11話 祀地
イルスーラが部屋を訪れ、地図を前に相談を終えると、マリーエル達は豊熟城の周辺を調べ始めた。
木の精霊の力を受け、巡らせることの出来る地を探さねばならない。安定し、溢れ暴れる力を休ませることが出来る場所。澱みの溜まりづらい場所。影が現れたとして、すぐに対処が出来る場所だ。
「うーん、やっぱり、こっち側は他の気の巡りが強いかなぁ」
休憩にと、地面に広げた敷物の上に座ったマリーエルは、難しい顔をした。
グラウスの方に目を向けると、陽の光が木々の波の隙間から見えた。しかし、それでも明かりは足りず、灯りを持ち歩くこととなる。
「そうか。だったら、次はこっちの方を見てみるか」
薄暗がりの中で、カルヴァスが地図の上を指でなぞった。
豊熟城の周りに広がる広大な地には、様々な作物や家畜が管理されている。気の巡りは申し分ないが、木の精霊の力を宿したものを奉るには、相互に強すぎる力が引き合ってしまう。それは、調和した流れとは言えず、もしそれをきっかけに木々の波がもう一度でも起これば、ジュリアスの地は壊滅的な被害を受け、復興に今以上の時を要するだろう。戦の痕も残る中で、そのようなことは避けねばならなかった。
「祀地を作るには、地の精霊の力も必要なのですよね」
イルスーラが茶器を傾け、ひとつ息を吐いてから言った。耳に掛けた髪が柔らかく波打つ様が灯りに照らされている。先程から頻繁にイルスーラの許へ世話を焼きに来る娘達が、少し離れた所できゃあきゃあと騒いでいる。イルスーラは時折娘達に微笑みを返していた。
精霊姫がものを尋ねれば緊張してしまう多くの者達も、間にイルスーラが居れば、実に円滑に詳しい事情まで聞き出すことが出来た。ジュリアスの主は、あらゆるものを扱い育てる手腕を求められる。
「此度の祀地は、影の影響がなく、より上手く気が巡るように火の精霊、水の精霊、地の霊精、風の霊精の力が必要になると思います。祀地の気を満たし、単純な力で整える。そこに木の精霊の力を宿した依り代を祀り、木の精霊が力を整え、枝葉を伸ばせるようにする。そうすれば、力も安定し、以前のように力を揮うことが出来るでしょう。木々の波もどうにか解消出来る筈……です」
「流石は、精霊姫様ですね。それだけの力を一度に揮われるとは」
イルスーラの感心した声に、マリーエルは慌てて首を振った。
「いえ、今回はそれぞれの力を分けて満たして、それを私が調律する形にしようと思っています。私の中に木の精霊の力が在りますから、余分な力が掛かるのは避けたいので」
成る程、とひとつ頷いたイルスーラは、カルヴァスに問うような視線を向けた。カルヴァスは緩く首を振る。
「オレは火の精霊の力を受けていますが、今回の儀にはそれぞれの地方から霊司を立てようかと考えています。少しばかり気になることもありますし」
カルヴァスの言葉に、イルスーラが真剣な顔で含みのある言い方をした。
「我等ジュリアスとしても争いは避けたいですから」
ねぇ、とイルスーラは最も距離を置いた場所に腰を下ろしたインターリに同意を求めた。退屈そうにしながらも、しっかりと耳は傾けていたインターリが億劫そうに顔を向ける。
「何で、僕に聞くのさ。そりゃ争いなんてない方が良いけど、それを決めるのはアンタら偉い奴等でしょ」
おい、とカルヴァスが窘めるのに、インターリは顔を背けた。申し訳なさそうにするカルヴァスに、イルスーラは緩く首を振る。
「いいえ、インターリ殿の仰る通り。それに、反発をする者に程、愛おしさも増すというもの。慈しみを持ち、心を通わせれば、いずれ想いが伝わる時も来ましょう」
イルスーラは、立ち上がるとインターリに歩み寄った。インターリは、ぞわりと怖気だち、後退る。
「な、何それ。本当精霊人って変な奴ばっかりだね。王様もなんかそんなことを言って僕のことをこねくり回そうとするけど、なんなの? そういう習性?」
イルスーラが、おや、と目を瞬く。
「国王もそのようなお考えをお持ちですか。やはり一国の主とはそのようなもの。何かを慈しみ、育てることに喜びを見出すのですね」
ねぇ、と再びイルスーラはインターリに問うように首を傾げた。そのまま隣に腰掛け、インターリを見つめる。インターリは、硬直したまま、僅かに体を引いた。
「あのさ、ジュリアスの慣習はよく判らないけど、僕に対してそういう扱いをするのはやめてくれない?」
「どうして? 愛に性別は関係ないでしょう?」
イルスーラは柔らかく微笑む。
「……あ? いやいや、ちょっと無理。無理だから。──ていうかさ! お姫様もぼやぼや眺めてないで少しは助けようとか思わない訳⁉ 僕、アンタの許に居るんだけど!」
顔を顰めるインターリに、マリーエルはえへへと笑う。
「あー、いつものイルスーラ殿だなぁって思って」
「はぁ⁉」
「というか、立場で言うならお前は精霊隊じゃないぞ。どっちかというとマリーかベッロに勝手について来てる奴だからな。オレ達が仕方なく面倒見てるみたいな感覚だ」
カルヴァスが呆れたように言った。
「じゃあ! 面倒見てよ!」
叫ぶインターリと微笑むイルスーラの間に、走る姿となって森を駆けていたベッロが鼻を突っ込んだ。嬉しそうに目を輝かせ、イルスーラの膝の上に小さな塊を置く。
「おや」
イルスーラが目を瞬き、それを持ち上げた。
「これは、このところ畑を荒らしまわっていた鼠、ですね。狩ってくれたんですか」
イルスーラが言うと、ベッロは尻尾を振って後ろを見やった。見れば、森の暗闇の中に、より濃い暗闇の輪郭が出来ている。
「おや、こんなにも。有難うございます、ベッロ殿。流石は精霊隊の一員ですね」
その言葉に、ベッロは嬉しそうに耳飾りを振ると、人型に変身し始めた。
「マリー、ベッロ褒められた。嬉しい。さっき、聞いた。鼠に困ってるって。だから、やった!」
ベッロはマリーエルの許に駆け寄ると、ぐりぐりと頭を擦り付けた。
「うん、有難うベッロ。褒めて貰えて良かったね」
「嬉しい!」
マリーエルにじゃれつくベッロの姿を眩しそうに見たイルスーラが、「美しい」と呟いた。暗闇の中で、インターリの瞳がギラリと鋭く光る。
イルスーラは、微笑みでそれを受け止めた。
「命在るモノは、皆美しい。インターリ殿。彼女を守ろうとする貴方も、とても美しい。この世界は美しいモノ達で満ちている」
すっかり毒気を抜かれたインターリは、はぁと息を吐きそっぽを向いた。
「カルヴァス精霊隊長」
その時、クッザール隊の伝令役が現れ、頭を下げた。
「行けそうか?」
カルヴァスが訊くと、伝令役は頷いた。
「クッザール隊により、豊熟城周辺の森の制圧は済んでいます。現在、更に深部への偵察を行っていますが、精霊姫様の儀に際しては差し支えないだろうと思われます。もし宜しければ明朝、ご確認頂き、祀地と各地の霊司が揃い次第儀を執り行えるとも、クッザール隊長からお伝えせよと申し付かっております」
カルヴァスはマリーエルに目で頷いてから、伝令役に「判った」と返事をした。
「明朝、クッザール隊に合流し、儀に適した地の最終確認をする。そう伝えてくれ。──あぁ、風の精霊の霊司はクッザール隊長なんだから、影憑きの討伐もほどほどに、と伝えてくれ」
伝令役は表情を和らげると「確かに」と頭を下げ、去って行った。




