れると、カルヴァスの耳を強く引っ張った。
「マリーエル様がお越しならそのことをちゃんと伝えなさい! 食事の用意だって出来てないし、食卓だって狭すぎるよ。今夜はお泊りになるんだろう? あぁ、その準備を……掃除だって済んでないよ」
「ちゃんと伝えたろ。精霊隊の都合で寄るかもしれないから支度しといてくれって」
「それだけじゃあ、姫様もいらっしゃるなんて判らないだろう!」
カルヴァスが肩をすくめると、リュビナが「怒られてる」と可笑しそうに笑った。
「まぁ、ともかく、離れの小屋が借りたくてさ。オレらで片付けて使うからとりあえずそれだけ言いに──」
「馬鹿な子だね! 姫様を離れなんかにお通し出来る訳ないだろう!?」
クルトロはラトゥロスに支度を言い渡し、リュビナには工房に行き父と姉を呼んでくるように言いつけた。
それを見送ったカルヴァスは、横目で母の姿を見やった。
「なぁ、母さん、悪かったって。公式の訪問だからってそうマリーが通るぞってことも言いにくかったんだよ。先に知らせてたら此処の皆で出迎えてただろ。今回はちょっとそういうのは避けたかったんだって。母さんならその辺り突然連れて行っても大丈夫かと思って……というか、一応オレってこいつらの隊長なんだけど」
カルヴァスは耳を引っ張られながら、ニヤニヤと含み笑うインターリに憎々しげな視線を向けた。クルトロは最後にひと引っ張りすると、カルヴァスの背を勢いよく叩いた。
「全く。隊長なら、その辺りの配慮も出来るように手回しするもんでしょう。母さんは何でも出来るって訳じゃないの」
痛ぇ、と呻くカルヴァスからマリーエルに視線を移したクルトロは、改めて礼をした。
「マリーエル様がいらっしゃったんだ。大したものはお出し出来ないけど、それでもここらの中ではとびきり良いものを用意しますからね。まずはお茶でも淹れましょう。ジュリアスとの境が近いこともあって、良い茶葉が手に入るんですよ」
そう言って、何処か見慣れたような顔でクルトロはニッと笑った。
荷を下ろす間にクルトロは茶を淹れると、マリーエル達を呼び寄せた。
芳しい香りが部屋を満たしている。たっぷりの蜜を入れた茶を、カルヴァスが美味しそうに飲んだ。
「やっぱ、これだよなー。甘くて美味い」
小さく頷きながら、カナメも興味深げに茶を味わっている。
「此処では乳を入れないんだな。それでも十分な甘みがある。茶葉も蜜も土地が変われば風味も変わる……面白いな」
カナメは出された茶菓子にもいちいち感動してクルトロに何かと訊ねていた。
母の言いつけを終え、卓に着いていたラトゥロスが、アントニオの名を聞き、目を丸くした。マリーエルを見つめ、そしてアントニオに確信めいた瞳を向ける。
「知の精霊の呼び掛けを受けたという……あの知の者のアントニオ様、ですか……?」
動揺に頬が染まるのを、カルヴァスが訝しげに見やった。
「そうだけど……お前ってそんなにアントニオに憧れてたっけ?」
ラトゥロスは慌てふためき、カルヴァスとアントニオを見比べた。
「そりゃ、だって、この世界のあらゆる知識を修め、その知識をもって国に、そして精霊姫様に尽くされている方でしょう? 知識はあればあるだけいいじゃん。兄さんだって戦や策にはあらゆる知識が必要になるって言ってるでしょ」
憧れを灯した瞳で見上げるラトゥロスに、アントニオは微笑みを向けた。
「なかなかに見所のある少年ですね」
「えー、コイツって知識はあるのかもしれないけど、小煩いし、鈍くさいし、姫馬鹿だし、憧れるのはやめた方がいいんじゃない?」
インターリが口を挟むと、ラトゥロスは少し狼狽えてから「でも……」と続けた。
「知識があれば自分が何かを成す為の助けになると思うし……」
ラトゥロスは不安そうな顔でカルヴァスとアントニオを窺い見た。その頭を撫でながら、カルヴァスは呆れたように口を曲げた。
「おい、オレの弟を虐めるなよ」
「別に虐めてなんかないだろ。助言してやったんだ」
カルヴァスはラトゥロスの肩を引き寄せると、インターリを指さした。
「コイツはこんな感じで口がめちゃくちゃ悪いけど、根っこの所はそうでもない筈だからな。もし、何か度が過ぎるようなことがあったら、オレに報せろよ」
カルヴァスの言葉に、戸惑いながらも頷いたラトゥロスに、インターリはつまらなそうな顔をすると、ぷいと顔を背けた。その顔をベッロが舐めるのを示し「な?」とカルヴァスが笑う。
「ラトゥロス。貴方は知識を得て、どのようなことに役立てようと考えているのですか?」
アントニオが穏やかな調子で訊ねた。ラトゥロスが瞳を輝かせる。
「俺は……父さんの工房を継ぎたいと思っていて。作品を造る時、知識があれば自分が造りたいものや、依頼者の求めるもの、そうしたことに役立てられると思っているんです」
「立派ですね」
アントニオが言うと、ラトゥロスは嬉しさに頬を染めた。
話を聞いていたマリーエルは、自身に対してもアントニオがこのように接してくれればいいのに……という思いが浮かんだのを、頭から追いやった。子供相手に羨ましがっても仕方がない。取り繕うように甘い茶を口に運んだ。
「父を継ぐ、か……」
ぽつりと呟かれたカナメの言葉に、ラトゥロスがハッとする。
「あ、俺が父さんを継ごうと思ったのは、兄さんが兵に志願したのとは関係なくて──」
「いや、俺には実の父や、継ぐものがないから、どのようなものなのだろうと思っただけだ。今は君のお兄さんの許で、自分に出来ることは何なのか考えている所だ」
真剣な眼差しで言うカナメに、ラトゥロスは小さく頷くと、誇らしそうにカルヴァスを見上げた。その頭をぽんぽんと優しく叩き、カルヴァスはニッと笑う。
「お前の道はお前だけのもんだ。誰がどうとかは関係ない。今、お前が無理に父さんを継ごうとしてるなんて思ってる奴は居ない。だろ?」
「うん、そうだね」
ふと顔を上げたカルヴァスが、マリーエルに目を止めて眉を寄せる。
「おいおい、何でお前がそんな顔してんだよ。オレの道もオレのもん。なぁ、ラトゥロス」
「うん、兄さんは俺達家族の誇りだもん」
「嬉しいこと言ってくれんじゃん」
わしゃわしゃとラトゥロスの頭を撫で回したカルヴァスが、「な?」と言い聞かせるようにマリーエルの頭に触れようとすると、アントニオが鋭い視線を投げた。
インターリがニヤニヤと笑みを浮かべる。
「ほら、姫馬鹿じゃん。世話役ですら止めないのにさ」
急に話を振られたアーチェは気まずそうに手に持っていた茶器を下ろした。どうにも世話役として立ち振る舞えないことに落ち着かない様子で、そわそわとしていた。




