13話 クッザールとセルジオ
翌日、クッザール隊が制圧した裏の森を訪れたマリーエルが、この地で儀を執り行うと決めた。それには大掛かりな整地が必要になるが、それさえも迅速にこなしていく自身の隊の活躍ぶりに、クッザールは誇らしい気持ちで事に当たっていた。
ジュリアス兵との話し合いを設け、祀地を作り上げていく。
「こちらは完成を待つだけだな。あとはフリドレードの霊司、か」
クッザールは、豊熟城の窓から祀地の予定地を見やりながら言った。
「さて、最も力のある者を、との報せだが、一体誰が来るのやら。恐らくランドシ殿ではないと、私は予想するね」
何度か目を通した手紙を卓の上に戻し、セルジオ・エラン・ディウスが言った。卓の上の酒器を持ち上げ、酒の香りを楽しむように鼻に寄せてから続ける。
「代替わりの後の戦も影響して、私達は未だフリドレードの勢力図を把握出来ていないからね。今、領主に納まるランドシ殿も、昔の噂こそ耳にはするが、どのようにフリドレードを治めていくつもりなのかも判らない。──規律実行派と基礎地縁派、といったか。よく似ているようで意を異にする派閥に二分されたフリドレードは、フリドレード内でも争いを続けている。水面下ではあるけどね。それくらいは漏れてくるものさ」
セルジオはそう言って酒の入った器を口に運んだ。
「エランにはフリドレードの話は入りにくいからな。とは言え、グラウスでも殆ど同じような状況だ。一応の交流は途絶えてはいないが、それは兄上……グランディウス王の尽力があればこそ。間に立っていたジュリアスは影の出現以降、国の為尽くしていたが、このようなことが起きてしまってはな。交渉よりも、地を満たし整えることが先決だろう。何も今、フリドレードは他地方に戦を仕掛ける気はない筈だが」
クッザールは椅子に腰掛けると、手紙を取り上げ、読むでもなくただ字を追った。
「本来なら此度の儀も、お前の所の……あぁ、今はマリーエルの許のカルヴァスが居れば十分事足りたけれど、前領主ならまだしも、今、フリドレードを除いた三地方で儀を行えば角も立つ。ないとは思いたいが、どんな言いがかりをつけられるか判らない。──折角、精霊隊隊長っていう座も手に入れたのにね、彼。彼の働きぶりを見掛けたけれど、以前エランに訪れた時よりもずっと堂に入っていて、なかなか良い兵に育ったね」
セルジオの言葉に、クッザールは口角を上げた。
「エランにはやらんぞ。──いや、もう私の一存ではどうにも出来ないが。ここの所、昔のことをよく思い出すんだ」
最後は呟くように発せられたクッザールの言葉に、セルジオは目を瞬くと、卓の上に放置されていた器を改めてクッザールの前に差し出した。セルジオが酒を勧め、クッザールがそれを断った器だった。
しかし、やはりクッザールは小さく笑ってから首を横に振った。
「本来なら現場に出ているべきなのに、儀の為にとこうして休んでいるんだ。お前との酒は深くなる。今は遠慮するよ」
そうしてクッザールは息を吐くと、椅子の背にもたれかかるようにした。その様子を眺めながら、セルジオは器を満たすジュリアスの酒の香りを堪能し、それを呷った。
「お前は相変わらず真面目だねぇ。一見、要領が良さそうだが、こういう時はカオル……グランディウス王の方がよっぽど器用だ」
「兄上は、次期国王にと幼い頃より期待されていたお方だ。その辺りも王の振る舞いとして相応しい行いをされる」
「お前は、グランディウスという名を望まないんだね」
ふと言ったセルジオは、「おや」と器を見下ろし、立ち上がった。
「今日は酒をよした方が良いみたいだ。お前が飲まないなら尚更ね。私はお前と二人で楽しく飲む時が好きなんだ。さて、代わりに茶でも淹れよう」
微笑んで言うセルジオに、クッザールは薄く笑った。
「お前に話したことはなかったな、セルジオ」
「うん? 何をだい?」
備え付けの棚から茶箱を取り出したセルジオは、ひとつひとつの香りを嗅ぎ、そのひとつを取ると、鍋に向かった。なんてことはない風を装いながらも、自身の発言を恥じ、クッザールを気遣っているのが判る。
「幼い頃は、それを考えなかった訳ではない。三番目に生まれたからには、兄の死でしか王になることは叶わないからな。不公平だ、と兄上と殴り合いの喧嘩をしたこともある。兄上は幼い頃より次期国王にと期待されていたが、本人はなれぬでも良いと考えていたのも腹が立ってな。それで言うなら、マルケス兄上の方が、器用であったのかもしれないが」
クッザールはふと窓の外に目を向けた。そこに空はなく、今は篝火が地上で灯りとなっている。
「私が王になったとして──」
クッザールはポツリと呟き、緩く首を振った。
「私が王になったとして、全てを懸けて民の為、国の為に尽くすつもりだが、どうにも私はこうして国中を巡り、剣を揮う方が向いていると早い内に気が付いたんだ。ヨンムが生まれ、精霊姫であるマリーエルも生まれると、いよいよ自分の居場所というものに目を向けられるようになってな。今は多くの部下と共に働くのが、私の生きる意味とも言える」
「なら、良かった。私もお前がその立場で居てくれる方が、会いやすくていいからね」
セルジオは、茶を注ぐと茶器をクッザールの前に置いた。ふわりと芳醇な香りが漂う。
「そういえば、グランディウス王はマリーエルの所のインターリを随分可愛がっているようじゃないか。確かに彼は〝興味深い〟けれどね。月族の姫も、だが」
その言葉に、クッザールはひと口茶を飲んでから、眉を寄せた。
「あれは可愛がっているというより、何処か妙に相性がいいんだろうな。兄上は育てたがりなんだ。そして民のことを優先して考えておられる」
「カオルの苦労は、私には計り知れないな」
セルジオが言った。クッザールが小さく笑う。
そっとクッザールを見つめていたセルジオが、ふいに顔を曇らせた。気まずそうに身じろぎする様子に、しかし、クッザールは理解していた。セルジオがこのように表情に感情を滲ませる時は、隠すつもりがないということを。それでいて、相手に対しての惜しみない気遣いがあるということを。
「どうした」
クッザールが訊くと、セルジオは「おや」と驚いた振りをした。僅かに視線を上げ、ふむ、と唸ってから口を開く。
「そんなに〝何かを思い出し、想いを巡らせる時間〟が、恐ろしいかい?」
ちらと、クッザールの肩口で短く揃えられた髪に、セルジオは視線をやった。クッザールが、ピクリと眉を動かす。持ち上げた茶器を、再び卓に置いた。
「あぁ、怖いさ。今はまだ。──はぁ、酒が欲しくなってきた」
ウキウキと酒器を取り出そうとしたセルジオを手で制し、クッザールはふと遠い目をした。心の中に蘇るのは、すみれ色の瞳。
セルジオが口を引き結び、呆れたように眉を下げた。
「マリーエルとは難しくとも、カルヴァスとだったら、彼女のことを話すのも出来るんじゃないか」
その言葉に、クッザールは困ったように眉根を寄せた。
「アイツの前では、いつでも格好いいクッザール隊長で居たいんだよ」
目を瞬いたセルジオがニンマリと笑うと、クッザールは拗ねたように視線を逸らし、茶器を傾けた。
「そうかい。じゃあこの頼れる私が聞いてあげよう、お前の話を」
小さく笑ったクッザールは、暫し黙った後、小首を傾げた。
「いざそう言われると、何を話せばよいのか判らないな」
「大陸にある例の地でも訪れてみるかい? 華発の船を使えば、そう時間は要さない」
セルジオの提案に、一瞬だけ手を止めたクッザールは、ゆるりと首を振った。
「それは、私のすることではない。長く国を空ける訳にもいかないからな。……それに、彼女にも迷惑だ」
「迷惑ねぇ……」
セルジオは「もう迷惑と考える相手はこの世界に居ないじゃないか」という言葉を飲み込んで、代わりに小さく笑った。
「まぁ、急ぐ必要もない。私が隠居でもしたら、お前を大陸へ連れて行ってやろう。かの地だけではない。大陸には興味深いものが沢山あるからね。それに、意外とお前の身近に、お前だけを見ていてくれる相手が居るかもしれないからね」
何かを言い返そうとするクッザールを笑みで制し、セルジオは大陸の思い出話を語り始めた。




