18話 納霊の儀
納霊の儀、当日。
マリーエルは、祀地で儀を始める為の祈りを捧げていた。クッザールを始め霊司達は後ろで儀の始まりを待っている。
イルスーラが監督役として儀の進行をし、リーベスは城からこの儀を見守っている。
木々の波は随分と削られ、陽の光が城の向こうから差していた。
マリーエルは事前にカルヴァスと話し合い、通常の儀よりも多くの兵を控えさせていた。この地の影憑きは討伐済みとはいえ、精霊の力が不安定な今、深淵の女王がどんな手をつかってくるかも判らない。
儀の最中では咄嗟に対応することも難しい。これ以上被害を増やす訳にはいかないのだ。
「いけそうか?」
祈りを終えると、側に就いていたカルヴァスが訊いた。
「うん。始めよう」
マリーエルは答えながら用心深く辺りを見回し、カルヴァスに目配せした。安心させるように笑みを浮かべたカルヴァスは、後ろを振り返るとイルスーラに儀の開始を告げた。
マリーエルの後ろに進み出た霊司ひとりひとりと礼を交わし、精霊石の杖を掲げる。精霊の力がマリーエルの許へと集まり、この地を流れていく。導くのは、依り代にと地に立てられた一振りの枝だ。
クッザールが風を、セルジオが水を、ジェーディエが火を、トルマが土の力を受け、それをマリーエルへと手渡していく。
木の精霊が戸惑いに震え、しかし導かれるように歌い出した。その歌に歌を重ね、マリーエルはこの地に木の精霊が根を生やし、力を満たせるように歌い、舞った。それを霊司が支えていく。
風が吹き、水が湧き、火が盛り、土がおこった。
木の精霊が、誘われるようにマリーエルの身の内から緩やかに抜け出していく。木々や花が躍り、咲き、さやさやと音を立てた。
種が、火に焼かれ耕された地に降り立ち芽吹く。風に吹かれ、水を滴らせる。木の幼精が笑い、歌う。
木の精霊が依り代を頼りにその手足を地につけた。伸びあがり、力のうねりが出来上がっていく。枝葉が伸びる。
──あとは、木の精霊の力が根付けば……。
満たされ、心地よく流れていた精霊の力は、突然、均衡を崩した。
大きく膨れ上がった火の力が炎となって身をくねらせ、木々を舐め、草々が悲鳴を上げた。
皆が戸惑いに顔を顰め、均衡を取り戻そうと力を満たすが、この地の気の流れは瞬く間に崩壊していく。
「何が──⁉」
木の精霊の力が、マリーエルの許へ戻ろうと飛び上がる。強引に流れ込む力に、マリーエルは呻き、身を屈めた。軽い音を立てて、手放した精霊石の杖が転がっていく。
その時、背後で苦しげな声が上がった。
見れば、首元を押さえたジェーディエが、額に汗を浮かべながらのたうち回っていた。
「ジェー……ディエ、殿⁉」
ジェーディエは必死に火の精霊の力を抑えようとしているが、ただ手で宙を掻くに終わる。他の霊司は、自身の力を制御するのに精一杯で動くことが出来ない。
マリーエルは、自身の体に入り込み、枝葉を伸ばそうとする木の精霊を抑え込もうと歯を食いしばった。
「だめ……まだ、駄目……」
木の精霊の上げる高い悲鳴が頭の中で響く。力が暴れ回る。無秩序にマリーエルの体から木々が生えいずる。
マリーエルは、ちらとカルヴァスが控えていた辺りを見やり、既にその場に彼が居ないことを確認してから、木の精霊の力を抑えるのに集中した。
──皆に任せれば、大丈夫。
このような時の為に、事前に話し合ったのだ。今は、精霊姫としての役目を果たすしかない。
荒ぶる力を自身の気に混ぜ、この地に流すと、頭の中で響く悲鳴が徐々に収まっていった。ざわざわとマリーエルの体から生え出ていた草木が勢いを落とした。
ホッと息を吐こうとしたのも束の間、背後で炎が上がった。のたうち回るジェーディエを中心に、炎が荒ぶり周囲を燃やしていく。
「カルヴァス……!」
クッザールが苦しげに、絞り出すように言った。カルヴァスが剣を地に突き立て、火の精霊の力を集めていく。
その時、剣を手にしたカナメが地を蹴り、ジェーディエに斬りかかった。ジェーディエが驚きの声を上げ、剣を構えようと手を伸ばしたが、それよりも前にカナメの細剣がジェーディエの首元を斬り払った。
瞬間、ジェーディエの首元からぞわり、と嫌な気配が溢れ出した。飲まれそうになったジェーディエは地を這って後退り、驚愕に目を見開いた。
影だ。
ジェーディエの首元から溢れ出した影の塊が、この地を穢さんと滴り落ちていく。
「は、祓えを……!」
身じろぎしたマリーエルに、カルヴァスが声を上げた。
「今は力を抑えるのに集中しろ!」
霊司は全員動けず、力を制御するのに務めるしかない。そうでなくては、この地に集まった精霊の力が支えを失い、その力を暴れさせることになる。
「姫様方をお守りするんだ!」
背後では、イルスーラの指示が響く。ジュリアス兵がマリーエル達を囲んだ。
カナメやインターリ、ベッロが溢れ出た影を霧散させていく。
「アンタ、一体何をしたっていう──の⁉」
インターリが影を斬り裂き、ジェーディエを見下ろした。
「お、俺は……」
首元を押さえていたジェーディエが、襲い来る影に咄嗟に剣を揮った。しかし、すぐに呻いて地に崩れ落ちる。
マリーエルは、周囲を見回した。
精霊の力は落ち着きを取り戻しつつある。しかし、まだ安定してはいない。
この地に根付かせなければ、いつか力はマリーエルの身を溢れ出し、第二の木々の波を生じさせるだろう。依り代にと用意された枝は、荒ぶる精霊の力によって折られていた。
──何か、他に依り代になるものがあれば……。
マリーエルは、地に転がる精霊石の杖に目を止めた。震える手を伸ばしたが、杖にはあと少しという所で届かない。
その時、土煙が上がると、ベッロが杖を手にマリーエルの許へと降り立った。
「欲しい、これ?」
マリーエルは声にならない声で応えると、杖を受け取った。ふらつく脚で歩き出す。
「マリー、何処、行く」
ベッロの問いに祀地の中心を示すと、次の瞬間、ふっと体を抱きかかえられた。ベッロの脚が地を踏み、一足で示した場所に跳ぶ。
「此処?」
「う、ん……」
マリーエルを地に下ろしたベッロが、その背中をそっと支えた。
まずは木の精霊の力を安定させなければならない。そして、影の浸食からその力を守れるようにこの地を満たす。
「木の精霊よ……この、杖へ……」
マリーエルは、手にした杖に木の精霊の力を流し込み始めた。ざわざわと音を立て、体に芽吹いた草木が杖へと移っていく。杖が細かく震えた。
杖だけでは全ての力を受け止めることは出来ない。しかし、これを依り代に力を流していけば……。
杖を掲げたマリーエルは、祀地の中心に杖を突き立てた。その瞬間、引き込まれるように力が流れていく。それに合わせるように、風が、水が、火が、地が、湧き立つ。滑らかに、たおやかに、力が調和していく。
木の精霊の力が杖から芽吹き、満ちていく。杖を支えに枝葉が伸びあがる。
それは、瞬く間に一本の大樹と成った。
歌が響く。幼精が生じる。力が、満ちていく。
大樹は空高く伸び上がり、此の地を見下ろした。
はぁ、と息を吐いたマリーエルは、その場に屈み込んだ。
──これで、あとは影の祓いを……。
背後の慌ただしさに、マリーエルは重い体で振り向き目を向けた。
クッザール達が剣を構え、ジェーディエの許へと駆け寄っていく。
「待って……!」
マリーエルが叫ぶと、ベッロが再びマリーエルを抱えて地を蹴った。兵達に割り込むように降り立つ。
ジュリアス兵が、戸惑いつつもジェーディエを警戒していた。
マリーエルはベッロの腕から降りると、地に蹲るジェーディエを探るように見下ろした。ジェーディエは当惑した瞳でマリーエルを見つめ返している。
「その上着を貸してください」
「……え?」
「急いで」
マリーエルの剣幕に、ジェーディエは慌てて上着を脱ぐと、それを掲げ差し出した。一見するとただの儀式服だ。しかし──。
アーチェを呼び寄せたマリーエルは、襟を指で示した。
「この襟の所、開けられる?」
「お任せを」
アーチェは懐から鋏を取り出すと、手際よく襟を開き、その中に在ったものに眉根を寄せた。
「……これは?」
「触らないで」
中には影色の文字が書かれた紙が入っていた。下部に描かれた種子から、影の芽が伸び上がっている。
「これが、影を生んだ……?」
「何だと」
クッザールが言った時、カナメが鋭い声でマリーエルを呼んだ。
「影が──集まってきている! 祓えを!」
その言葉の通り、地中から影が溢れ始めていた。
儀式の為にと慎重に祓えを済ませた祀地でも、穢れを持ちこまれてしまっては、その許に影は集まってきてしまう。
影は、この地に根付いたばかりの大樹目掛けてその触手を伸ばす。
地の底から哄笑が響いた。
「深淵の女王はこれを狙って……」
マリーエルは苦々しい気持ちで呟いた。
深淵の女王は、マリーエルの成そうとすることを的確に壊し、絶望に染めようと策略を巡らせているようだった。
マリーエルは頭を振って、余計な考えを振り払った。今はそのような暇はない。




