16話 ジェーディエ・メトル
フリドレードから送られた霊司は、ジェーディエ・メトルといった。
長きに渡りフリドレード家に仕えてきたメトル家の子だ。夕焼け色の髪をひとつに結び、同じ色の瞳を柔和に細めて笑顔を浮かべている。
「お初にお目にかかります」
ジェーディエはそう言って深々と頭を垂れた。
イルスーラは顔見知りらしく、「お前が来たか」と微笑んだ。
「この者が遣わされたのも納得です。フリドレードの中でも随一の力の持ち主ですから」
その言葉に、ジェーディエは恐縮しながら、ちらとカルヴァスに目を向けた。それは純粋な憧れと、少々の挑発が込められていた。カルヴァスは冷静にそれを受け止め、流している。
「フリドレードの霊司として、力を捧げ、尽くさせて頂きます」
隆起した筋肉を持つ体を窮屈そうに折り曲げて、再び頭を垂れたジェーディエは、顔を上げると懐っこい笑顔を浮かべた。
密かに品定めするようにジェーディエを見やっていたセルジオが言う。
「では、まずは儀の手順を確認しようか。その後に現地視察だ」
その言葉に頷きかけたジェーディエは、この場に居る者を見渡し、小首を傾げた。
「あの、地の精霊の力を受けた者は──まさか、グランディウス王自らということはありませんよね? それとも精霊姫様が……?」
困惑したようにマリーエルを見つめる。クッザールがそれに答えた。
「それは、我が隊の副隊長に任せてある。グランディウス王は大陸からの客人をお迎えする為にこれ以上城を空ける訳にはいかなくてね」
ジェーディエは、そうですよね、とひとつ頷くと、改めてジャンナの婚儀に対しての祝いの言葉を述べた。それから再びカルヴァスに視線を向け、思案するような顔をした。
手順確認と視察を終えると、あとは祀地が整うのを待つばかりとなった。それも直に済むだろう。
アール達栗鼠の手によって、そして外側の者達の手によって、木々の波は少しずつ削られ、多少の陽がジュリアスにも差すようになっていた。
「おや、よい夜ですね」
視察を終えた後、影憑きの報告があった地や、祓えの必要な地へ赴いていたマリーエルは、客間のすぐ近くでジェーディエに声を掛けられた。廊に置かれた鉢を弄っていたらしく、手を叩いてからマリーエルに向き直る。
「ええ、よい夜ですね。ジェーディエ殿」
マリーエルが答えると、少しだけ瞳に見入った風のジェーディエは、誘うように鉢へと目を戻した。
「フリドレードにはあまりこういった植物はありませんから、城の中や、この周辺の畑を見て回っていたんです」
そう言って笑うジェーディエの前に、カナメが割って入った。
「申し訳ありませんが」
カナメが言うのに、ジェーディエはハッと目を見張る。
「そうでした。姫様方は視察の後、影憑きの討伐に出ていらしたんですよね。お引止めして申し訳ございません」
ジェーディエが頭を下げるのに、マリーエルは顔を上げるように言いながら、カナメを見やった。普段、このようなことを言わないのに、やはりジュリアスを訪れてからというもの、カナメの様子はいつもと違って見えた。
マリーエルは、ふと兄の言葉を思い出していた。クッザールからは、フリドレードの霊司であるジェーディエに危険があるとは言えないが、どういう体でこの度のことに駆り出されたのか判らない以上、それが明確になるまでは、十分に見極め、用心せねばならない、と伝えられていた。
じっと考えたマリーエルが、こてんと小首を傾げると、釣られたようにジェーディエも小首を傾げ、見つめ返した。
「もし良ければ、これからお茶でもどうですか。ジェーディエ殿のお話もお聞きしたいですし」
マリーエルの言葉に、カナメが信じられないというような視線を向ける。
ジェーディエはパッと笑顔を浮かべると、嬉しそうに頷いた。
「是非! 俺──いえ、私も姫様方のお話を伺いたいです」
茶の支度を終えた頃にカルヴァスが戻って来ると、ジェーディエは好奇心を隠しもせずにカルヴァスを見やった。相変わらず涼しい顔でそれを受け流したカルヴァスは、手にしていた包みを卓に置いた。
「ほら、甘味を分けて貰って来たぞ」
包みの中には、干し果実や木の実に糖をまぶした菓子が入っていた。マリーエルが喜びの声を上げると、ジェーディエが「あっ」と懐を探った。
「お誘いを受けたのに、申し訳ないです。よろしければ、こちらもどうぞ」
そう言って、包みを卓の上に取り出した。中には丸い焼き菓子が入っていた。
「お、火山焼きか」
カルヴァスが嬉しそうな声を上げると、様子を伺っていたインターリが手を伸ばし、それに噛り付いた。しかし、すぐに顔を顰める。
「なにこれ……硬っ!」
うっすらと歯型の付いた火山焼きを見下ろし、疑うような顔をジェーディエに向ける。
その様子に、カルヴァスがカラカラと笑った。
「がっついて食うからだよ。火山焼きはこうすんの」
そう言って、茶器の茶に火山焼きを浸し、噛り付く。茶によって程よい硬さになった火山焼きを旨そうに食べるカルヴァスの横で、ガリガリと火山焼きを嚙み砕いていたベッロに、カルヴァスは「お前はそれでいいよ」と笑った。
「カルヴァス殿はフリドレード出身の方ですから、火山焼きは食べ慣れていますよね」
「まぁ、たまに実家に帰ると持たされますからね。保存も利きますし」
インターリがそれを聞きながら、疑わしそうに火山焼きを茶に浸した。味わった後、茶に浮かぶ火山焼きの屑を見下ろし、目を眇めた。
火山焼きはかなり長期の保存が利く便利でかつ美味しい甘味として親しまれているが、浸けた茶に屑が零れることから、一部からは嫌厭されている銘菓だった。
残りをベッロの口に放り込むインターリの様子に、ジェーディエは困ったように笑いながらも、あれこれと話を始めた。話しながら、時折ベッロを見やるジェーディエに、インターリが鋭い視線を向けた。
「ねぇ、コイツのこと気になる?」
誘うような声に、ジェーディエは表情を引き締めた。恥じ入ったように頭を下げる。
「確かに、気になります。ベッロ殿も、カナメ殿も……正直、皆さんのことが気になります。フリドレードでは、協議官にでもならなければ他地方を訪れることは殆どないですから」
変わらず問うような視線を向けるインターリに、カルヴァスが袖を捲った自身の腕を見せた。
「前に言ったろ。オレはフリドレードの装飾品加工職人の集落生まれ。だけど、入山の儀を受けずにグラウスに出てきたから、腕に何の印もない」
カルヴァスの目配せに、ジェーディエは同じように袖をまくり、腕を露わにした。そこには曲線と直線が組み合わさった紋様が焼き印されていた。
その紋様を目にしたカルヴァスが、感心したように声を上げる。
「この印は最初に入山した時にひとつ。その後修養を積み、籠りの修養を終える度にひとつ。ジェーディエ殿は、この年で五度籠りを終えていることになる」
ジェーディエは恐縮したように目を伏せた。
「メトル家に生を受けた者として、まだまだ修養を積まねばなりません。それに──」
ちら、とジェーディエはカルヴァスを見やる。
「ここまで修養を積んで尚、カルヴァス殿に及ぶかどうか」
そう言って、小さく笑う。
卓に頬杖を突いたインターリが、じっとジェーディエを見つめ、訊いた。
「アンタも火の精霊の力を使えるんだよね。呼び掛けを受けた……ってことでしょ?」
「はい。フリドレードの者の多くが火の精霊の呼び掛けを受けるか、またはその力を扱うことが出来ます。私もその一人です」
ふぅん、と言いながらジェーディエの腰に差した剣を横目で見たインターリは、ニヤリと笑みを浮かべた。
「カルヴァスと一戦やってみてよ」




