20話 思惑
大食堂には、納霊の儀に関わった主要人物が皆揃っていた。
ジェーディエだけが、丁寧に手当てされた体を丸めるようにして椅子に収まっている。それは、負った傷のせいであり、この状況への戸惑いと自責の念からくるものでもあった。
マリーエルと目が合うと、何かを言いたそうに口をもごもごと動かし、気まずげに目を逸らす。
しかし、部屋の雰囲気は、決してジェーディエを責め問い質そうというものではなかった。皆が時折気遣わしげに目をやっている。
リーベスが立ち上がり、マリーエルの許まで歩み寄ると、その手を取り恭しく額を付けた。
「此度のこと、深く感謝する。城より一部始終を見ていたが、貴女がいなければこうも治まらなかったことだろう。この地に木の精霊の力が淀みなく流れ満ち、また我等は役目を全うすることが出来る」
マリーエルはリーベスの手の甲に同じように親愛を返してから、笑みを浮かべた。
「これが、私の使命ですから。それに、皆が居なければ、私だけではとても」
そう言って、マリーエルが卓を囲む皆を見回すと、リーベスは笑みを浮かべてから、同じようにした。再び席に着き、真剣な表情を浮かべる。
「さて、此度のことだが──」
その言葉に、ジェーディエの肩がピクリと動く。思い悩む瞳を上げ、口を開きかけたジェーディエが話し出すよりも先に、セルジオがマリーエルを呼んだ。
「何も、我々は彼を責めようとしている訳ではないからね。まだ大事をとって横になっているべきだと言っても、彼が頑ななんだ」
セルジオのからかうような声に、ジェーディエは眉を寄せ、緩く首を振った。
「いえ、フリドレードの霊司として、此度のことは申し訳が立たず──」
そこまで言ってから、言葉を継がずに押し黙る。
何度か口を開いては閉じて、を繰り返すジェーディエの言葉を待っていたクッザールが、顎を引き、皆を見回してから口を開いた。
「我々は、此度のことを明らかにしなくてはならない」
そうだね、と問いかけると、ジェーディエは少しの間を開けてから「ええ」と頷いた。
「あの札……実物を残せなかったのは残念だが。マリーエル、君はどう見る?」
クッザールは、卓の上に置かれた札の複製品を示した。件の札に描かれていたのとよく似た紋様が描かれていた。勿論、ただの墨で描かれたものだから、嫌な気配は全くない。
「我々の誰も、ジェーディエさえもこの紋様に覚えがないという。もう一枚作ってアントニオに送ったが、そちらもどうだろうな。これだけの面々が揃っているのに、誰も覚えがないとは」
マリーエルは、話を聞きながら紋様を指でなぞり、緩く首を振った。
「私にも、この札がどのように、どのような意図で描かれたものかは判りません。ですが──」
札を目にした時の感覚を思い出す。
「あの札は、影によって描かれたものだと思います」
あの場に居たクッザールとカルヴァス以外の者が、動揺の声を上げた。
「一体、誰がそのようにおぞましいことを……」
イルスーラが愕然としたように言ったが、ふとジェーディエに向けた視線が気遣わしげに細められた。
ジェーディエは他の者達とは異なることに思い至り、驚き、苦悩の表情を浮かべていた。自身の中に沸いた疑念を払おうとして、しかし、それに取り憑かれてしまう。
セルジオがふぅと息を吐き、卓の上で手を組み合わせた。
「君は何かを知っているようだね、ジェーディエ殿?」
緩く顔を上げ、しばし硬直したジェーディエに、セルジオは畳み掛けるように続ける。
「まぁ、君の立場を考えると、そうなんでも気軽に話してしまうという訳にもいかないだろう。君の様子から察するに、君自身も認めたくないことのようだからね。このような〝おぞましいこと〟は、エランもグラウスもジュリアスも……そしてフリドレードだって望んでいない筈だ。本来、影はこの世界にとって悪しきもの。そうだろう? しかし、この札はジェーディエ殿がフリドレードから自ら持ち込んだ儀式服に仕組まれていた。しかも、精霊姫や、他の者達が破壊せねば、遠からず君の魂を穢すか失うかどちらかの結果を生む形で。今、君の中でこの事実はどう捉えられているのだろう」
ジェーディエはさっと顔色を失った。苦しげに顔を歪め、何か言おうと口を開きはするが、すぐに閉じてしまう。
様子を見守っていたリーベスが、セルジオと目配せしてから、口を開いた。
「ジュリアスとしては、本来の目的である納霊の儀を終えた今、ただ何の為にこのような代物が我がジュリアスへと持ち込まれたのか、ということを知らねばなるまい。知らねば、民を守ることが出来ぬ。それに、君をフリドレードへ帰すとしても、事と次第によっては、やり方を考えなければならない」
リーベスの声は、鋭さの中にも優しさが込められていた。しかし、それでもジェーディエは迷っているように呻き、苦しげに瞳を閉じた。
クッザールが腕を組み直すと、自然と皆の視線が集まった。ちらとそれぞれに視線を向け、クッザールは言う。
「先の戦の際、フリドレードでは影の作り出した歪みを利用していた。このような札を作り出すものが居てもおかしな話ではない」
「……それは──」
やっとそれだけを口にしたジェーディエは、深く息を吐いてから、観念したように話し出した。
「確かに、先の戦で歪みを利用した者が居るのは事実です。しかし、影そのものを利用した訳ではない。そのようなこと……我等フリドレードの民は精霊の力を得、それを強く扱えるようになる為に修養を行っているというのに……。それでは、我等が古来より定められた役目は一体……」
ジェーディエは打ちひしがれたように俯いた。少し間を開けたクッザールは、静かに訊いた。
「歪みを利用し、地を穢した者は、処罰された筈だな」
「はい、それは勿論です」
「しかし、君は此度のことで何か思い当たる所がある」
「……はい」
ジェーディエは皆を見回し、ちらとマリーエルに目を止めてから言った。
「恐らく、此度のことは、フリドレード内の争いが関係していると思います」
「規律実行派と基礎地縁派だったか」
セルジオの問いに、ジェーディエは顎を引いた。
「フリドレードは、前領主アヴァーン・フリドレード・ディウス様がお亡くなりになられた後、何者を長とするかで長らく揉めていました。基礎地縁派である我々は、初代フリドレード様の力を強く受ける者を求めましたが、規律実行派は強大な力を持つ者こそがフリドレードの名を継ぐに相応しいと。事実、現在の長は規律実行派の中でも、いえ、フリドレードの中でも随一の力の持ち主です。……俺の印なんて比べものにならない」
ジェーディエは歯噛みしながら自身の腕を擦った。ふと顔を上げ、マリーエルに視線を向けると、後ろめたそうに逸らしてから、再び合わせた。
「彼等が次に求めたのは、更なる力の安定です。その為には、マリーエル様──精霊姫様の存在が必要だと、そう考えられています」
カルヴァスが僅かに目を細めた。ジェーディエは続ける。
「此度のことは、基礎地縁派に全てを背負わせ、企てが成功すれば他地方の力を弱め、それを足掛かりに姫様を手中に収めるつもりだったのでしょう。失敗した所で、俺が死に、基礎地縁派の勢力を削ぐことが出来る。そして、事の次第を語り、ジュリアスを味方につけることが出来る……そう考えたのだと思います」
ジェーディエの言葉に、リーベスが小さな笑い声を立てた。
「我々は随分と低く見られているようだ」
「いえ、決してそのようなことは……!」
ジェーディエが額を卓に押し付けるようにしながら言った。
「それで、君達基礎地縁派の目的は? まさか、それらを判っていてまんまと策にハマる為に此処まで来た訳ではないだろう?」
静かに耳を傾けていたセルジオが笑みを湛えて訊いた。
「それは……」
ジェーディエは言い淀み、ちらとマリーエルを見やる。
じっと壁に寄り掛かって話し合いを眺めていたインターリが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「大方、そいつもお姫様を引き入れて来いとか言われてるんでしょ。どいつもこいつも気色悪い」
吐き捨てるように言うインターリに、セルジオが真剣な眼差しを向けた。
「君も大陸で見聞きしていただろう? 精霊姫の価値というものを」
その言葉に、インターリが気色ばんだ。
「アンタもそういう扱いをするっていうのかよ!?」
「やめろ、インターリ」
カルヴァスが制止すると、インターリは強く睨み返したが、隣に控えていたカナメに押しとどめられて舌打ちした。
その様子を見守っていたセルジオは、少し気の抜けたように笑ってから、マリーエルを見つめた。
「私が言っているのは〝精霊姫〟にはそのような価値があるという事実だ。私自身はマリーエルをどうこう利用しようとは思っていないよ。さて、しかし──」
セルジオはクッザールに目配せし、何事かを一考するように顎に手を当てると、顔を上げた。
「エランは手を引くことにしよう」
「……え?」
目を瞬くジェーディエに、セルジオは少しだけ難しい顔をした。
「この件はフリドレードの内争とグラウスの権勢に関わることだ。エランが介入しては、新たな火種を生みかねない。勿論、戦になれば関わらざるを得ない訳だが……エランとしては、国内の戦なんてまっぴらごめんだからね」
セルジオが問うような視線をリーベスに送ると、リーベスも深く頷いた。
「ジュリアスもエランのように、とはいかないが、手を引こう。何より今は木々の波の後始末にも追われている。これ以上民の負担を増やす訳にはいかない。納霊の儀は精霊姫様の導きの許に、全地方の力を得て終えることが出来た」
じっと考えていたカルヴァスが口を挟んだ。
「結局、衣に仕組まれた札が何者の手によるものなのかが判らない今、そのような状況でジェーディエをフリドレードに戻してもよいのでしょうか」
皆の視線がジェーディエの許に集まった。
「そうだな──」
考えうる可能性はいくらでもある。元より札を仕組んだものは、ジェーディエの命など惜しくないように考えられた。
難しい顔をした皆の中で、セルジオだけがニンマリと笑みを浮かべた。
「その点についても、我々が手を引くことが効くと思うよ」
その言葉に、クッザールが深く考え込む。暫くして、ひとつ頷いた。
「今は……それしか、ないか」
納得したように言うクッザールは、皆を見回し、敢えて説明した。
「ジェーディエは儀の最中穢れを受けた衣が呼び寄せた影に襲われ負傷したが、他地方の皆と協力し、予定通り全ての儀を終えた。これは、我々からの声明でもある。どのような企てがあろうとも、我等はそれに屈せず、この国の為に生きるという、な」
「我等もそれに賛成だ。かのクッザール様が仰るんだ。従わない理由がない」
笑顔で言うセルジオに、クッザールが眉根を寄せた。
「この状況で茶化すな」
「いいんだ。このように朗らかな雰囲気でこの件は終わらせなければならない。ひとまずジュリアスの危機は去ったんだ。ねぇ、リーベス殿」
リーベスは微笑むと、人を呼び寄せ、果実酒を持ってくるように言った。
「そう、今はただ儀を終えたことを祝うことにしよう。いずれ起きるであろうことへの、結束を強める為に」
数日後、エラン領主としての用事を済ませたセルジオはエランへと帰って行った。リーベスとイルスーラは、ジュリアス復興と、宿木の大樹の祀地を整え、奉る為にその腕を揮っている。
「全て話した通りだ。君の置かれている状況から考えるに、本来なら護衛でも付けたいところだが、それでは前提が崩れてしまうからな。これも役目と考えてくれ」
旅支度を終えたジェーディエに、クッザールが釘を刺した。
ジェーディエは覇気のない顔で「はい」と小さく頷いた。
「そんな様子じゃ儀が上手くいかなかったみたいじゃねぇか。元気出せよ」
カルヴァスがそう言って軽く背を叩くと、ジェーディエはもごもごと口を動かした。
様子を見守っていたインターリが鼻で笑う。
「そいつからしたら、帰った所で不始末を咎められるか、札を仕組んだ奴に殺されるか。しかもそれは他派閥ならまだしも、自分の身内が仕組んだことかもしれないんでしょ。気が重いったらないよね」
インターリの言葉に、ジェーディエはむっと顔を上げた。
「勿論気掛かりなことはありますが。自身の立場の為とはいえ、このような事態を引き起こし、あまつさえ皆さんを、マリーエル様を利用し物のように扱うことを承諾した自分に嫌気が差しただけです。ただ話に聞くだけだった皆さんとこうして直に話をすることで、自分がいかに愚かだったのか思い知りました。何の為に修養を積んできたのか、それを見失いそうです」
後悔を滲ませたジェーディエの言葉に、カナメが応えた。
「そう思うなら、正せばいい。今からだって遅くない。儀は終わり、マリーは無事だ。この先のことを考えたらどうだ」
カナメの静かな声に視線が集まった。マリーエルの横に立っていたカナメは、鋭い瞳でジェーディエを見つめ、問うようにマリーエルを見やった。
マリーエルは小さく頷いてから口を開いた。
「うん、今はまだ判らないことが多い。でも、お互いにこのままではいられない。戦なんて起こさせない。ジェーディエ殿。貴方もそう思っているのなら、協力しましょう」
ジェーディエは苦しそうに顔を歪め、胸を押さえると、マリーエルの許に跪いた。手を取り、額を付ける。
「有難いお言葉。私もこの国の為生きる者の一人。この使命の為、尽くすことを誓います」
ジェーディエは立ち上がると、自身の両頬を強く叩いた。表情を引き締め、力強く頷いて見せる。
「此度のことは恥じ入るしか出来ません。基礎地縁派としての思惑も外れました。いえ、そのような手ではいけなかった。恐らく今後、姫様に対して何かしらの話が届けられるでしょう。私はフリドレードに戻り次第、どのようなことが起きようと対処出来るようにしておきます。勿論、札についても調べておきます」
「あまり無理はするなよ」
クッザールの言葉に、ジェーディエは深々と頭を下げた。
「やはり、修養の為とはいえ、籠ってばかりはいけませんね。この度霊司として皆様とお会い出来てよかった」
「精々殺されないようにね」
ニヤリと笑うインターリに、ジェーディエはニッと笑みを作った。
「ええ。私はインターリ殿とも手合わせをしたいですから。次お会いした時はお願いします」
「……嫌だね」
ぷいと顔を背けるインターリに苦笑したジェーディエの肩を、カルヴァスが軽く叩いた。
「オレはいつでも手合わせ出来るのを楽しみにしてるからな」
その言葉に、ジェーディエは嬉しそうに笑った。
「ああ。必ず」
最後に深々と頭を垂れたジェーディエは、マリーエルを名残惜しそうに見やってから部屋を出て行った。そして、木々の波の後始末に向かうジュリアス兵と共に城を発ち、フリドレードへと帰って行った。
「さて、私達もグラウスに戻ろう。ひとつ問題が片付いたとはいえ、この先を考えると休む暇はない。やるべきことは、何も問題解決だけではないからな」
そう言って、クッザールはマリーエルを見やった。




