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精霊国物語  作者: 夢野かなめ
第二部 木の歌と火の器

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19話 影の札

 ジュリアス兵が影に飲まれ、苦しげに呻く。カナメが影を斬り裂き、ジュリアス兵を影から救い出しながら大樹へと駆けた。


 それに続こうとしたカルヴァスとクッザールを、マリーエルは呼び止めた。既に駆け出していたセルジオには目線で託し、駆け戻ってきた二人と向き合う。


「何をすればいい?」


 影との交戦に目をやりながら、カルヴァスが急いた様子で訊いた。ベッロとインターリは既に戦いの中で次々と影を蹴散らしている。そこにセルジオが加わり、剣を揮い始めた。


「カルヴァスはジェーディエ殿の力を補って欲しい。この札を壊したら、それを身に付けていたジェーディエ殿自身にも影響が出るかもしれない。これは、きっと呪……だと思う」


 マリーエルの言葉にカルヴァスは頷くと、ジェーディエの許へと歩み寄った。戸惑うジェーディエに「じっとしてろ」と声を掛ける。


 マリーエルは次にクッザールに言った。


「私はこの後この地を祓い、予定通り納霊の儀を終わらせます。でも、これだけの状況ではきっと力が足りません。だから、この札の破壊をクッザールお兄様にお願いしたいです」


「判った。風の力だな」


 クッザールは、地に置かれた札に目を落とし、剣を構えた。


「姫様──」


 何かを言おうとしたジェーディエの許に、大樹の周辺から逃れてきた影がその手を鋭く伸ばした。カルヴァスが剣を揮い、それを容易く焼き斬り撃退する。


 カルヴァスは周囲に目を走らせてから、マリーエルに目配せした。マリーエルは、何か言いたげなジェーディエを目で制し、札へと目を移した。


 クッザールが剣を振りかぶった。強い風が巻き起こり、嵐剣が剣に向かって振り下ろされる。しかし、剣先は札には届かず、クッザールは剣を握る腕により力を込めた。


「……ッ」


 剣先は少しずつ札へと向かっているが、札に込められた力が、それを阻む。札に書かれた文字が震え、風の力を飲み込まんと伸び上がった。


 クッザールは唸り声を上げながら、全身を使って嵐剣を札に沈めようと力を込め続ける。


 ふと、クッザールの視線がマリーエルに問うように向けられた。


 マリーエルは一瞬躊躇ってから、意を決して札の端に触れた。指先が痺れ、まるで針で刺されているように痛む。それでも札に込められた力を探り、自身の力で影を絡めとった。


 ふいに力の抵抗が消え失せ、嵐剣の切っ先が札に沈んだ。文字が歪み、形作る影が暴れ回る。しかし、すぐに影は風の力に散らされ、宙へと消え飛んだ。


 パチンッ。


 札の影色の文字が消えた時、ジェーディエの首元で小さな音が鳴った。ハッと彼が息を飲んだ時、見えない力がその頸を絞め上げ始める。


「ぐっ……!?」


 ジェーディエは成す術もなく後ろに倒れ込んだ。


「カルヴァス!」


 マリーエルの声に、カルヴァスがジェーディエの体を抱き起した。首元に手を当て、火の力を盛らせる。


 札に込められていた力が、ジェーディエという器を破壊しようとしていた。その身の内に満ちる火の力を暴れさせ、その身を焼こうと侵食する。


「しっかりしろ!」


 カルヴァスの言葉に、ジェーディエは薄く目を開いた。歯の隙間から細い息を吐き、身の内で荒ぶる火の力を抑えようと呻く。


 マリーエルは力なく伸ばされたジェーディエの手を握った。火の力をカルヴァスに任せ、自身はジェーディエの気に潜り、影を探る。


 冷たい力がジェーディエを離れ、宙に跳んだ。


 マリーエルはそれを掴み取ると、地へ押さえつけた。間を置かず、クッザールの嵐剣が冷たい力に突き刺さり、霧散させた。


 ふっと辺りを支配していた重圧感が軽くなる。


 その場に足を突いたクッザールが、額の汗を拭った。


「札の力は……これで、消えたな」


「……はい。その筈、です」


 マリーエルは、荒い息を吐きながら、ジェーディエの気の流れに触れた。


 火の力は正しく彼の身の内を流れ出している。


 ──後は……。


 カルヴァスに目配せし、後ろを振り返ったマリーエルの前に、後退してきたインターリが立ち塞がった。屈みこむ皆をちらと見やり、眉を寄せる。


「ねぇ、何でこっちは皆力尽きてるの!?」


 影は勢いを失い始めていた。しかし、祓えが済んでいない今、影は次々に地の底から呼び出され、這い出してきりがない。


「今行くよ」


 マリーエルが力の入らない足に力を込めて立ち上がろうとすると、カルヴァスがそれを支えた。クッザールが続いて立ち上がる。


「クッザールお兄様は、休んでいた方が──」


 その言葉に、クッザールは小さく笑った。


「お前は今から無茶をするんだろう? 妹ばかりに頼る訳にはいかない。それに私は、この国の為に尽くす隊を率いているのだからな」


 そう言って、影と戦う自身の隊の兵達を見やった。


「隊長である私が、一人ここで休むなど、在り得ない。──先に行く」


 クッザールはカルヴァスに目をやり、剣を手に駆けて行った。襲い掛かる影を、嵐剣が斬り裂いていく。クッザールが隊に指示を出すと、十分に統率の取れていた兵の動きが、更に洗練されていった。


「で、こっちの隊長殿はどうするつもり?」


 インターリの言葉に、カルヴァスがマリーエルへと問うような視線を向けた。


「あの大樹の許に木の精霊の力は宿ってる。あそこで祓えを済ませて、そのまま納霊の儀を終わらせる」


「判った。まずはベッロとカナメと合流する。オレ達でマリーを囲み、祓えに集中出来るようにする。──走れるか」


 マリーエルは、腕に添えられたカルヴァスの手に手を重ねた。


「うん、行こう」


 剣が影を斬り伏せ、怒号が飛び、苦悶の声が上がる中を、マリーエル達は駆けた。


 影は、まるであざ笑うように湧き出る。哄笑は不快にマリーエルの耳に届いた。いつでもお前達のことなど飲み込んでしまえるのだ、と深淵の女王は言いたいのだろう。


 しかし、影の勢いは少しずつ弱まりつつあった。


 カルヴァスとインターリが、マリーエルの許へと襲い掛かる影を撃退し大樹へと辿り着く間に、ベッロとカナメがそこに加わった。


「いけるか?」


 汗を拭ったカルヴァスが、肩で息をしているマリーエルに訊く。


「うん。後のことは、お願いね」


 マリーエルは乱れる息を整えながら答えた。


 皆がマリーエルを守るように立ち、武器を構えた。マリーエルはそれを見やってから地に跪き、自身の気の力を、この地を造る力の中に解かし始めた。


 ──大丈夫。木の精霊の力は、この地に根差し始めてる。


 木の精霊の力を感じながら、その力が伸びていくよう満たし、そしてそれを阻止しようとする影を捉え、祓う。


 マリーエルを中心に渦巻いた力は、影をすり潰し、それを塗り替えながら響き渡っていく。剣を揮っていた兵達が、影が霧散し包み込むような温かい力が駆け抜けていくのに手を止め、輝きと共に在るマリーエルの姿に見入った。


 ついに木の精霊の力は、この地へと納まった。


 マリーエルの歌に、大樹に宿った木の精霊が応える。さやさやと木の葉を揺らし、力が満ち、瑞々しい香りが風に運ばれ広がっていく。


 触れた大樹の木肌は、まるで手を繋いでいるように温もりを伝えた。


 ──これで、もう大丈夫。


 マリーエルは大樹から一歩下がると、改めてその場に跪き、祈りを捧げて頭を垂れた。


 祈りに応えるように、大樹は次々と花を結んだ。精霊石のような輝きを持つ花々に、見上げる人々はただ息を飲んだ。


 かすむ目を擦り、立ち上がろうとしたマリーエルの前に、カルヴァスが手を差し出した。その手に縋るようにして立ち上がる。


「歩けるか」


 その言葉に、小さく頷き歩き始める。


 マリーエルが歩く姿を、兵達が呆然と見つめ、ハッとしてから慌てて頭を垂れる。


 ジェーディエの許でイルスーラやセルジオと何やら話し合うクッザールに「一度戻ります」とだけ伝えると、マリーエルはカルヴァスに引き上げられて霊鹿に乗り込んだ。


「もう少しだけ頑張れるな?」


 耳元で聞こえた気遣う声に、マリーエルは小さく頷いた。


 今にも手放してしまいそうになる意識を奮い立たせ、城に着く迄に声を掛けてくるジュリアスの兵や民に笑顔を向け続けた。


 やがて豊熟城の客間に辿り着いたマリーエルは、へなへなと床にへたり込んだ。もう限界だった。


「お疲れさん。寝台まであと少しだったんだけどなぁ」


 そう言って笑いながら、カルヴァスはマリーエルを抱きかかえた。その腕に体を預けるしかないマリーエルは、小さく「有難う」と呟いた。恥ずかしさよりも、体を襲う疲労感が凄まじい。カルヴァスの腕の中で、ふうと息を吐いた。


「お姫様ってのも、大変だねぇ」


 インターリが思案するように言った。


「まぁな。これもマリーの役目に必要なことだからな。──アーチェ、着替えさせてやってくれ」


「はい」


 マリーエルは大陸への旅から帰った後、精霊姫という立場について改めて考えていた。


 力の象徴であるグランディウスの子孫。


 精霊の祝福を受けた精霊姫。


 民の想い。他国にとっての立場。自身に出来ること。


 よく見て、考え、出来ることを成さねばならない。


 マリーエルは、アーチェが手早く体を拭ってくれるのに身を任せ、取り留めもなくそれらを考える内、遠ざかっていく話し声を聞きながら、寝台に横になって意識を手放した。




 ふと目を覚ますと、近くの卓で刺繍をしていたアーチェが顔を上げた。


 窓幕の端から柔らかい光が差している。


「気分は如何ですか?」


「うん、大丈夫。私、どのくらい寝てた?」


「半日程ですよ」


「良かった。今は朝だよ……あれ?」


 窓幕に視線を釘付けたマリーエルに、アーチェは手早く窓幕を上げた。瞬間、溢れんばかりの陽の光が差し込んでくる。


 寝台から抜け出し、窓から外を見ると、そこには陽に照らされたジュリアスの地が広がっていた。


「木々の波が──」


「えぇ。木の精霊が木々の波を解き、栗鼠の精霊によって少し前に完全に除かれました。その様子を見ていましたが、凄かったですよ。空から少しずつ陽が差してきて、地に降っていったんです」


「そうなの? 見たかったなぁ」


 その光景を想像して溜め息を吐いたマリーエルの前に、小さな毛玉が躍り出た。


「姫よ! 目を覚ましたか!」


 小さな体は、窓枠でふんぞり返る。


「アール!」


 アールは小さな手で外を指さした。


「どうじゃ? 儂の偉大さを思い知ったじゃろう? 森の造り手の手腕をその目に焼きつけるのじゃ!」


 マリーエルは、ふんぞり返るそのふわふわの首元を指で撫でた。アールは気持ち良さそうに目を細めた。


「うん。木の精霊の力を少しずつ巡らせて木々の波を解いていこうと思ってたけど、この方がずっと早かったね。本当に、有難う」


「我等とて、住処である森を失う訳にはいかんからのぅ。木の奴にはもっとしっかりしてもらわねばならん」


 アールはそう言って尻尾を軽やかに打ち付ける。そうしてから、むぅと僅かに表情を曇らせた。


「とは言っても、まだ森の中では此度の影響が残っておる。引き続き、この地のことは我等に任せるがいい。お主は他に気になることがあるようだしのぅ。精霊王も此度のこと、訝しんでおられる。何しろ、あの時まで儂等も木々の波に気付かなんだ。それに加えてあの札……。こちらの世のことは姫に任せよう。儂等ではどうにも出来ん」


「そうだね。影を呼び寄せたあの札……放ってはおけないよ」


 アールは栗鼠に可能な限り厳めしく頷くと、「何かあったら呼びなさい」と言って窓から出ていった。


 ──あの札はきっと呪が込められていた。でも、一体誰がそんなことを?


「マリー!」


 突然、部屋に明るい声が響くと、嬉しそうに駆けて来たベッロがマリーエルの背中に飛びついた。勢いあまって窓から転げ落ちそうになり、血の気が引いた顔でアーチェがベッロを叱りつけた。


「なぁに、もうぎゃあぎゃあ騒ぐ元気がある訳?」


 インターリがせせら笑いながら顔を覗かせた。その手にした杏を見て取ったアーチェが「姫様よりも先に食べるなんて!」と声を荒げる。インターリはそれを無視してマリーエルに顔を向けた。


「お姫様が起きたってアイツらに伝えてくるよ。アンタが寝てる間に色々話は進んでるからね。考えることは山積みだよ。早い所、着替えた方がいいと思うけど?」


 インターリが言う通りに、慌てて着替えを始めたマリーエルは、アーチェの顔色が優れないことに気が付いた。マリーエルが倒れてから休んでいないに違いない。世話役なのだから仕方のないことだが、マリーエルは気遣うようにその頬に触れようとした。


 その時、焦りを押さえた不自然な足音が近づいて来た。


「マリー、起きたのか」


 焦りを含んだカナメの声が隣室から訊く。


 マリーエルは慌てて着替えを終え、寝室を出た。


「起きてるよ。どうしたの、何かあった?」


 マリーエルの顔を見たカナメが、ホッとしたように息を吐く。


「いや、さっきまでここら一帯に凄い音が響いていたのに、君が全く起きる様子がないから、それ程までに力を酷使していたのかと思ってな。元気そうで安心した」


「え、凄い音?」


 マリーエルの横に並んだアーチェが、カナメの言葉を継いだ。


「栗鼠の精霊の解体作業ですが、少しばかり……その、強引な方法だった為に、凄まじい音が響いていたんです。中には耳に布やら何やらを詰める者まで出てくる始末で。それはもう、バキバキ、ガリガリと耐えがたい程でしたが、そのお陰でこれだけ早く解体作業を終えることが出来ました。私はとても寝ていられなかったので、刺繍に没頭することにしたのですが、姫様は余程お疲れだった様子。それはもうぐっすりと。良いことです」


 マリーエルは恥ずかしさに手を頬に当てた。


「気が付かなくて、ごめんね。あの……アーチェはこの後、ゆっくり休んでね。さっき顔色が悪いなって思ったの」


「いえ、ですが──」


 食い下がるアーチェに、カナメがひとつ頷いた。


「この後は俺が。アーチェ、君は休むと良い」


 マリーエルに窺うような瞳を向けたアーチェは、マリーエルが笑みを見せると、やはり体が辛かったのか、素直に世話役用の寝台へと向かった。


 カナメはマリーエルの手を取ると、卓まで連れて行き、座らせた。


「まずは茶を淹れよう。それと、朝餉も貰ってきている」


 カナメは、盆に乗せられた朝餉を卓に並べ始めた。杏の乗った籠を差し出し、笑みを浮かべる。


「今日は忙しくなる。しっかり腹ごしらえだ」


「うん」


 マリーエルは、カナメが淹れた茶を飲んでから、しっかりと朝餉を取った。


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