8話 一番目の二番目の子
陣には多くの怪我人が運び込まれていた。中には影に憑かれんとしている者も居り、術者による祓えの儀式が行われていた。
「木々の波によって明かりを奪われ、気の乱れも発生し、混乱の中で影憑きの被害も多発したようです。この辺りは木々の波に対処する為に訪れた術師が多いです。この先フリドレードに近い集落の辺りでは耕人に被害が。ジュリアスの兵と連携して、医術師や物資を支援しています」
兵の話を聞きながら、地図に目を落としていたカルヴァスは、遠くに見える豊熟城へと目を向け、陣の様子を確かめるように耳を澄ました。
「木々の波は、外側からも削っている。それが進めば明るさもだいぶマシになるだろう。グラウスや他の地方の兵も多く入って来られるようになる。木の精霊の力はマリーが抑えているしな」
マリーエルは頷き、辺りを見渡した。
「私はまずこの辺りの気を調律しようと思う。気の乱れは影の存在を強くするから」
「そうだな。頼む」
マリーエルは森に向けアールへと呼び掛けた。すぐに煌めきが現れ、マリーエルの肩へと着地する。
「祓えを行うか」
「うん。まずはこの辺りを。それに森の奥がどうなっているかも教えて欲しいの」
アールは小さな腕を組み、唸った。
「森の中では儂の眷属も多く影に飲まれておる。元は木の精霊の力の暴走によるものだったが、それに他の精霊の力も脅かされておるんじゃな。影憑きが妙に勢力を増しているのは、それが原因じゃろう。女王の力が増している、ということだけではない」
マリーエルは少し考え込んでから、答えた。
「それなんだけど、力の暴走にはまだ何か……きっかけ、のようなものがある気がするの」
ほう、とアールは唸った。
「力の暴走による影響だけではないと」
「うん、まだ判らないんだけど……何となく」
「うむ。姫がそう感じるのであれば何かあるに違いない。儂も森を守護しつつ他の原因を探ってみるとしよう。まずは祓えじゃ」
「はい」
マリーエルはアールと共に調律に適した場を探し、整えた。
マリーエルが調律を始めると、行き交っていた人々が足を止め、その姿に見入った。兵は一層気を引き締めて辺りを警戒したが、時折ちらとマリーエルの姿を盗み見ている。
調律が済み、気は整った。マリーエルが息を吐くと、アーチェが手を差し伸べ支えた。
「どうだ、出発できそうか?」
陣の中から歩いて来たカルヴァスが、行き交う兵達と言葉を交わしながら言った。
「うん、調律は済んだよ。アールもこの森を見てくれるし、影の力を抑えられると思う」
「うむ。森のことは儂等に任せるんじゃ」
アールはマリーエルの肩の上で軽く毛繕いをすると、近くの樹に跳び移った。ちら、とアールに視線を向けたカルヴァスがひとつ頷く。
「それなら、すぐに豊熟城へ向けて発とう」
「判った」
近隣の集落から霊鹿を借りてくると、マリーエル達は豊熟城に向けて発った。
城の方向へ進むにつれ、木々の波の割れ目から差す陽の光は届かなくなり、遠くにポツポツと見える集落や陣の灯りが目印となる。
広大な平野を有するジュリアスは、他の地方に比べるとこのような状況でも幾分かは移動がしやすかった。目指す豊熟城は平野の真ん中に位置する小山の上にあり、篝火が煌々と焚かれている。遠目でもはっきりと見える城の背後には、より濃さを増した暗闇と化した森があった。
道すがらの集落に寄る度にジュリアスの民に状況を尋ねると、どこも陽が遮られたせいで体調を崩す者、影憑きによる被害、作物にも被害が出ていると口を揃えた。加えて、頼みの術者も、木の精霊が力を抑えているせいで、上手く力が扱えずに居た。
集落では、動ける者達が松明や篝火の灯りの中であくせくと働きまわっている。マリーエルが気の調律を行うと、色を失っていた精霊石が再び輝きを取り戻し、辺りを柔らかく照らし出した。ジュリアスの民が、束の間マリーエルの姿を見つめ、気力を奮い立たせる。
ジュリアスの兵は各集落間の伝達や影憑きの対処に駆け回っていた。元々ジュリアスは強力な兵力を有している訳ではないが、土地柄頑丈な体を持つ者が多い。ジュリアスの耕人の手腕は実に優秀だ。その広大な土地で作り採られる作物を他地方に提供する代わり、有事の際には主にグラウスの兵が出張っていくことになる。
いよいよ豊熟城に近付くと、一人の男が霊鹿に乗って駆けて来た。先頭を行くカルヴァスの顔を見て少しばかり表情を緩めて笑ってから、きゅっと引き締める。
「カルヴァス精霊隊長、我が豊熟城までお越し頂き有難うございます。クッザール殿は先にお着きになられ、父と話し合いを行っております」
「お出迎え感謝します。この有事解決に、精霊隊、尽力いたします」
頭を垂れ挨拶を交わすと、男は柔らかい笑みをカルヴァスの後方へ向けた。霊鹿を降り、マリーエルの許まで歩み寄る。礼儀に則って霊鹿を降りようとしたマリーエルを押しとどめ、その手を取ると、手の甲に額を合わせた。
「お久し振りです。マリーエル殿。ご活躍ぶりはジュリアスにも届いております」
マリーエルは、手の甲に額を合わせ返し、微笑んだ。
「ジュリアスの有事に心を痛めておりましたが、イルスーラ殿はご健勝そうで安心いたしました。共にこの地の為尽くしましょう」
イルスーラは柔らかく微笑みながら、感心したようにマリーエルを見上げ続けた。マリーエルが少しの戸惑いを見せると、「あぁ、申し訳ない」とマリーエルの手を親しみ深げに撫でてから優しく解放した。
「以前お会いしたのは幾年も前のこと。こうしてお会いするのは久し振りですから……とても素敵な、まるで可憐な花のようになられたお姿に見とれてしまいました。あぁ、いえ、尊き精霊姫様にそのような物言いは失礼ですね」
そう言いながら、再びマリーエルを見上げると、全くの嫌味なく微笑んで見せる。つい、とマリーエルの後ろに視線を向けると、イルスーラはそこに控える皆に丁寧に頭を垂れた。
「精霊隊の方々ですね。私はリーベス・ジュリアス・ディウスが一番目の二番目の子イルスーラ。カルヴァス殿を隊長に発足されたと耳にしてからお会いしたかった。精強な方々のようだ」
イルスーラは、マリーエルの手を取った辺りからじっとりとした視線を向けていたインターリにふと目を向けた。
「貴方はインターリ殿では? その御髪に月を宿した方。大陸では名の知られた仕事人だったとか。この度は揺るぎなき信念のもと精霊隊への誘いを断り、別の視点から精霊姫様を支えるために尽くされているとか。素晴らしい。──あぁ、此方で長話をする訳には参りませんね。こんな時ではありますが、皆様とは是非お話がしたい。城に着き、機会があれば是非」
イルスーラは一人ずつに笑みを向けると踵を返し、霊鹿に乗った。カルヴァスと連れ立って城に繋がる道を歩き始める。皆で後に続く内、畑よりも家々の輪郭が増えていった。
ふとインターリが霊鹿を寄せ、マリーエルに耳打ちをした。
「ねぇ、アイツなんなの。随分とお姫様にベタベタしてたけど。それに一番目の二番目って?」
マリーエルは、あぁ、と瞬きをした。
「ジュリアスの領主は多く妻を取り、子を成すことを求められるの。あまりに多いことから、何番目の妻の、何番目の子かって名乗るようになったんだよ」
うへぇ、とインターリが気味悪そうに声を上げた。
「そのような事情から、そこで畑を耕している方のずっと先祖が初代ジュリアス様の御子だった、なんてこともありますから、言葉に気を付けてくださいね、インターリ殿」
アーチェが鋭く釘を刺した。それに苦笑しつつ、マリーエルは付け加えた。
「まぁ、皆そういうことはあまり気にしていなくて、代替わりしたら次の世代へ全てを受け継ぐ、って考えている人がジュリアスでは殆どなの。だからそこまで気にしなくて大丈夫だよ。今代も凄く気さくな方だし。それにジュリアスの民は木々や草花や生き物を育てたりするのが好きな人ばかりなの。だから、礼儀はともかく、そうした事に対して失礼なことをしちゃ駄目だよ」
子供じゃないんだけど、と不貞腐れたインターリはふと口を歪めた。
「それで、お姫様は妻にって狙われてるんじゃないの?」
インターリが苦虫を噛み潰したように言うのを見て、マリーエルは瞬いてから小さく笑った。
「それはないよ。ジュリアスの妻になるにも厳格な条件があるんだよ。それに、私はグランディウスの娘だし、それに──あ、ほら」
マリーエルが向けた視線の先では、イルスーラが娘達から差し入れを受け取っている所だった。イルスーラがマリーエル達を示し、何事かを言うと、娘達は緊張したようにコクコクと頷いて、はにかんだ。イルスーラが娘達の手を取り指先に口づけを落とす。
「……あれって、この国では恋慕を表すって、お姫様言ってたよね」
「うん、多分イルスーラ殿の妻候補の娘達じゃないかな。子継の儀の選定に入るって聞いたし」
訊き返そうとしたインターリは、眉間に皺を寄せてから頭を振った。
「もういいや、頭痛くなってきた。グラウスに帰って気が向いたらアントニオにでも訊くよ」
インターリの足元でベッロが心配そうにきゅんと鳴いた。
マリーエルは肩越しにカナメを振り返った。先程から黙りこくり、眉間に皺を寄せて考え込んでいるようでもあり、何かに耐えているようでもあった。
「カナメ、大丈夫? 疲れちゃった?」
目を上げたカナメは、眉間に皺を寄せたままマリーエルの顔を見つめ、ふいに逸らした。
「カナメ?」
もう一度問うと、ただ「いや」と頭を振るだけだった。更に詳しく問いただそうとしたマリーエルは、霊鹿番に声を掛けられ、言われるままに霊鹿を降りた。
イルスーラの案内に従う内、問いただす機会を失ってしまった。




